#54.フィナーレ 梓視点
*
「……ま、まどかちゃん」
なぜか声が震えてしまう。まどかちゃんの目が涙で潤んでいるのが、暗くてもよくわかった。
「あ、あっちに行ったほうが、花火見えるよ」
俺がなんとか言葉を搾り出している間にも、花火は次々に打ちあがっている。色とりどりのうつくしい花火は、夏の夜空を見事に彩って
いた。
「うん……」
まどかちゃんがかすかに頷く。俺にそっと駆け寄ってきて、ちいさな右手で俺の左手をぎゅっと握る。心臓がどくん、と跳ねて、血液が
逆流しそうになった。
俺はなにも言わずにまどかちゃんの手を握り返して、広場に向かってゆっくりと歩き出す。……なにも言わないっていうか、嬉しすぎて、
なにも言えないんだけど。
―――いつ、言おうか。
もう8時を回った。花火が終わったら帰らなければいけない。タイミングを見計らって、きちんと言えるんだろうか、俺……。
広場はすごい人ごみであった。広場はほとんど芝生になっていて、家族連れやカップルでほとんどが埋まってしまっていた。
俺は隅っこに小さなスペースを見つけて、まどかちゃんと並んで座った。混んでいるから、必然的に二人の距離が狭まってしまう。
「あ、ごめん、その……こんなとこしか、空いてなくて」
ひっきりなしに打ち上げられる花火は、ここからだとさらによく見える。狭いけど、けっこう見やすい場所かもな、ここ……。
「う、ううん……」
まどかちゃんはいつも通りだった。さっき泣いてたのって、なんだったんだろう。俺、なにかまずいことしたかな。
「あ、さっき……泣いてたの、大丈夫?」
「うん。ごめんね、いきなり」
どうして泣いてたの?とは訊けずに、俺はなにも言わずに頷くことしかできなかった。理由を訊くのが怖い気がした。
「花火、きれいだね」
「そうだなあ……」
ここの花火大会、そこそこ規模がでかいんだよな。岸浜でもっとでかい花火大会があるから毎年そっちに行ってたけど、けっこういい
もんだな、南沢の花火大会も。
「梓くんは、岸浜のって、いつも行ってた?8月上旬にやる、あの大きい花火大会」
「行ってた行ってた。彼女がいない連中で集まってさ、結局花火なんかぜんぜん見ないんだけど」
俺が言うと、まどかちゃんがくすくすと笑った。繋いだままの左手が、じっとりと汗ばんでいる。ドキドキした。いつもと違うものにも
同じものにも、なにもかもに。
「私もね、いっつも友達と……」
そこまで喋ったところで、まどかちゃんが急に口をつぐんだ。はっとしたように、目を見開いている。
「……まどかちゃん?」
俺はまどかちゃんの視線の先を辿ってみた。どうしたんだろ、と思っていたその瞬間―――。
俺の目に、濃厚なキスをしているカップルが映る。一度だけじゃなくて、何度も何度も、角度を変えてキスをしていた。
……おい、こんなとこでキスすんなよ!と思ったのも束の間、ふと目を向けた他のカップルもキスをしている。さらに周りのカップルも。
―――連鎖反応ってやつ?ていうかこの辺、もしかして……いや、もしかしなくても、カップルしかいない?
「あ、あー……その、場所、間違えたかな」
おそらく、かなり俺の目は泳いでいると思う。好きだけど付き合ってない、そんな微妙な関係のまどかちゃんを―――こんなところに連れて
くるなんて。
「……ま、まちがえて……ない……と、思う」
「え?」
まどかちゃんの口から飛び出た言葉に、俺は思わず驚いてしまった。
「その、私と梓くんだって……周りからみたら、たぶん……」
まどかちゃんはそこまで言って、恥ずかしそうに俯いてしまった。俺の心臓が、思い切り跳ねる。どくどくと、壊れそうな音を立てていた。
―――これって。……いや、んなまさか。俺、自分の都合のいいように解釈しすぎ?
自然と、左手に力がこもる。花火の上がる音が、やたら大きく耳に響いた。
「……まどかちゃん」
言うならいまだ、という声が、どこかから聞こえた。花火がひっきりなしに上がるから、なにを話しているかなんて周りには聞こえない。
そもそも、周りはカップルだらけだ。
「俺……」
まどかちゃんは、次々に上がる花火には目もくれずに、ずっと俯いていた。顔がみえない。いま、まどかちゃんが、どんな表情をしている
のか―――。
「―――好きなんだ、まどかちゃんのこと」
一発、でかい花火が上がった。前半のフィナーレを飾る派手な花火が、たくさん打ち上げられていく。
俺たちの周りは歓声と拍手に包まれた。自分たちだけ違う場所に取り残されてしまったような、妙な気分に囚われる。
まどかちゃんがゆっくりと顔を上げる。色とりどりの花火に照らされた、きれいな横顔がはっきりと見えた。その真っ白い頬を、涙が一筋、
伝っていく。
「……梓くん」
消え入るような声が聞こえた。喧騒の中なのに、はっきりと。
「私もね、梓くんが好き」
最後の一発が上がる。ドーン、という音と共に、大きな拍手。そして「前半の部は、以上を持って終了します。後半の部は、8時25分から
開始します」というアナウンス。
周りにいる人たちが次々と立ち上がる。休憩の時間なのだ、と思った。なにも考えられない頭で。
「……きょう、ちゃんと言おうと思ってたの。あ、あのね、いつ言おうかなって迷ってたんだけど、梓くんが、さっき……」
まどかちゃんが小さな声で話しだす。これは夢なんだろうか、と思いながら、俺は黙って頷いた。
「まどかちゃん、あのさ……その、俺の聞き間違えとかじゃないよな?」
「え?」
「……その、さっき、まどかちゃんが言ったこと……いや、信じらんなくて」
俺は頭をがしがしと掻いて、ははは、と不自然に笑った。心臓はまだドキドキしている。
まどかちゃんが、俺のことを好き?そんなまさか。ありえないだろう。だって、まどかちゃんだぜ?なんでまどかちゃんが、俺なんか―――。
「……私、梓くんの、優しいところが好き。いつも私に気を遣ってくれて、優しくしてくれるでしょ?私ね、梓くんといると、すごく安心するの」
「まどかちゃん……」
信じられないはずのまどかちゃんの言葉が、ゆっくりと俺の心に染み渡っていく。まどかちゃんが、俺のことをこんなふうに思ってくれていた
なんて、ぜんぜん知らなかった。
「だから梓くんのこと、好きなの」
まどかちゃんがにこっと微笑む。「これより、後半の部が始まります」というアナウンスが聞こえた。周りの喧騒が、徐々に戻ってくる。
「俺は……まどかちゃんのこと、中学んときから、好きで。まどかちゃんが瑛治のこと好きって聞いても、好きで。そんで……今もやっぱり、
好きで……」
柄にもなく泣きそうだ。ていうか、俺、なに言ってんだ―――そう思うけど、なぜか止まらない。想いが、溢れる。
「一緒にいると、嬉しいんだ……その、いるだけで、幸せになるっていうか。うまく言えないけど、その、つまるところ」
そこで言葉を切って、俺はまどかちゃんが好きなんだ、と言った。まどかちゃんの目をしっかりと見て、想いが伝わればいいな、と思いながら。
「まどかちゃん……その、俺と、付き合ってください」
震える頼りない声で、俺はそう言った。肝心なときにカッコつかない男だなあ、俺って。そんな俺でも、まどかちゃん、ホントにいいん
だろうか……。
「……はい」
まどかちゃんがにっこりと笑う。目に涙が浮かんでいるのがわかった。
さっきと同じくらい派手な花火が再び上がる。俺とまどかちゃんは顔を見合わせて笑って、ぎゅっと手を握り合った。
「あれ?」
花火が終わって、広場から出ようとしていたときだった。
「姫桜ちゃんと久保くんじゃない?」
「ホントだ。あいつらもここで見てたんだな」
瑛治と姫桜ちゃんだった。あいつらも手なんか繋いで、楽しそうに笑い合っている。
「ちゃんと、報告しなくちゃね。姫桜ちゃんには、ホントにお世話になったし」
「俺も、瑛治には、感謝しなきゃなあ……」」
今度、なんか奢ってやらないと。瑛治だけじゃなくて、姫桜ちゃんにも。まあ、せっかく会えたんだし、いまは付き合うことになった報告
だけでも―――。
「ぶっ」
なにを吹きだしたのか自分でもわからないような、とてつもなく下品な音を出してしまった。それもそのはずで、俺は目が飛び出そうな
くらい驚いていた。
瑛治と姫桜ちゃんは、俺たちにまったく気付いていないようだ。そうでなければ、こんなところで、キスなんかするものか。
「あ……」
まどかちゃんもバッチリ見ているようで、絶句してしまった。
……ていうか、キス、長くね?何十秒するつもりだ、瑛治のやつ。こんなところで、なんでキスなんかしてんだ。人込みに紛れて、って
ヤツか?
「あ、えーと……その、他人のキスに、よく遭遇するなあ、俺たちは」
俺たちなんか、さっき付き合い始めたばっかだってのに。なんなんだ、いったい。
「や、やだ……梓くん、あんまりじっと見たら悪いよ……」
「……そーいう、まどかちゃんだって」
俺とまどかちゃんは、瑛治たちの濃厚なキスを、見たり目を逸らしたりしていた。友達のキスシーンに遭遇すんのって、こんなに気まずい
モンなのか。……しかも、長いし、濃いし。
次の瞬間、俺は姫桜ちゃんとばっちり目が合ってしまった。瑛治は気付いてないみたいだけど、俺たちの気付いた姫桜ちゃんは、必死に
瑛治の腕を振り解こうとしている。その様子が、なんだか面白い。
「……趣味悪いぞ、梓」
瑛治は姫桜ちゃんに俺たちの存在を教えられたらしく、急いで俺たちに駆け寄ってきた。
「べつに、見たくて見たわけじゃねーもん」
「いつから見てた?」
「ひーみーつー」
俺がおどけて言うと、瑛治がバシッと俺の頭をはたいた。なかなかに痛い。
「え、瑛治っ……その、あんなところでしてた私たちも悪いんだし」
姫桜ちゃんはものすごくバツの悪そうな顔をしていた。心なしか、顔が赤い。
「そうそう。あんなにがっつくなって、こんなとこで……」
「梓、頼むから黙れ」
瑛治の口調は怖かったが、おそらくただ照れているだけだ。ったく、誰に見られるかわかんないんだから、あんなキスは二人っきりの
ときにしろっての。
「そういうおまえはどうだったんだ?椎名と」
「ちょっと、瑛治っ」
姫桜ちゃんが瑛治のTシャツの裾を引っ張る。俺はにっこり笑ってまどかちゃんの手を取り、繋いでみせた。
「ま、こういうことで」
「うん……」
まどかちゃんは俺の顔をちらっと横目で見て、ちいさく頷いた。かわいいなあ、と思う。まどかちゃん、ホントに俺の彼女になったん
だよなあ……。
「……マジ?うまくいった?」
「見たらわかんだろ」
「まどかちゃん、よかったね!」
姫桜ちゃんはまどかちゃんの左手を取って、ぎゅっと握った。本当に嬉しそうな顔で笑っている。いい子だよなあ、この子。瑛治の彼女
なんだから、当たり前だけど。
瑛治と姫桜ちゃんは顔を見合わせて、「よかった」なんて言い合っていた。それがなんだかくすぐったくて、俺とまどかちゃんは、手を
繋いだままなにも話すことができなかった。
*
「……なあ、まどかちゃん」
岸浜駅で降りて、俺とまどかちゃんは二人っきりで夜の住宅街を歩いていた。
「なあに?」
アップにした茶色い髪が、すこしほつれていた。俺はまどかちゃんに合わせてゆっくりと歩きながら、「なんでもない」と答える。
「……もう、梓くんは」
まどかちゃんはくすくすと笑う。生暖かい風がゆるやかに吹いて、とても心地の良い夜だ。情けないことに、まだ心臓がどきどきして
いるけれど。
「―――すきだなあ、と思ってさ」
俺はぽろっと、そんな言葉をこぼしてみた。いままで響いていた下駄のカランコロンという音が、ふいに止まる。まどかちゃんが立ち
止まったのだ。
「まどかちゃん?」
「そんなこと言われたら、また泣いちゃう……」
まどかちゃんはそう言って、目尻を拭った。外灯に照らされて、まぶたがキラキラと光っている。
「……かわいいなあ、ほんとに」
俺は笑って、そっとまどかちゃんを抱きしめてみた。住宅街のど真ん中だけど、夜だから誰もいない。俺たちだけだ。
「あ、梓く……」
「まどかちゃんが、あんまりにも、その……かわいいから」
俺が言うと、まどかちゃんはゆっくりと俺の背中に手を回してきた。ためらいがちな、その不器用な仕草があまりにもかわいくて、
愛しくて、どうしようもない気持ちになる。
これからは、俺が、彼女を―――彼女を、守っていくのだ。
そんなことを唐突に思って、俺はまどかちゃんを抱きしめる腕の力を強めた。
全身全霊で、ありったけの想いを込めて、俺はまどかちゃんを大切にしよう。絶対に。
夏の夜、住宅街のど真ん中。
俺とまどかちゃんはお互いの想いを確かめ合うように、長いあいだ、ずっと抱きしめあっていた。