#15.サクラサク
*
「な、桐島。どう思う?合格発表まだなのに、卒業式やるって」
俺は本気で桐島に尋ねた。俺みたいに不安ばかりの状態で入試を受けた奴は、安心して卒業式なんて迎えられるはずがない。
「知らね。学校側が決めたからしょうがないんじゃねーの?」
「……いいよな、余裕たっぷりの奴は」
相変わらず冷静な顔をした桐島を、蹴っ飛ばしてやりたくなった。
今日――3月14日は、俺たちの卒業式だ。
入試が終わってからちょうど1週間が経ったが、実は合格発表はまだである。合格発表は19日らしい。
「ほんと落ちつかねえよ。もし落ちてたらどうすればいいんだよ」
「私立行けばいいじゃないか。久保、受かってたろ」
「そういう問題じゃねえっつの!」
体育館へと向かう廊下は、俺たち卒業生たちのお喋りで満たされている。先生たちがいくら注意しても、誰も聞きやしない。
「冗談だって。大丈夫だ、久保は多分受かってる」
桐島が珍しく笑顔で言った。
こいつがそう言うと、ほんとに受かりそうな気がしてくるんだよな……。不思議な奴だ、桐島は。
「はい、3年生、ちゃんと整列して下さい!そこ、うるさい!」
担任がうるさい女子たちをでかい声で注意する。
桜も咲いていないのに卒業する。俺としては、卒業式って桜が舞ってるイメージなんだけど。
窓の外を見ると、青い空が広がっていた。まだ雪が残っていて、屋根から雫が落ちているのが見える。
「おい久保、前進めって」
後ろの男子が俺に耳打ちする。やべ。もう入場始まってたのか。
体育館に入ると、人口密度が高いのと暑いのでもう出たくなった。こんなところに2時間もいなければいけないのだから、ちょっとした
拷問である。
整列は出席番号順だ。“桐島”と“久保”なので、桐島は俺の隣に座る。
「なあ久保、俺が寝てたら起こしてな」
「お前なあ……」
卒業証書をもらうときに一人ずつ名前を呼ばれるので、寝てたりなんかしたら大惨事だ。すげえ恥ずかしい思いするぞ、お前。
俺はそう桐島に言おうとしたのだが、もうすでに寝ようとしている。卒業式、まだ始まってないのに。
そんな俺も眠くなってきた。俺たち3組だし、まだ寝てても大丈夫か……卒業証書って、1組から順に渡されるんだよな。
こういうわけで、卒業式が始まって校歌斉唱のときにはもう、俺と桐島は半分寝ながら、口パクで校歌を歌っていた。
「あー、ほんと眠い。早く帰りたい。眠すぎる」
卒業式が終わってみんなホッとしたような顔で、教室に戻る。
「桐島、今日はやけに眠そうだな」
桐島は授業中めったに寝てない。というか、こんなに眠い眠いと連発するのを見たのは初めてかもしれなかった。
「……昨日、あまり寝てないんだ」
ちょっとした間があった。俺は桐島と付き合いが結構長いので、すぐにピンと来たが。
「風華ちゃんか?」
「あいつが昨日の夜に、卒業祝いパーティーとか言い出して、いきなり押しかけてきて……」
「いいじゃん。俺もしてほしいけどな。風華ちゃんみたいに可愛い子だったら」
俺がそう言うと、桐島は俺をギロッと睨んできた。寝不足の充血した目で睨まれると、いっそう怖さが増す。
「嘘、嘘だって」
「嘘じゃなかったら困る。あいつ、本気で久保のこと気に入ってんだから」
まだそんなこと言ってんのかよ。こいつ、かなりのやきもち妬きだよな。
教室に戻ると、卒業アルバムが配られた。
なんか、7000円もした割にはヘボいアルバムだなあ……なんて思いながら、適当にページをパラパラめくっていく。
あ、香坂。
『文化祭』と書かれたページに香坂が写っているのを発見して、もう一度そのページに戻る。友達と笑いながら楽しそうにしていている
香坂が写っていた。
「おい久保、香坂になんか書いてもらえば?」
ふいに後ろから桐島の声がしたので、俺は勢いよくアルバムを閉じた。
「なんだよ、びっくりさせんじゃねえよ」
「させてねーだろ。ほら、もうすぐ解散だとよ。なんか書いてもらえば?」
卒業アルバムには真っ白なページが2ページあって、それはみんなで寄せ書きかなんかをするためのページらしい。
「……別にいい」
「香坂とクラスメートでいられるの、今日で最後だろ」
桐島は鋭い。俺が考えてることを、なんでこういとも簡単に言い当ててしまうのだろうか。
俺と香坂がクラスメートでいられるのは、今日で最後だ。あと1ヶ月後には、全く違う場所で、別々の道を歩き出す。
「わかったよ」
俺は言って、友達と楽しそうに喋っている香坂の方に行った。
「あれ、久保」
驚いたような顔で俺を見た香坂に、何も言わないで卒業アルバムを渡す。まだ何も書いてもらっていない、真っ白なままの2ページ。
「……書けばいいの?」
おそらく今、俺の顔は真っ赤だろう。恥ずかしさでもう死にそうだ。
香坂がくすっと笑って、俺からアルバムを受け取った。
香坂は、綺麗な字でさらさらと書いていく。こういうことしてもらってるっていうことは、もう本当に卒業なんだな、なんて思いながら。
「はい」
「……どうも」
俺は俯きながらアルバムを受け取った。まともに香坂の顔を見れない。いつもは喧嘩ばかりだから、こういうのはすごく気恥ずかしい。
「卒業してもよろしくね」
香坂はそう言って笑った。こいつは、その言葉が俺をどんなに喜ばせるか知らないのだ。
「顔が真っ赤だな」
「うるせえ」
桐島は笑いを堪えているような顔だった。元はといえば、お前が香坂に書いてもらえなんて言ったくせに。
『久保とは3年間同じクラスで、なんか知らないけど漫才コンビとか言われてたよね。でも久保としゃべるのは楽しくて好きだったよ。
3年間一緒だったから、久保がいない教室は寂しい気がします。
これから違う高校に行くけど、たまにメールしようね。』
今日の香坂は、よっぽど俺のことを喜ばせたいのか。
俺だって寂しい。毎日見ていた香坂を、4月からは見ることさえできなくなる。
「俺も切ないんだからな、そんな悲しそうにすんなって」
桐島が、慰めるように俺の肩をポンポンと叩きながら言う。
「お前は家が隣だからいいだろうが」
「そういうわけにもいかねーんだよ。実際さ、大した会わないんだよな」
……そうは言うけど、お前らは恋人同士だろ。でも、俺たちは恋人でもなんでもなくて、ちょっと仲のいいクラスメートってだけだった
んだよ。
桐島なりに俺を慰めてくれてるんだろうけど、全然慰めになっていない。
まあそれは言わないことにして、担任が解散と言うのをおとなしく待つことにする。
明日から香坂のクラスメートじゃなくなって、もしかしたら、あと1年後には俺のことなんてあいつはもう忘れてるのかもしれない。
今まで3年間、同じ学校とか同じクラスにいられたことがどんなに幸せだったかってことが、今日はじめてわかったような気がした。
―――今度はいつ、香坂に会えるんだろう。
ざわざわした教室の中、俺は一人で空虚感に襲われていた。
*
3月19日午前9時55分、光台高校前。
今にも泣きそうな顔をした女子とか、自信満々の奴とか、いろいろな表情をした受験生がいた。
俺はどちらかというと泣きそうである。恥ずかしいから、本当に泣きそうな顔はしないけど。
合格発表は午前10時。俺の受験番号は669番である。
今日だけは神様を信じようと思った。669番がありますように。
携帯を見る。9時59分。
玄関が開いて、先生たちが大きな板を運んでくる。それに合格者の受験番号が書いた模造紙のような紙を貼ってあるのだ。
先生たちがそれを玄関の柱に立てかけると、受験生たちはいっせいに板の前に走っていく。
誰かが「受かった!」と大きな声で叫んでるのが聞こえる。その声が一層緊張を強めた。
ゆっくりと見ていく。658、659、661、662、665……668、669……。
え?
もう一度確認する。今、669って、あったよな?
669。
あった。確かだ。669番と書いてある!
受かった―――。
「うん、受かったよ。うん、うん」
まずは家に連絡した。家には母さんと梨乃がいて、梨乃が電話に出た。
『ほんと?見間違えとかじゃないわよね?』
梨乃が心配そうな声を出す。梨乃じゃあるまいし、そんなことしねえって。
「何回も確認したから大丈夫だって」
『わかった。じゃあ、お母さんがいろいろ作って待ってるって』
「うん」
電話の向こうで、母さんも梨乃も喜んでいるのがわかった。
梨乃との電話を切ったあとで、すぐ着信が鳴った。桐島からだ。
「はい?」
『俺は受かったけど』
その切り出し方に、思わずプッと吹き出してしまう。
「俺も受かった」
『よかったな。風華にも伝えとくわ。俺の結果よりお前の結果の方が心配してたからな』
「桐島は余裕だったからだろ。ま、おめでと」
『お前もな』
そう言って、電話は切れた。まあ、桐島が合格するのは分かりきっていたことだ。
香坂はどうだったんだろう。
夜でもメールしてみるか。……いや、でも万が一ってことがあるからな。岸浜南だし、ダメだったとしても全然おかしくない。
もし受かってたら、あっちから来るか。それは俺の自惚れってやつなのか。
―――待て待て。俺は合格して嬉しくて、他のことなんて考えられないはずなのに、なんで香坂のことまで考えてるんだ。わけがわからないぞ。
帰りのバスを待ってる間もずっと気を揉んでいたのだが、バスが来る直前に一通のメールが届いた。
『件名:合格したよ!
ちゃんと無事合格できたよ!久保はどうだった?』
香坂だった。
……なんだよ、ちゃんと受かったのか。
『件名:俺も
俺もなんとか合格。よかったな、おめでとう』
相変わらずそっけないメールを香坂に送信して、パタンと携帯を閉じる。
安心した。俺も桐島も、そして香坂も、合格した。春から歩いていく道が、明確になったのだ。
すごく嬉しかった。今年はじめまでは落ちる可能性の方が高かったのに、合格できた。実際、ダメかもしれないって思ってたし。
―――よかった。本当によかった。
“合格”という一足先の春が来て、あとは入学を待つばかりだと思った。
この春休みが、俺と香坂にとってすごく大事なものになること。この春休みの間に、俺と香坂の関係が微妙に変わっていくこと。
そんなこと知らなかった―――那津さんと香坂が、一緒にいるのを見るまでは。