#47.二人
 
 
 
 
 「おまえ、まだ姫桜ちゃんと仲直りしてねぇの?!」
 「……いまいち、勇気が出なくて」
 「このダメ男め!どうすんだよ、ホントに別れられちまうぞ!」
 そう言って、梓が俺の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわす。……今日はしっかりセットしてきたのに。
 「おまえさあ、もっと自信持てよ。姫桜ちゃん、ちゃんと瑛治のこと好きなんだろ?」
 「……わかんね」
 「わかんねって、おまえ」
 「もしかしたら、あいつのこと好きになったかも」
 もう丸3日連絡をしていなかった。もちろん、姫桜からも連絡はない。
 早く連絡しなきゃとは思っているんだけど、いまいち勇気が出ない。いま梓に言ったことも冗談ではなかった。半分くらい、本気でそう
考えている。
 「……ったく、このバカ!いい加減にしろ!バカめ!」
 梓は「バカ」を二回言って、さらに俺の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわす。あーもう、しょうがねえな……。まあ、どうせ外出たら、髪なんて
ぺたんこになるんだろうから、いいけどさ。
 今日も昨日に引き続き、小雨が降ったり止んだりしていた。外はどんよりと薄暗くて、なんだか気分が上がらない。むしろ下がっていく
ような気さえする。
 
 「梓くんっ、なに言ってるの!」
 背後から、かわいらしい声がした。振り向かなくても声の主がわかる。
 「あ、まどかちゃ……」
 「いま久保くん、大変なんでしょ?バカとか言っちゃダメ!」
 お、珍しく椎名が怒っている。今みたいな状況のときに優しくされると、いつもの何倍も身に染みるなあ。
 「あ、いや……その、瑛治、ごめん」
 さっきとは打って変わって、梓はしょんぼりして俺の髪をいじくるのをやめた。鶴の一声、ってやつか。梓は本当に、椎名に逆らえない
んだなあ。
 しょぼくれた梓の姿がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまう。
 「笑うなって。俺、ホントに、まどかちゃんには弱いんだよ……」
 梓が椎名に聞こえないようにこっそりと俺に耳打ちする。椎名が不思議そうな顔をしてこっちを見ていたので、「いや、なんでもない」と
言っておいた。
 「でも久保くん、早く仲直りしてね。私、久保くんと姫桜ちゃんは、本当にお似合いだと思うの」
 「……」
 「詳しい事情はわからないけど、姫桜ちゃんも、きっと不安だよ。だから、久保くんから連絡してあげて。ね?」
 椎名にこう念押しされると、頷くしかなくなる。だから俺は黙って頷いて、ありがとう、と呟いた。椎名が満足そうに微笑む。
 「梓くん、もう久保くんにひどいこと言っちゃダメだからね」
 「わかった。……だからまどかちゃん、そんな怖い顔しないで」
 梓はもうタジタジといった感じである。あーあ、こりゃ、付き合い始めたらさらに尻に敷かれそうだな……。
 「え、私、そんなに怖い顔してた?」
 「してたしてた。いつものまどかちゃんとは大違い」
 「うそぉ」
 「嘘じゃないって」
 そう言って、梓が笑う。椎名は「怖い顔するつもりじゃなかったのに」と呟いて、恥ずかしそうに俯いてしまった。
 ……これでこいつら、付き合ってないんだもんな。絶対に両想いなんだから、さっさと付き合えばいいのに。
 俺はなんだかその場にいるのが申し訳なくなって、そっと席を立って廊下に出た。昼休みだというのに、雨のせいもあってか、廊下は
ひっそりしていた。みんな教室に引っ込んでいるんだろうか。
 携帯をチェックする。新着メール0件。着信も0件。……あまりにも悲しいので、いっそのこと電源を切ってしまおうか、と思う。
 
 こんなに連絡しない日が続くと、却ってしづらくなるモンなんだな。
 俺だって、何度電話しようと思ったかわからない。だけどなぜかできなくて、後悔と不安ばかりが先に立った。
 ……あのとき、俺が、ちょっと大人になってれば。あいつに、もっと言い返してやればよかった。今さらそんなことを言っても後の祭り
だけど、そんなことばかりを思う。
 今日の夜でも、電話してみようかな。ちょっと、いや、かなり怖いけど。
 連絡取らない限り、この状況がどうにかなるわけでもないし。自然消滅みたいになるの、絶対に嫌だし。
 「……あーあ」
 俺はため息をついた。ラブラブだったはずなのに、姫桜が変な男に捕まったせいで、散々だ。
 もしあいつのこと好きになってたらどうしようか。……どうすることもできないか。いや、でも、どうにかしようか。だって俺、姫桜の
こと、好きなんだ。
 そうだよ。俺、3年もあいつに片想いしてたんだ。俺の一途さは半端じゃない。もし姫桜に振られたとしても、簡単にあきらめられる
はずがない。
 だから大丈夫だ、とよくわからない根拠を持って、ようやく連絡を取る勇気が出てきたような気がした。
 
 
 
 
 
――姫桜視点――
 
 
 ―――ここ、だよね。
 午後4時すぎ、私は瑛治の家の前に立っていた。胸が、ドクンドクンと鳴っている。
 帰りのホームルームが終わってすぐ教室を飛び出してきて、いつもより早い電車に乗って帰ってきた。たぶん、まだ瑛治は帰ってない
はず、だけど。
 2時すぎまで降っていた小雨は今は止んで、鈍色の空だけが頭上にどんよりと立ち込めている。
 瑛治がいつ帰ってくるのかはわからないけど、帰ってくるまで待ってるつもりで来た。立ってうろうろしているのもなんだか落ち着か
ないから、私はその場にしゃがみこむ。
 「……ゆるして、くれるかな」
 ぽつりと呟く。謝って済むなら、何度も謝るけれど。
 
 雨が降っていたからか、じめじめしていて嫌な感じだった。濡れたコンクリートの匂いを嗅ぎながら、とにかく待つ。帰ってくるまで、
夜になっても、待つんだから。
 電話で話すんじゃなくて、直接話さなくちゃ。事前に連絡しないでいきなり瑛治の家まで来たのは、きちんと誠意を見せたいと思った
から。それに、電話なんかしたら、甘えそうで怖かった。直接会うのが怖くて、電話で済ませてしまいそうで。
 携帯を見る。新着メール0件。着信0件。……瑛治からの連絡は、ない。
 「はあ……」
 来たはいいけど、大丈夫かなあ。なんか不安になってきたかも。……でも、まだ10分しか経ってないよ。だめだめ、弱気になっちゃ。
 人を待つ、ということが昔から苦手だ。来るってわかっているはずなのに、そわそわして落ち着かない。わけもなく不安になる。
 ましてや今回なんて、来るかもわからないんだから―――。
 
 「……姫、桜?」
 へ?
 いきなり頭上から声が降ってきて、私は慌てて上を向いた。
 来るかもわからない、って思ったばかりだったのに。来た。瑛治だ。4日振りの、瑛治だ―――。
 「瑛治……」
 「な、なにやってんだよ。いつから待ってた?雨降ってたろ?」
 瑛治がおろおろして、私の腕をつかんで「とにかく立って」と言った。その手が温かくて、なぜか安心して、ふいに涙が零れてきた。
 すとん、と足の力が抜けて、私はその場に座り込んだ。だから当然、立ち上がることなんて出来ない。
 「姫桜、どうしたんだよ。大丈夫か?おい」
 「え、えい……じ……」
 瑛治の顔を見てから何分も経っていないのに、私は泣き出していた。
 「姫桜……どうしたんだよ、だから。泣くなってば……」
 瑛治は困ったようにそう言って、自分もしゃがみこんだ。私の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
 「わ、わたし……わたし……瑛治のこと……すき、だから……やだ……別れるなんて、やだぁ……」
 なにを突拍子もないことを、と頭ではわかっているのに、思っていることがそのまま口をついて出てくる。喉の奥が熱い。なにかを口に
出すだけで精一杯なくらい。
 「は?おい、なに言って……」
 「やだ、やなの……瑛治、ごめんね、謝るから、たくさん謝るから……ごめんなさい、瑛治、ごめんね……」
 いまの私、すっごくみっともないんだろうな。バカみたいなことを言って、バカみたいに泣いてる。
 でも、これがいまの私の気持ち。言葉で表せないくらいに募ってる気持ち。だから、思ったまんま、伝えるね。
 次々に溢れ出してくる涙を頬で拭うけど、ぜんぜん拭いきれない。こんなにぐちゃぐちゃな姿を晒しても、瑛治ならちゃんと包み込んで
くれるかもって、心のどこかで思っている。
 
 「姫桜……」
 瑛治は切なそうにそう呟いて、私をぎゅっと抱きしめてくれた。瑛治の匂い。やっぱり私、瑛治じゃなきゃだめだ。瑛治が、大好きなんだ……。
 「……ごめん、俺も、ずっと連絡しなくて」
 「私だって……」
 「俺、心配してたんだ。姫桜があいつのこと好きになったんじゃないかって。……そしたら、連絡する勇気、出なくて」
 「ばか……」
 「うん、俺、バカだ。ごめんな、姫桜。俺も悪かった」
 「……あんなやつ、好きじゃないもん。私、瑛治しか、好きじゃないもん」
 瑛治しかいない。私には、瑛治しかいない。だれかのためにこんなにボロボロになって、それでも失いたくないものがある―――そんなこと、
私はいままで知らなかった。
 「うん」
 瑛治は大きく頷いて、もっと力強く私を抱きしめてくれた。温かくて、安心した。嬉しい。私、瑛治の彼女でいていいんだ―――。
 
 
 「姫桜、立って。とりあえず、中入ろう」
 そう言って、瑛治がさっきみたいに私の腕をつかんで、私を立たせてくれる。
 「え?」
 「うち、入れよ。散らかってるけど」
 「え、え……いや、私、そんなつもりじゃ」
 「いいだろ、別に。いま誰もいないし、気遣わなくていいから」
 一瞬で涙が止まった。ちょっと待って。私、本当に、そんなつもりじゃ。そりゃあ、押しかけたみたいになっちゃったけど、でも、家に
入れてもらおうなんて、まったく……。
 「ほら、早く」
 瑛治が私の腕をぐっとつかむ。え、ちょ、ちょっと……こんなの、いきなりすぎるってば!
 私、瑛治の家に入るの、初めて……それに、さっき、誰もいないって。
 
 ……どうしよう。緊張してきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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