#24.最悪の状況
 
 
 
 
 香坂……。
 俺はその場に立ち尽くして、ただただ香坂を見つめていた。
 香坂は口を開かない。最初は驚いた顔をしていたのだが、今は無表情で、何を考えているかわからない。
 
 「久保くん」
 最初に口を開いたのは、俺でも香坂でもなく椎名だった。
 そうか。椎名にとったら、今の状況が何がなんだかわからないんだよな……。
 「久保くんの、お友達?」
 椎名が続けた。さっきと同じ質問を繰り返されているようで、言葉に詰まる。
 「友達、つうか……」
 俺の好きな人なんだけど。今目の前にいるこいつが、さっき椎名が訊きたがっていた俺の好きなやつなんだけど。
 だけどそんなこと、香坂を目の前にして言えることではない。
 
 この状況をどう打開していいかわからず、戸惑っていたその時だった。
 「……久保、彼女できたの?」
 香坂が小さな声で言って、「なんだ、そうなんだ」と勝手に一人で納得している。顔がすこし引きつっているような気がした。
 俺の口から勝手に「違うよ」と言葉が滑り落ちた。一番誤解されたくないやつに誤解されてたまるか。
 「いいわよべつに、隠さなくたって。彼女に失礼じゃない」
 「違うっつってんだろーが。椎名はべつに、んなんじゃ……」
 「照れない照れない。紹介くらいしてよ」
 香坂は笑っているけど、なんだか違う。いつもの笑顔と違って、無理して笑っているような……。
 「だから違うっつうの。椎名は……」
 「あ、あの……」
 俺の言葉を遮って、椎名が口を挟んだ。
 「本当に、違うんです。久保くんと私は、そんなんじゃ」
 笑っているつもりが逆に怖い顔をしている香坂に、椎名がびくびくしながら言った。
 「クラスメートだよ、ただの」
 俺も追い討ちをかける。こいつにだけは、絶対誤解されたくない。
 
 「……認めちゃえばいいのに。久保って、意外と恥ずかしがりやなんだから」
 気まずい雰囲気が流れたあと、香坂が口早にそう言って、にっこりと笑った。
 「こいつ、バカだけど見捨てないであげてね?意外に、優しいとこあるから」
 椎名にそう言って、「じゃあもう行くから」と俺たちの横を通りすぎる。足音はだんだん速くなって、歩いてるんじゃなくて走ってる
んだな、ということがわかった。
 ―――バカなのはお前だ。違うっつってんだろうが。
 俺は軽く舌打ちをして、香坂のあとを追おうとした。
 「久保くん……」
 椎名がいたこと、すっかり忘れてた。椎名は俺の腕を弱々しく掴んでいる。
 「先、帰ってて」
 今の俺の頭には香坂のことしかなくて、椎名にはそれだけ言い残して走った。
 
 香坂の足なら、簡単に追いつける。まだ、そんなに遠くに行っていないだろうし。
 俺は全速力で走った。部活を引退して以来、全速力で走ることなんてなかったから、ちょっとキツいけど。
 ちょっと走ると、香坂の後姿がすぐに見えてきた。
 「香坂!」
 俺は大声で叫んで、香坂の腕をがしっと掴んだ。
 「……久保……」
 香坂は呆然と俺の顔を見て、それから怒ったような顔になった。
 「なによ。彼女、置いてきたの?」
 「だから違うって!」
 俺は額に浮いた汗を手の甲で拭って、大声で言った。
 「……怒ることないじゃない」
 香坂が言って、しゅんとうなだれた。やべ、言い方キツすぎたか……。
 「ごめん」
 俺は謝って、無意識に香坂の頬に触れようとした。途中で我に返って、慌てて腕を引っ込めたけれど。
 
 「怒りたいのは私のほうよ。遊びに行こうとかなんとかって、言ってたのに……」
 香坂は泣きそうな顔になって、呟くようにぼそぼそと言った。
 「香坂……」
 「べつに、楽しみにしてたわけじゃないけど。アンタとの約束なんて、どうでもよかったんだけど。でも……」
 香坂は潤んだ目をごしごしこすった。言葉だけを聞けばかなりショックを受けそうなものだが、ぜんぜん説得力がないので、俺は違う
意味でショックを受けていた。
 ―――泣かせた。俺、香坂のこと泣かせた……。
 「ごめん、その……」
 俺はみっともなくオロオロして、必死で涙を堪えている香坂になんて言っていいか思いつかない。
 「昨日の約束、なしよね?彼女いるんだもん。私と遊びに行くなんて、絶対ダメだよね」
 香坂は俺を睨みつけて言った。堪えているのか止まったのか、瞳には涙は浮いていない。
 「俺の話も少しは聞けよ」
 「なんで聞かなきゃいけないの?じゃあなによ、アンタ、付き合ってもない女の子と一緒に帰るんだ」
 急に語勢が強まったので、俺はまたオロオロすることになった。泣いたと思ったら怒って、今日の香坂はわけがわからない。
 俺と香坂だって、一緒に帰ったことくらいあるだろ。そう言おうとしたけど、さらに逆上されそうなのでやめておいた。
 「言っとくけど、俺と椎名はそういう関係じゃないぞ。俺はあいつのこと、なんとも思ってないんだからな」
 「あら、そうなの?あんなに可愛い子と一緒にいて、なんとも思わないの」
 「思わねえよ。第一、俺、あいつのことよく知らないんだから」
 「よく知らない子と一緒に帰るの?久保って軽いのね」
 ……このままじゃ埒が明かないぞ。香坂はああ言えばこう言うやつだ。口で勝てる自信はない。
 
 「―――かわいくねえやつ」
 ヤバい、と思ったときには遅かった。既に言葉が口から飛び出してしまっていたのだ。
 「ああ、かわいくないわよ。アンタの彼女と違ってね」
 「ほんとかわいくねえな。違うっつってんだろうが」
 「もういいから、さっさと戻ってあげれば?私、もう帰るから」
 椎名はたぶん先に帰っただろう。一番事情がわかってないのは椎名だろうから、可哀相なことをしてしまった。
 「……あとでメールする。誤解だからな、本当に」
 「言い訳しなくていいわよ。せいぜい、可愛い彼女とお幸せに」
 香坂は大きい声でそう言い放って、さっさと歩いていってしまった。
 ああ、俺は、なんて浅はかなんだ―――。数時間前の自分の曖昧な返事を、俺は心から呪いたくなった。
 
 
 
 
 「瑛冶、どうだった?昨日、まどかちゃんと一緒に帰ったんだろ?!」
 次の日、学校に行くと、梓がやけにご機嫌だった。まあこいつは、いつもテンション高いけどな……。
 「ああ……」
 最悪だったよ。いや、椎名はべつに悪くないんだけど。全部俺が悪いんだけど。
 「なんだよ、浮かない顔して。まどかちゃんと二人きりで帰れるヤツなんて、そうそういないんだぞー?」
 「……梓。お前なら、どうする?」
 「え、なにが」
 「好きなやつに、変な誤解されたら」
 梓に相談なんかしてどうするんだ。そう思ったけれど、他にこんなこと相談できるようなやつ、いないしな……。
 ほとんど寝ていない頭が重い。そして、香坂から一向に返事のこない携帯はもっと重い。
 「お前、好きなヤツ、いるのか?」
 梓の呆気に取られたような声が、俺の耳の中でやけにでかく響いた。
 
 「―――そりゃあ災難だったな」
 梓が真剣に話を聞いてくれたのは意外だった。
 俺は簡単に昨日の出来事を説明して、香坂――梓には岸浜南に行ってる元クラスメート、と長い説明をしておいたが――との微妙な関係も
少しだけ話した。
 「しかし、岸浜南ねえ。すげえなあ……」
 「だろ?あいつ、本当に頭いいんだよ」
 まるで自分のことみたいに嬉しくなる。べつに、俺のものでもなんでもないのに……。
 「その岸浜南の彼女、瑛冶のこと好きなんだな」
 「え?」
 「つーか、両想いだろ。確実に。バカだなあお前ら、お互い意地張ってんじゃねえかよ」
 梓は豪快に笑って、「瑛冶、意外と女心わかってねえんだな」と得意そうに言った。
 「どういう意味だよ」
 「だからさ、瑛冶が好きなその子は、お前のことが好きなの。だからお前とまどかちゃんが一緒にいるところを見て怒ったんだよ。
妬いたんだな、たぶん」
 「香坂が……」
 香坂が、妬いた?俺と椎名が、一緒にいるところを見て……。
 昨日の香坂の言葉や表情を思い出した。なんつったっけ、あいつ……。
 『べつに、楽しみにしてたわけじゃないけど。アンタとの約束なんて、どうでもよかったんだけど。でも……』
 ―――泣いてた。あいつ、確かに泣いてた……。
 
 「香坂さんっていうのか。下の名前は?」
 「姫に桜で、きおって読む」
 「へえ、変わってんな」
 梓は笑って、「姫桜ちゃんに告白でもしてやれよ」と俺の肩を叩いた。
 「お前、女子を下の名前で呼ぶの、趣味か?」
 「女の子の名前って、かわいーの多いじゃん」
 梓がそんなしょうもないことを言ったので、俺は思わず笑ってしまった。
 俺はまた、いい友達を持ったらしい。
 そんなことを漠然と思って、また今夜、香坂にメールしようと思った。何通も何通も送ったら、さすがに返事来るよな……。
 
 「久保くん」
 背後から声がした。「お、まどかちゃん」と梓が嬉しそうに言ったけど、椎名は返事をしない。
 「……椎名、昨日は」
 「話したいことがあるの。今、ちょっといい?」
 俺の言葉を遮って、椎名が神妙な顔つきで言った。
 
 
 
 
 
 
   
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