#53.別行動、それぞれの行方
*
もうすぐ7時半になろうとしていた。俺と姫桜はとりあえず、出店を回って簡単に夕飯を済ませたところだった。
花火も始まれば、いい雰囲気になるかな……まあ、いまでも十分、いい雰囲気だけど。手なんか繋いでるし、いつもとはすこし違う感じで。
そんなことを考えながら、姫桜に合わせてゆっくりと歩いていた、そんなときだった。突然背後から「あー、久保くんだ!」という大きな
声が聞こえたのである。
……まさか。いや、そんなことないか。無視しよう、無視。知らない振りをして……。
嫌な予感がした俺は、そのまま黙殺して前に進もうとした。しかし、誰かが俺の腕を思い切りつかんだのである。
「無視しないでよ。恥ずかしいの?」
「噂の彼女ちゃんもいるんだから、紹介してよぅ」
渋々振り向くと、俺の予想通り、うちのクラスの女子が3人立っていた。ああ……うるせえから、絶対にこいつらにだけは会いたくなかった
のに……。
「わ、かわいいじゃん。はじめましてー。あたしたち、久保くんと同じクラスなの」
「あ、はじめ……まして……」
姫桜が驚いたような顔で女子たちを見て、「とりあえず」といった挨拶をした。顔が引きつっている。まあ、困るのは当たり前だよな。
この状況だと。
「てか、彼女ちゃん、岸浜南なんでしょ?超アタマいいんだもんねー」
「え、そうなの?すごーっ、久保くん、どこで知り合ったわけ?」
……いや、中学の同級生だけどな。「どこまでペラペラ喋ってんのよ」といった顔で、姫桜が俺を睨みつけている。……姫桜さん、怖いん
だけど。
どうしよう。俺が広めたんじゃなくて、梓が調子に乗って広めたんだよな。俺、悪くないんだってば。だけどこんなところで言い訳できない
しな……。
「なんかお似合いだねー。ちょっと意外だったけど。久保くんって、かわいい系と付き合うかと思ってたあ」
「そうだよねー。彼女ちゃん、美人系だもんね。ていうか、同級生?大人っぽいね」
姫桜は微妙な顔つきである。これだけペラペラと節操もなく喋られたら、当たり前だけど。どうしよう。これ以上ここにいたら、姫桜に嫌な
思いさせるよな。
「あ、まあ、あれだ。梓は、椎名と来てんぞ」
俺は女子たちのうるさいお喋りを止めさせるべく、やけにでかい声でそう言った。
「えーっ、マジで?まどか、ホントに梓でいいんだー。もったいなくない?梓なんかにまどかって」
「うん。てかまどか、6組の松井くんに告られたってハナシだよ。ってことは、振ったんでしょ?あの松井くんを。んで、梓?!」
「信じらんないっ。梓でいいの?ホントに?」
本当によく喋る奴らである。しかも、内容が不愉快だ。相思相愛なんだし、べつにいいじゃねえか……。
「ま、まどかちゃんが!」
ふいに、ずっと黙っていた姫桜が女子たちのお喋りを遮った。俺も女子たちも驚いて、思わず目を見開いてしまう。
「あ、梓くんを好きって。あの、梓くんも、たぶん、まどかちゃんのことが好きだから!だから、その、べつにいいんじゃないかって……
思います」
姫桜は一気に喋って、ふうと一息ついた。俺も女子たちも黙ってしまっていた。というか、呆気に取られてしまっていた。
「……そ、そーだよねえ。本人たちがよければ、べつにねえ」
「う、うん。梓、なんだかんだ言って、いいヤツだし。いんじゃない?うん」
「じゃああたしたち、もう行くね。久保くんも彼女ちゃんも、楽しんでね」
さっきとは打って変わって、女子たちが逃げるようにして去っていく。なんだ?と思っているうちに、女子たちの姿は跡形もなく消えて
しまっていた。
「……姫桜」
「瑛治、あのね」
俺が名前を呼んだのと同時に、姫桜が口を開いた。人ごみ、ざわざわした喧騒―――そんな中でも、姫桜のきれいな声はよく通る。
「今日、まどかちゃん、うちに来たの。それで、いろいろ話して……まどかちゃんは梓くんのこと、本当に好きなんだ、ってわかったん
だよね」
俺は黙って頷く。姫桜の気持ちがそのまま俺にも伝わってきている気がした。
「梓くんも、まどかちゃんのことが好きなんでしょ?」
「……ああ」
「じゃあ、両想いだもん。誰にも文句なんか、言われる筋合いないよね。……そう思ったら、さっき、思わず口に出ちゃって」
ごめんね、びっくりしたでしょ。そして、姫桜はそう付け加えた。
さっきの姫桜、妙に迫力があった。いつも姫桜の言葉には説得力があって、俺はなにも言えなくなってしまうのだ。おそらく俺だけじゃ
なくて、みんなそうだとは思うけど。
こういうところ、好きだな―――「こういうところ」が明確にわかるわけじゃないけど。とにかく、こういう―――人のことを思いやれて、
しっかりと自分の考えを持っているところ。姫桜のそういうところ、俺は本当に好きだ。
俺ってあんまりしっかりした男じゃないけど、見る目だけはあるなあ。自分で言うのもなんだけど。
「―――姫桜、手、貸して」
さっき、あいつらに会ったときにとっさに離してしまった右手を、再び姫桜に差し出した。
「あ、うん……」
「姫桜のそういうところ、俺、好き」
俺は喧騒にかき消されてしまうくらいの小さな声でそう言って、すこし強引に姫桜の左手を引いた。
俺の半歩うしろで、姫桜が小さく頷いたのがわかった。それがなぜかくすぐったく感じられて、それをごまかすように、俺はさっきよりも
早足で歩き出す。
―――梓視点―――
「あれー、梓じゃん!来てたんだー」
もう8時近いので、俺とまどかちゃんは花火を近くで見ようと、打ち上げ場所に近い広場に向かっていた。
そのとき、同じクラスの奴らに声をかけられたのである。男2人、女2人の計4人。いわばダブルデートみたいな形である。こいつらは、
ただの友達同士だろうけど。
「おー、おまえらも来てたのか?」
俺は反射的にまどかちゃんの手を離した。……まだ「付き合ってる」わけじゃないんだし、誤解されたらまどかちゃんが可哀相だからな。
「あれ?まどかだー。もしかして、付き合ってるって噂、ほんとなの?」
「え?あ、あー……いや、付き合っては、いない」
……自分で言うのもつらいけどな。まだ、うまくいくって決まったわけじゃない。
俺は横目でまどかちゃんの様子を窺う。……あれ?なんか、表情が暗いような。夜だからそう見えるだけかもしれないけど。
「じゃあ、なんで?」
「いや、まあ、いろいろあってだなあ。瑛治と一緒に来たんだけど、あいつは彼女といるから、別行動してて。だから俺らも、自動的に
別行動になってるわけよ」
この辺が妥当だろう。まあ、間違ったことは言っていない。ちょっと端折って話しただけだ。
「ふーん。あ、花火始まっちゃうよ」
「マジ?!」
あの広場で見なきゃ、わざわざ来た意味ないよな。俺はまどかちゃんの手をまたつかんで、小走りで広場に向かう。
「あ、梓く……待って、速いっ……」
もうすぐ広場に着くというときに、まどかちゃんが息を切らして言った。
「あ、ごめん……」
なにやってんだ、俺は。いつも通りの速さで走るのはさすがにまずいだろ。いくら緊張してるからって、焦りすぎ……。
「ごめん、まどかちゃん……その、歩く?」
「う、ううん……ごめんね、私こそ……。運動部なのに、あんまり体力なくって……」
まどかちゃんははあはあと息を切らしていた。ああ、俺、なにやってんだ。しかもまどかちゃん、浴衣着てるのに。走りづらいに決まって
るよな。
「まどかちゃん、いいよ。歩いても間に合うから。……ごめん、気付いてあげられなくて」
花火が始まるから、辺りはさっきりより閑散としていた。みんな広場に集まっているのだろう。
さっきみたいな人込みじゃないから、ゆっくりと歩いても大丈夫だ。何なら、歩きながら見てもいい。混雑した広場に集まるよりも見やすい
かもしれない。
「うん……。歩いてくれると、助かるかも」
まどかちゃんがホッとしたように言った。俺は汗ばんだ手をいったん離してから自分のTシャツで拭って、それからまたまどかちゃんの
手を握る。
「……あ、梓くん……手……」
「え?」
「その、繋いだまんま……なの……?」
まどかちゃんが上目遣いで俺をじっと見ながら言った。
「あ、あー、その、ごめん!」
俺はいったいなに気取りだ。彼氏でもないのに、当然のようにまどかちゃんと手繋いでた。いまは混んでないんだから、繋ぐ必要なんてない
だろうに……。
「あ、ちがうの……そういうことじゃなくて」
「いや、確かにな。混んでないんだから、繋ぐ必要なんかないよな。悪い悪い」
俺は不自然な笑いでごまかして、早足で歩き出した。なんだかわからないけど、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。俺はなにをやってるんだ!
「待って、梓くん!」
まどかちゃんが、すこし先を歩く俺の右腕を強くつかんだ。振り向くと、まどかちゃんはなぜか涙ぐんでいる。
「え?ま……まどかちゃん?」
「待って、ちがうの。そういうことじゃないの。待って、梓く……」
まどかちゃんが首を横に振りながら、なにかを訴えかけるような目で、なにかを言おうとした。そのときだった。
ドーン、と大きな音を立てて、花火が次々に上がっていく。
俺たちだけでなく、辺りにいた人たちはみんな音がした方向を向いている。歓声を上げる人もいた。
「あー、花火、始まっちゃったな……」
俺はぽつりと呟いた。まどかちゃんは返事をしない。
まどかちゃんがなぜ泣いているのか、俺はどうしたらいいのか―――というか、どのタイミングで告白をすればいいのか。
わからないことだらけはあったが、いまこの瞬間、花火が始まったことに、俺はすこしだけホッとしていた。