#52.花火大会にいこう
*
5時50分。俺って、姫桜と待ち合わせしてるときはなぜか、待ち合わせ場所に10分前に着くんだよなあ。
俺は南沢駅で、3人のことを待っていた。電光掲示板を見ると、「普通17:54 結崎」とあった。おそらく梓はこの電車で来るのだろう。
姫桜と椎名は一緒に来るらしい。いつの間にそんなに仲良くなったんだか……。
南沢駅は、花火大会の影響でいつもよりも賑わっていた。誰かを待っているような人がたくさんいる。浴衣姿の女子も多い。
「あ、瑛治。いたいた」
背後から聞き慣れた声がして、すぐに振り向く。そこには、浴衣姿の姫桜と椎名が立っていた。
「梓くん、まだ?」
「あ、ああ……まだ……」
そう答えながら、俺は浴衣姿の姫桜に見惚れてしまっていた。
黒を基調とした大人っぽい浴衣。アップにした髪に、ピンクの花の髪飾り。まぶたの上のキラキラ。リップグロス。仕草までもが、いつもと
違う気がする。
―――可愛すぎる。姫桜、浴衣、めちゃめちゃ似合ってないか?
「瑛治、どうしたの?」
「あ、いや、なんでも……」
椎名がいるのに、こんなこと言えるわけがない。あとででいいよな。暗くなって、雰囲気が良くなったときで……。
「おー、瑛治。あれ、姫桜ちゃんもまどかちゃんもいる。みんな早いなー」
電車が着いたらしく、梓が俺たちのほうに向かって走ってきた。……当たり前だけど、俺も梓も、いつもと変わらないんだよな。男だから。
「お、すげえ。浴衣、かわいーじゃん。似合う似合う」
姫桜と椎名を見て、梓がいとも簡単に言ってのける。すげえよなあ、こいつ。なんでこんなに簡単に「可愛い」なんて言えるんだ?
「あ、ありがと……」
椎名は小さな声で言って、俯いてしまった。姫桜もすこし恥ずかしそうにしている。……なんだか、ちょっと……いや、ものすごく
悔しいかも。
「ほら、行こうぜ。歩いて10分くらいだから」
俺はさりげなく姫桜の手を取って、梓と椎名と残して歩き出した。
「ちょ、ちょっと、瑛治……」
「姫桜、可愛い。浴衣、すごい似合ってる」
俺は、あいつらには聞こえないように、姫桜にそっと耳打ちした。言った瞬間に恥ずかしくなったけど、まあいいか。こんな日だしな。
「……ありがと」
「あまりにも似合うから、驚いた」
「……もう。恥ずかしいって」
言葉とは反対に、姫桜は嬉しそうだった。すこしはにかんだような笑顔を浮かべている。
「あ、あの、瑛治……いいの?梓くんたち……」
「いいって。どうせ後から別行動の予定だしな」
ちらっと後ろを見た。梓と椎名は、ものすごくぎこちない感じだ。いつもはあんなに喋ってるくせに。あの分じゃ、浴衣のことだって、
まともに褒められてないだろうな……。
「え?なんで瑛治が知ってるの?」
姫桜が驚いた声を上げる。……ていうか、知ってるの?って、なにがだ?
「なんでって……だってそれ、梓が……」
「まどかちゃんだよ。まどかちゃんが別行動したいって……」
「違うって。だって梓が、今日椎名に告白すっからって……」
「まどかちゃんだってば。まどかちゃんが、梓くんに告白するからって」
ちょっとした言い合いになって、俺たちは同時にハッとした。もしかして、梓と椎名……同じこと、考えてた、ってことか……?
「マジで?うわ、あいつら、おんなじこと考えてたわけ?」
「そうみたい、だね……」
俺と姫桜は、また後ろを振り返った。やっぱり二人の雰囲気はぎこちなく、うまく話せていないようだった。
「大丈夫かな、まどかちゃん……」
姫桜が心配そうに呟いた。俺も同感だ。大丈夫だろうか、梓。きちんと椎名に、告白できるんだろうか……。
―――梓視点――
―――可愛い。可愛すぎるって。俺、死んでもいいかも。ホント可愛い。まどかちゃん、これ、反則だって。
俺は、隣を黙って歩くまどかちゃんをちらちらと横目で見ながら、そんなことをずっと考えていた。
ふわふわの綿菓子みたいな髪をアップにして、めったにしない化粧をしているまどかちゃんは、本当にもう、世界一可愛いと言っても
過言ではなかった。こんな子と並んで歩いている俺って、なんて幸せ者なんだ。
だけどそんなことは到底口に出せず、俺はさっきからうまく話せないままでいた。いままでも二人で下校したりしていたのに。今日に
限って、うまいことが言えない。
「……あ、梓くん……花火、楽しみ、だね……?」
まどかちゃんが俺を上目遣いで見て、小さな声で言った。……だから、可愛いんだって。俺はどきどきする心をなんとか抑えて、できる
だけ冷静になろうとする。
「うん。南沢の花火大会って、来るのはじめてだろ?俺ら、あんましこっちまで来ないもんな」
「そうだよね。……あ、あの、久保くんたち、歩くの速いね」
瑛治たちは、俺たちの30mくらい先を歩いていた。ちゃっかり手なんか繋いでいる。……似合うよなあ、あいつら。羨ましいこと
この上ない。
ていうか、別行動、早くねえか?まだ着いてもいないのに。ホントは、7時前に分かれるはずだったのに。
「そうだな。あ、あれじゃね?二人でいたいんじゃねえの?ほら、あいつら、なんだかんだいって、ラブラブだろ」
「うん。ケンカしてから、またラブラブになったんだね、きっと」
「そうそう。愛が深まったんだよ、きっと」
―――なんともぎこちない会話だ。面白くもなんともないだろうな、まどかちゃん。
自分がこんなにもダメな奴だったとは。……浴衣のことだって、まだ褒められてないしなあ。可愛すぎて、なんて表現していいかわかん
ないんだよなあ。それに、緊張で心臓がおかしくなりそうだし。
会場に近づくにつれて、だんだん人が多くなってきた。自然と俺とまどかちゃんの距離も縮まっていく。
「……あ、ごめんなさい」
まどかちゃんの可愛らしい声が聞こえる。誰かにぶつかったらしい。
「人、多いよなあ」
「う、うん……あ、ごめんなさい」
また謝っている。こんなに人多いんだから、いちいち謝らなくたっていいのに。まあ、そういうところも好きなんだけど、さ……。
「あ、梓くん……あの、ここ」
そう言ってまどかちゃんが、俺のTシャツの裾をちょこっと引っ張る。そして、つかんでてもいい?と、消え入るような声で言った。
「あ、ああ……」
俺、全然気が付かなかった。そうだよな。もう、俺たちの前を歩く瑛治たちの姿も見えなくなってしまった。それくらい人が多くなって
きてるんだから、まどかちゃんともはぐれる可能性、あるんだよな……。
「ありがとう……」
まどかちゃんがそう言って、ちいさな手で、Tシャツの裾をひかえめにつかんだ。その仕草が可愛くてどうしようもなくて、思わず目を
逸らしてしまう。
―――手ェ繋ぐなんて、嫌がられるかな。付き合ってもないのに、ちょっと、困る……よなあ。
周りを見ると、なぜかカップルだらけであった。だから当然のようにみんな手を繋いでいて、こんなにぎこちないのは俺たちくらいである。
―――言ってみる?そうだよな。反応見て、決めれば、いいし……。
「……まどかちゃん」
俺のその声は、さっきのまどかちゃんに負けず劣らず消え入りそうに小さい。
「そ、その……嫌じゃ、なかったら」
俺はそう言って、まどかちゃんに右手を差し出した。……ていうか、手汗、大丈夫だろうか。暑いのと緊張で、やばいような気が……。
「あ、あの……いいの?」
「俺は……その、かまわないけど……」
というより、むしろ、繋ぎたいです。俺は心の中でそう付け加える。
「あ、ありがとう……」
まどかちゃんは満面の笑みでそう言って、俺の汗ばんだ右手をちいさな左手でぎゅっと握った。
まどかちゃんの手はちいさくて、すこし冷たかった。女の子と手を繋ぐなんて幼稚園か小学校以来だ。ましてや好きな子と繋ぐなんて、
俺、初めて……。
「……ちいさい」
「え?」
「まどかちゃん、手、小さいよな。さすが女の子ってか、いや、俺、身長の割には手デカいからさあ」
なに言ってんだ俺。照れ隠しとはいえ、我ながら、わけわかんね……。
「あ、えっと……手大きいと、きっと、身長も伸びるよ?そ、それに……梓くんの手、男の子だなあって感じで、すごく……」
まどかちゃんの頬が、なぜか赤く染まっていた。……なんだろ。まどかちゃんも緊張してるとか?いや、それはないだろ。俺相手なんだぜ?
自分の考えに自分で突っ込みを入れながら、俺はまどかちゃんの反応に疑問を感じていた。そういえばまどかちゃん、いつもより、よそよそ
しいような気がするなあ。俺が変だからか?
ようやく会場に着くと、広場のようなところで、瑛治たちがこっちに手を振っていた。俺はすこし助かったような気持ちになって、小走りで
広場に向かう。
「すげえ混んでんのな。どうする?分かれるか?」
瑛治がなんでもないような顔をして言う。……ったく、いまも別行動みたいな感じだったろうが。
「おまえらどうせ、二人でいたいんだろ?んで、チューでもするつもりなんだろ?」
俺はいつもの調子で、瑛治と姫桜ちゃんをからかうようにそう言った。この二人相手だと、全然、いつも通りなんだけどな……。
「お、おまえなあ……」
「梓くんてば……」
瑛治も姫桜ちゃんも、恥ずかしそうにしている。図星なんだろう。こいつらは、あんなに派手にケンカしといて、結局これだもんな。
そんな二人を微笑ましく思うし、妬ましくも羨ましくも思ってしまう。瑛治と姫桜ちゃんは、背格好もぴったりだし、一緒にいて本当に
「ちょうどいい」という感じだ。
俺とまどかちゃんじゃ、背だってほとんど違わないし、第一、まどかちゃんが可愛すぎるからなあ。俺とじゃ可哀相なくらい釣り合わない
んだよな。自分で言ってても悲しいけど。
「……あ、あの、別行動、しよ!ね、姫桜ちゃん」
そのときだった。まどかちゃんがやけに大きな声をあげて、姫桜ちゃんの浴衣の裾を引っ張っている。
「え?あ、ああ……そうだね。4人じゃ行動しづらいもんね」
姫桜ちゃんは神妙な顔をしてから頷いて、瑛治に「いいよね?」と目配せした。
「そうだな。梓、おまえ、椎名とはぐれんなよ」
「わかってるって」
そう言いながら、俺の疑問は増えていくばかりだった。なんだ?いまの、やけにはっきりした、まどかちゃんの言葉は。
「じゃ、帰りは各々ってことでいいか。仕方ねえよな、混んでんだから」
瑛治がわざとらしくそう付け加えて、ニヤリと笑った。……あんまりそういうこと言うなよな。俺、恥ずかしくなるんだから。
「姫桜、行くぞ」
「あ、うん。じゃね、まどかちゃん、梓くん」
姫桜ちゃんが俺たちに向けて、きれいに笑ってみせた。この子、わりと美人だよなあなんて思いながら、俺は二人の後ろ姿を見送った。
「あ、じゃ……その、こっちから回ってみる?」
俺はおずおずとまどかちゃんの左手を引いて、瑛治たちとは反対方向の道を指差す。
「うん!」
まどかちゃんはやたら大きな声で返事をして、大きく頷いた。そして、俺の手をぎゅっと握り返してくれた。