#42.大嫌いな男の突然の行動 姫桜視点
 
 
 
 
 「彼氏とは、うまくいってんの?」
 「えっ」
 私は危うく、食べかけのウインナーを床に落とすところだった。箸から滑り落ちたウインナーは、なんとかお弁当箱に落ちてくれた。
 「うまくいってるんでしょ?」
 友達の深雪が、畳みかけて言った。
 「うまくって、そんな……」
 「姫桜って、ホントにわかりやすーい。顔、真っ赤だよ」
 深雪は笑って、私に手鏡を差し出した。お弁当箱を置いて、鏡を覗き込む。……やだ、ホントに真っ赤だ。恥ずかしい。
 「もう2ヶ月くらい経つよね。付き合いはじめてから」
 「うん」
 「高校違うとなかなか会えなくって、つらいでしょ」
 「まあ、ね……」
 私は少し笑って、そう返した。お昼休み。私はいつも深雪とお弁当を食べていて、たまに、こうして恋の話なんかをする。
 まあ、深雪には彼氏がいないから、私がいろいろ喋らされる羽目になるんだけどね。
 それでも、深雪はすごく頼りがいがあるし、聞き上手だし、なんでも話せるいい友達だ。気が合うから、いつも一緒にいる。
 「見てみたいなあ、私。姫桜の彼氏」
 「やだ、恥ずかしいって」
 「なんでよ?ね、かっこいい?」
 「うーん……」
 かっこいい、って即答しそうになる。恥ずかしいから言わないけど。
 「そこ、迷っちゃダメでしょ。かっこいい、って言ってあげないと」
 深雪がニヤニヤして言う。やだなあ、もう。そんなこと、恥ずかしくて言えるわけないじゃない。
 
 「おい、香坂」
 「きゃっ」
 ふいに、頭上から声が降ってきた。びっくりして、今度は唐揚げが箸から滑り落ちる。またしても、お弁当箱に落下したけど。
 「なんだよ、その声。なっさけねえの」
 振り向くと、日向が立っていた。何かの本を片手に、イライラしたような顔をしている。
 「あれ、日向。なんか用?」
 深雪が笑顔で対応する。……なんでこんなやつに笑顔なんか振りまけるんだろ。私、絶対に無理。
 「お前ら、今日どうすんのかって。勉強会するっつってたろ」
 「あー、あれかあ。どうする、姫桜」
 「知らない」
 私はぶっきらぼうに言って、残りのおかずを食べることに専念しようと思う。
 「おい」
 私が唐揚げを食べ始めた瞬間に、日向が私の頭をこつん、と叩いた。「お前らがやりたいって言ったんだろ」。やっぱり日向はイライラ
しながら言った。
 「私が言ったんじゃないでしょ!深雪が……」
 「あ、じゃあ、私も姫桜も参加するー」
 私の言葉を遮って、深雪がのんびりと言う。
 「よし、わかった」
 日向は満足したように頷いて、イライラしていた顔を少し緩ませた。そして、自分の席に戻ってしまった。
 
 「ちょっと深雪!私は嫌だってば。日向なんかと勉強会なんて……」
 「学年1位の日向に勉強見てもらえんのよ?そりゃ、あいつは性格悪いけどね。でも、いい機会じゃない?」
 「そ、それは、そうだけど……」
 確かに日向は、並外れて頭がいい。うちの高校で学年1位なんだから、もう、ものすごく頭がいい。それはわかってる。
 問題なのは、あいつの性格の悪さだ。何かと言うとああやって突っかかってくるし、ひどいこと言ってくるし。それも、私にだけ、集中的に。
だから私は日向が大嫌いだ。
 「それに、私たちだけじゃないでしょ。野中くんたちも来るし、あとは……そうそう、麻衣たちも参加するでしょ。大丈夫だって」
 深雪は私の肩をポン、と叩いて言った。……慰めてるつもりなんだろうけど、全然慰めになってない。
 だからと言って、勉強会すっぽかしたら、明日、日向に何て言われるかわかんないし。これ以上悪口言われるの、やだし。
 ……しょうがないなあ、今日は勉強会終わったらさっさと帰ろう。今日だけだもん。もう絶対参加しないんだから。
 
 ふと、瑛治に会いたいなあ、なんて思う。
 いつも会いたいって思ってるけど、こうして嫌なことがあった日は特に会いたくなる。瑛治の顔見ると、安心するから。
 ―――高校違うとなかなか会えなくって、つらいでしょ。
 さっきの、深雪の言葉を思い出す。
 ……確かに、つらいよね。会いたいときに、会えないっていうのは。
 
 
 
 
 「……で、なにを教えてほしいんだ?」
 放課後、教室に集まった私たちは、その日向の問いかけに「数学!」と答えた。なにしろ日向は、前の模試で数学が全国1位だったのだ。
 「数学って、今の時期、教えるとこあんの?ていうか、俺、適当にやってんだけど、それでもいい?」
 日向がめんどくさそうに言った。私を除く全員が「いいですー」と大声で答える。
 「でもさあ、なんか、腹減らねえ?」
 野中くんが突然そんなことを言い出す。「あ、減った減った」「私もー」と、みんなも口々に言い出した。
 「頭働かねえなあ……と思ってたら、腹減ったからか。おい、香坂」
 もうどうでもいいってば、と机に伏せていたところで、急に名前を呼ばれて私はがばっと起き上がる。日向が、いつものイライラした表情で
私を見ていた。
 「寝てんじゃねえよ。買い出し行くぞ」
 「は、はあ?」
 「腹減って、頭が働かねえんだよ」
 そう言って日向は、「なに買ってこればいいんだ?」とみんなに訊く。みんなは、「菓子パン!」「アイス!」「お菓子!」など、口々に
言っている。
 「めんどくせえから、適当に買ってくる。おい、香坂。さっさと行くぞ」
 「な、なんで私が……」
 「なんとなく」
 ……この男。私、ホントに、ホントに、大嫌い……。
 「姫桜、お願いねー」
 「さっさと買ってこいよー。腹減ったんだって、マジで」
 ……じゃあ、アンタが行け。なんの罪もない野中くんに、心の中で毒づいた。
 
 ―――空気的に、行かなきゃいけない、らしい。
 
 私は黙って席を立ち、日向を睨みつけて、さっさと教室を出た。
 もう本当に、早く帰りたい。今日は最悪の日だ、と思う。
 
 
 
 「香坂、歩くの速いぞ」
 「……」
 「聞いてんのか」
 日向が私の腕をぐいっと掴む。振りほどこうとしたけど、予想以上に日向の力は強くて、振りほどけなかった。
 「離してよ!」
 「やだ。離したらお前、先に行くだろ?」
 振り向くと、日向の端整な顔がすぐそこにあって、びっくりした。慌てて前を向く。夏の強い陽射しが、日向の茶色い髪を照らしていた。
きれい、なんて一瞬思ってしまう。
 ―――性格も口も根性も悪いくせに、顔と頭はいいのよね、こいつ。そういうところも含めて、大嫌いだけど。
 「……先に行かないから、離して」
 小さな声でそう言うと、日向は素直に腕を離してくれた。「そんなに嫌がるなよ」と小さく呟いたのが聞こえた。
 「……香坂」
 「なによ」
 先に行かないって言ったけど、歩く速度はいつもより速くした。さっさと行って、さっさと帰ってくる。こんなやつと二人きりなんて、
ホント、冗談じゃない。
 「お前、ホントに、いんの?」
 「はあ?」
 「彼氏」
 日向が、ぽつりと、呟くように言った。予想もしていなかった話題なだけに、思わず「え?」と訊き返してしまった。
 「女子が話してんの、聞こえたんだよ。香坂、他校に彼氏いるって」
 鼓動が速くなっていた。日向にこんなことを訊かれるなんて、思ってもいなかったから。
 「……関係、ないでしょ」
 私は瑛治のことを思い出す。いま、瑛治に、すごく会いたい―――。
 「いるかいないかくらい、答えろよ」
 高圧的な態度にまたムカッとした。なんでこう、日向って、いちいち命令口調なんだろう。
 「……いる」
 私は短く答えて、歩く速度をまた速めた。なんだか妙な空気になりそうだ、なんて思ってしまったから。
 日向、なんでいきなりこんなこと訊くの?関係ないのに。私と仲悪いくせに。
 
 「香坂」
 日向が、再び私の腕を掴んだ。さっきより力が強い。
 「離してってば」
 私がそう言った瞬間だった。制服の胸ポケットに入っている携帯が震え出したのだ。
 深雪からかな。なにか、買ってきてほしいものが増えたのかもしれない。
 私は携帯を出して、小窓に表示された名前を見る。……思わず、ドクン、と胸が鳴った。深雪じゃない。
 
 『あ、姫桜。いま、大丈夫?』
 瑛治の声だった。一気に安心して、力が抜ける。その場に座り込みそうになる。
 買い出しに行く予定のコンビニまでは、あとほんの少しの距離だった。私は歩く速度を少しだけ緩めて、「うん」と答える。
 日向は、訝しげに私を見ていた。腕は離してくれたので、ほっとする。
 『この前の、花火大会の話なんだけどさ。梓がなんか、また4人で会おうって。んで……っておい、梓、おまえ、なにしてんだよ!』
 いつもの声が、途中で怒ったような声に変わった。電話の向こうで、梓くんの笑っている声が聞こえる。
 「梓くん、いるの?」
 『ああ、いるいる……だから、やめろって!いま電話してんだよ!』
 梓くんが何をしてるんだか全然わかんないけど、面白い様子は伝わってきた。思わず笑ってしまう。
 『ごめん姫桜、やっぱり後でかけ直す』
 「ううん。あ、瑛治、あのね……」
 なにを言おうとしたのか、自分でもよくわからない。だけどなぜか私は、無意識に瑛治を引き止めていた。
 『どうかした?』
 「あ、ううん。ごめんね。なんでもないの」
 なに、言おうとしたんだろう。私……。わからないまま、「じゃあね」と言って、電話を切ろうとした。
 そのとき―――。
 
 気付いたら、もう私の手に携帯はなかった。
 「あんた、香坂の彼氏?」
 どうしたんだろうと思う暇もなく、携帯は、日向に取られてしまっていたらしかった。らしかった、というのは、気付いたのが日向が
そんなことを言ったあとだったからだ。
 「日向、ちょっと、なにして……」
 「香坂、借りるよ」
 日向はそう言って、電話を切ってしまった、らしい。携帯をパタンと閉じて、私に渡して、何事もなかったような顔をしている。
 「……日向、アンタ、なにしてんのよ……」
 私は状況がよく理解できないまま携帯を開いて、瑛治の番号を呼び出す。何が起きたのかはよくわかっていなかったけど、日向がなにか
まずいことをしたっていうのは、わかる。
 謝らなくちゃ。とりあえず、瑛治に、電話……。
 「電話しちゃ、ダメだっつの」
 再び、日向に携帯を取られる。「返してってば!」と、大声で言ったけど、返してくれる気はないみたいだ。
 「なんでこんなことするのよ!さっさと携帯返して!」
 自分でもびっくりするくらい、大声が出た。それを恥ずかしいとか思う余裕は、当然、ない。
 「なんでって、お前、簡単だろうが」
 日向が再び私の腕をぐっと掴んで、意地悪い笑いを浮かべながら言った。
 
 「俺が香坂のこと、好きだから、だろ」
 
 
 
 
 
 
 
 
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