#25.困惑、告白、さらに困惑
*
「椎名……」
椎名の顔はいつになく真剣で、嫌でも嫌と言えないような雰囲気だ。
「お願い。少しだけだから」
「わかった」
俺は立ち上がって、側に置いてあったカバンをつかんだ。椎名の話が終わったら、そのまま帰ろう。どうせ暇だし。
梓は陸上部に入っているけど、今日は部活がないらしい。俺はまたバスケ部に入ろうかさんざん悩んで、結局、そのうちバイトするだろう
ということでやめたのだ。
「んじゃ、俺は帰りますかね。二人はごゆっくり」
雰囲気を察したのか、梓はそう言い残して教室を出て行ってしまった。
俺と椎名、教室に二人きり。しーんとなった気まずい教室の中に、開け放たれた窓から入ってくる運動部の掛け声が空しく響く。
俺はとりあえず、カバンを机の上に置いた。教室には誰もいないのだから、ここで話すのだろう。
「あ、あのさ」
気まずい雰囲気を打ち破ったのは俺の方だった。こうしてずっと黙っているわけにもいかないし、俺だって昨日のこと、謝りたかったし。
「昨日、悪かったな。その、結局一人で帰して」
「ううん。べつにいいの」
「でも……」
「久保くんの好きな人って、昨日の人?」
「え」
いきなりそう言われて、俺は言葉に詰まってしまった。
「……なんだ、やっぱりそうなんだ。あの人、なんだか怒ってるみたいだったけど、ちゃんと仲直りした?」
椎名は微妙に笑って、そう言った。微妙に、というのは、椎名がなんとなくちゃんと笑えていない気がしたからだ。
「いや……」
「もしかして、こじれちゃった?私のせいだよね。私が一緒に帰ろうなんて言ったから……」
「いや、椎名は悪くないから。あいつが話聞かないでさっさと行っちまうからだよ」
俺は不自然な笑いでごまかす。椎名が悪くないのは事実だ。俺が曖昧な返事をしたのと、あいつが話を聞かないのが悪い。……まあ
要するに、俺と香坂が悪いのである。
「だいたいな、あいつ、ホント強情でさ。性格もかわいくねーし、口悪いし……」
椎名の口数が少ないので、気まずさをごまかすためにペラペラ喋りつづける。しかし口から出てくる言葉といえば香坂のことばかりで、
俺は自分でバカバカしくなってしまった。
「本当に違うのにな。俺と椎名、そんな関係じゃねえのに……」
「久保くん」
椎名の声は、二人きりの教室にやけに大きく響いた。
俺はゆっくりと椎名を見る。椎名の目にはうっすら涙が浮かんでいて、もう今にも零れ落ちそうだった。
「もういいよ。私が悪いんじゃないって、わかったから」
椎名が笑うと、零れ落ちた涙が椎名の頬を伝っていく。椎名が慌てて涙を拭った。
「椎名―――」
「やだな、なに泣いてんだろ。ごめんね。ただ、ちょっと悲しくなっちゃって」
「え?」
「久保くんが、あんまり嬉しそうに話すから。本当にあの人のこと大好きなんだなあって思ったら、自然に泣いちゃってた」
……嬉しそうに?俺が、香坂のことを?
あいつの悪口を言ったつもりだったのに。俺、そんなに嬉しそうな顔してたか?そう思うと恥ずかしくなる。
でも、なんで椎名が泣いたりするんだ?だって、俺が香坂のことを嬉しそうに話してたからって、椎名には泣く理由なんて―――。
「久保くんのこと、好きなの」
椎名のその言葉は、涙声だったけど、俺の耳にしっかり届いた。
―――もっとも、届いたところで、その言葉の意味がよく理解できなかったのだけど。
「……え?」
「私、久保くんが好きなの。入学式の日から」
俺が絶句していると、椎名がもう一度重ねて言った。それもしっかり聞こえたけど、やっぱり俺にはよくわからなかった。
……椎名が、俺のことを、好き?
なんだよ、そんなバカなことあるわけないじゃないか。だって、椎名だぜ?あの椎名が、俺のこと……なんて、まさか……。
ありえないだろ、そんなの。
頭の中が目まぐるしく回転している。ちゃんと理解しようとするけど、椎名が俺のことを好きという事実は、すぐに飲み込めるような代物
ではない。
「いきなりごめんね。でも、今日話したかったのって、このことなの」
―――マジで?
俺はてっきり、昨日のことで気を悪くしたのかと……。
「あ、あの……」
「でもね、久保くんには好きな人がいるから。だから、べつに、付き合ってほしいとか、そんなのじゃなくて。……できれば、そうして
ほしいけど」
ちょ、ちょっと待て。頼むから待ってくれ。
このまま喋らせておけば自己完結してしまいそうな勢いだ。俺はすっかり慌ててしまった。
「椎名、ちょっと待って。俺、よくわかってないから」
「あ、ごめん」
椎名は泣き笑いみたいな顔になった。素直に、やっぱり可愛いんだろうなと思う。
……椎名が、俺のことを好きで。んで、できれば付き合ってほしいと。
俺が梓なら0.1秒でオッケーしそうな話だ。だって椎名まどかだ。なんでよりによって俺なのかがそもそもわからない。
「……どうして?」
とりあえず今の出来事を飲み下して、最初の第一声がそれだった。
入学式のときからっていったって、俺と椎名は知り合いだったわけでもなくて、まったくの初対面だったのに。
「どうして……って言われてもなあ」
椎名は困ったように笑って、すこし考えるふりをした。
「ほとんど一目惚れ。でも性格も好きになったんだよ?面白い人だなって」
椎名はにっこりと笑った。あまりにきっぱり言うものだから、俺のほうが恥ずかしくなる。
「……なんで、俺に……」
一目惚れ……。謎だ。椎名の目はおかしい。
「でも、久保くん、好きな人いるんだもんね。それなら、しょうがないかな」
椎名が残念そうに言った。ちょっと、胸が痛む。
「まあ……」
悪いけど、俺は椎名と付き合うことはできない。すごく嬉しいけど。こんなに可愛い子に告白されることなんて、もうこの先二度とない
んだろうけど。
そう思ったら少しだけ勿体ない気がしてしまったが、やっぱり俺が好きなのは香坂だけなのだ。いくら素直じゃなくたって、怒りっぽ
かったって―――。
「……なんて、そんなの嘘だけど」
「は?」
「そんな簡単にあきらめないよ?だって、昨日の様子からして、久保くん、まだあの子に好きとか言ってないでしょ」
「……」
なんでわかるんだよお前!エスパーか?!
そう思ったけど、椎名の言ってることは図星なので、反論するにできない。
「私、こんなに誰かのこと好きになったのって、初めてなんだもん。簡単にあきらめるのは、やっぱり嫌」
「いや、でもな、俺……」
「あの子のこと好きなんだよね?わかってるよ。でも、私のこと考える余地って、ないかなあ……?」
「だから……」
椎名のこと考える以前に、俺、香坂の思考回路もよく理解できてないんで、無理です!そう心の中で叫んで、俺はいったい何をしてるんだ
という考えに至った。
「とりあえず、久保くんのことは本気で好きなの。だから、私、まだあきらめたくない」
―――ちょっと待て。だから、俺、好きな人が……。
椎名は、話を自己完結させてしまうタイプだというのが今日でわかった。自分で始めた話を、自分だけで終わらせた。まったく、見事だ。
「明日から連休だから、連休明けに返事ちょうだい?べつに私のこと好きじゃなくたって、後から好きになることってできるし」
見かけによらず強引な子だ。梓は、椎名がこんなんだっていうのを知ってて「まどかちゃーん」とか騒いでるのだろうか?
「……だからさ、俺、あいつのことが好きなんだよ」
椎名の言葉の隙を狙って、覚悟を決めて言ったようなつもりだったのだが、「うん。わかってるよ」とあっさり返されてしまった。
「でも私、久保くんのこと、好きにさせる自信がないわけじゃないから。久保くんが私のこと見てくれるの、待ってる」
そう言いきり、椎名は「じゃあ、帰るね。バイバイ」とさっさと教室を出て行ってしまった。
―――おい。なんなんだ、いったい。
一人教室に残された俺は、ぽかーんとしていた。
今起こった嵐のような出来事をきちんと整理するには、もう少し時間が必要らしかった。
*
桐島から電話があったのは、その日の夜のことだった。
「おう桐島、久しぶり」
椎名のことについて悶々と悩んでいた俺にとって、桐島からの電話はいつも以上に嬉しかった。
『元気か?』
「まあ、それなりにはな……。お前は?やっぱ勉強大変か?」
『そこそこ。でもなんとかやってるよ』
桐島の笑った声はなぜか俺を安心させた。それと同時に羨ましくもあり、こいつ、幸せそうだなあ……なんて、思ってしまう。
「お前はどーせ、風華ちゃんとよろしくやってるんだろうな……」
そうため息と同時に吐き出すと、『そ、そんなことねえよ!いつも通りだよ!』と予想した通りの反応が返ってきた。本当に、こいつは
素直じゃない。
「風華ちゃん、大切にしろよ」
『……わかってる。それよりお前、なんかあったのか?なんか声が暗いぞ』
「いや……」
『どうした?香坂となんかあったとか?』
「ああ……」
どうして桐島って、こんなに勘が鋭いんだろうか。
『じゃ、明日まとめて聞いてやるか。お前、明日空いてるだろ?』
「空いてるけど」
『そのつもりで電話したんだ。久しぶりに遊ぶかって』
「桐島……」
お前って、いいやつだな……。
香坂とケンカしたことも、椎名に告白されたことも、全部桐島に話してしまいたくなった。
『じゃあ明日、11時に駅な。行きたいとことかあるか?』
「特には」
『それなら、俺が適当に決めとくよ。何があったのか知らないけど、とりあえずさっさと寝て忘れろ』
「……あのなあ」
桐島らしい発言だ。俺は思わず苦笑を漏らす。
『じゃ、切るぞ。明日な』
「ああ」
桐島との電話を切って、一向にメールが来ない携帯を机の上に置いた。
―――しつこく送り続けたら、嫌われるよな。
深く深くため息をつき、ベッドにごろんと寝転がる。
考えても考えても頭がぐちゃぐちゃだ。考えがまとまらない。
とりあえず今日は、桐島の言う通りにするとするか―――。
電気消してねえや、と思っているうちに、どんどん眠りに落ちていく。
そのときに見えたのは、椎名の顔ではなく、やっぱり香坂の顔だった。