#14.3月7日、公立高校入試
*
「うるせぇ……」
午前5時40分。
俺は無意識にそう呟いて、大音量で鳴り響く携帯のアラームを止めた。
寝坊したら大変だと思って、最大音量にセットしてあったのだ。家族全員が起きるんじゃないかと思うくらいの、けたたましい騒音である。
3月に入ったとはいえ、北海道はまだまだ寒い。布団から出るのはかなり億劫だが、起きなければどうしようもないのだ。
俺は布団を蹴飛ばして、枕元の携帯を取る。
まだ半分くらい起きていないのか頭がぼーっとしているが、起きたらすぐに香坂にメールをしようと考えていたことは明確に覚えていた。
ただ、まだ眠いために文面がちっとも思い浮かばないだけで。
「……先に顔、洗ってくっか」
俺は携帯を放り投げ、カーテンを開ける。
東の方がうっすらと明るい。窓を開けると、外の空気は凛として冷たくて、眠気覚ましにはちょうど良い。
体を半分くらい乗り出して、思い切り深呼吸した。今日が、本番の日なのだ。
そう思ったら、なぜか居ても立ってもいられないような気持ちになった。今日で、とりあえずすべてが終わるのだから。
……まあ、明日は面接あるんだけどな。
面接とは言っても、形式上のものだ。並外れて変な回答をしたり、飛び抜けて態度が悪かったりしなければ、その面接では落とされない。
しかも光台高校は集団面接だから、そんなに緊張しない。面接なんていつも通りにしていればいいのだから、勝負はやっぱり今日の
学力検査だ。
俺は窓を閉めて、顔を洗いに下に降りていった。
母さんがまだ卵焼きを焼いていたので、朝ご飯の前に制服に着替えてしまうことにした。
……その前に、携帯に向かう。
6時5分前。香坂はもう起きているだろう。
『件名:無題
今日は本番だな。俺も頑張るから香坂も頑張れよ』
これだけじゃあまりにもそっけないか。俺、本当にメールって苦手なんだよな。
そもそも俺って文章力ないし、絵文字とかもどういう風に使えばいいかまったくわからない。
―――いろいろと考えた末、これでいいかと思った。俺のメールがそっけないものだというのは香坂は十分知っている。
『送信完了』の画面を見て、携帯を閉じる。
さっさと制服着て、飯食うかな。
「あ、瑛冶。もうご飯食べる?」
下に降りていくと、母さんが卵焼きやら魚やらをテーブルに準備していた。
「なんか、今日の朝飯はやけにおかずが多くねえか?」
いつもならパンで済ましたり、ご飯と味噌汁しかなかったりするのに。
「当然じゃない。今日は本番なんだから」
母さんは笑って言うと、ご飯と味噌汁をよそってくれた。
俺は恥ずかしいのとちょっとだけ嬉しいので、何も返さずに黙って椅子に座った。
梨乃といい母さんといい、いつもはしてくれないようなことばっかりしてくれるから、照れてしまう。
「お父さん今日休みだから、高校まで車で送ってくれるみたいだけど、どうする?」
「あ、いいわ。バスで行くから」
普段、仕事で帰りが遅くてあまり話をしない父さんでさえ、そんなことを言ってたのか。
家族が、俺が思っていたよりも俺に関心を持ってくれていたことについて、驚く反面、少し嬉しかった。
いつもよりおかずが多かったので、腹がいっぱいになった。食べ過ぎたかも、ってくらいだ。
7時36分発のバスに乗って、15分で光台高校前のバス停に着く。高校までは徒歩で3分らしい。
鞄の中――受験票、財布、参考書など――を確認して、腕時計をした。
携帯を見ると、メールが一通来てる……香坂からだ。
『件名:本番だね!
相変わらず久保らしい、そっけないメールありがとう。メール見たとたん、ちょっと笑っちゃった。
久保は3学期入ってから、すごく頑張って勉強してて、私立も受かったから、その調子で本番もきっと受かるよ!
私はすごい緊張してて、実は朝ご飯もそんなにいっぱい食べれなかったんだ。
お互い頑張ろうね。今日と明日が終われば、あとは卒業するだけだし、遊べるし!
じゃあ、健闘を祈ってます!』
メールを読み終えると、なんだかホッとしたような気持ちになった。
それと同時に、俺たちはあと1週間ほどで卒業するのかという、ほぼ忘れていた事実を思い出す。
あと1週間後には、もう、俺と香坂はクラスメートでいられなくなる。それどころか、学校も違ってしまうのだ。
そう考えるとなんだか寂しくてやりきれない気持ちになった。
……それよか、本番だろ。俺は数学の参考書を鞄から引っ張り出して、公式の確認をする。
香坂の緊張がうつったみたいに、俺もお腹が痛くなってきたような気がした。
父さんと母さん、そして梨乃に見送られて、家を出た。
私立入試の日と同じくらいの快晴だ。良かった。
香坂や桐島は、もうとっくに家を出ただろう。
香坂はともかく、桐島が受験する岸浜北までは、まずここから一番近い南沢駅から岸浜駅まで10分、岸浜駅から高校までバスで15分と
言っていた。
バス停まで行くと、同じく光台を受験するクラスメートが何人かいた。
「俺、絶対落ちる……」
「俺もだよ。光台、結構ギリギリなんだよ……」
受ける前からそんな絶望的なことを言っている奴がいる。やめてくれよな、俺までそんな気がしてくる。
光台は平均的なレベルの高校だから、倍率は割と高い。頭はいいけど進学校に行きたくない奴とか、単に家から近いから受ける奴とか、
理由は様々だ。校則も特に厳しくないため、人気があるらしかった。
……そう考えると、落ちそうな気がしてくる。逆に考えると、俺なんかより頭のいい奴が、たくさん受けるかもしれないのだ。
ダメだダメだ。こんなこと考えたら本当に落ちるぞ。
暗い考えを消そうとしているうちに、バスが来た。
バスの中はしーんとしていて、話をしている人はそんなにいない。何しろ、乗っている人の9割は受験生だ。
俺は黙って、また数学の参考書を見た。ただの気休めだ。今から何をしたって無駄なことはわかっている。
ただ俺は、今まで頑張ってきたことを全部出し切ればいいのだ。
机の隅に受験票。シャーペン2本と、消しゴムと、三角定規とコンパス。
全部準備してから、また気休めの参考書を出して見た。
光台高校は、やっぱり公立高校だけあって、私立校より質素な感じがする。
「席に着いて下さい。学力検査についての注意事項などの確認をします」
男の先生が入ってくると、みんな急いで席に着く。
「まず机の上に置けるものは、受験票と筆記用具だけです」
先生がが話し始めて、やっと今日が本番なんだと実感が湧いてきた。
そうか、本番なんだよな……。
「試験は8時50分からの開始です。国語、数学、社会、理科、英語の順に行います。試験開始5分前までには着席しているように」
試験が始まるまで、あと20分。きっと始まってしまえば、すぐに終わってしまうのだろう。
1教科50分。その短い時間の中で、今まで勉強してきたことをすべて出し切れるか。
公立高校の入試問題はどこの学校も同じだし、開始時間も一緒なはずだ。香坂も今ごろ、俺と同じくらい、いや、俺よりも緊張している
のだろう。
香坂の笑顔を思い出したら、なんだか落ち着いてきた。不思議だ。
香坂も、ちらっとでも、俺のことを思い出してくれていたらいい。
「問題を配布します。席に着いて下さい」
さっきの先生が教室に入ってきた。開始まであと5分。
問題が配られている間に、時間は着々と過ぎていく。あと3分、2分、1分……。
「はい、開始して下さい」
チャイムと同時に先生が言って、一斉に問題用紙を開く音がする。
―――とりあえず全力で。
シャーペンを握る手に力がこもる。第一問目の解答を、震える手で書いた。
*
「ただいまー……」
「瑛冶、どうだった?」
俺が帰ると、梨乃はすぐに俺のところに来た。心配してくれていたらしい。
「結構できた。受かってるかはわからんけど」
なかなかの好感触だった。合ってるか合ってないかに関わらず、ほぼ全問を埋めた。
「お母さん、入試速報録画してくれたみたいだけど。自己採点、するでしょ?」
「ああ……自己採点か」
ぶっちゃけ言うと、めんどくさい。そんなのは後にして、飯食ったら風呂入って、さっさと寝たいというのが本音だ。
疲れきっていた。というか、言葉にできないような安堵感があった。
「先、飯食う。明日面接だから、とりあえず今日は寝るよ」
居間に行くと、テレビではずっと入試速報が流れていた。ちらっと見たら、あ、この答え書いた、というのが結構あったので安心する。
「瑛冶、どうだった?」
母さんが唐揚げを揚げながら、心配そうな顔で台所から顔を出した。
「まあまあ」
自己採点をめんどくさいなんて思いつつも、入試速報に目がいってしまう。やべ、理科あんまし点数良くないかも。
ちょっと見ただけだけど、国語と数学と社会は割とできていた。理科と英語は微妙だ。
ちゃんと採点したわけではないので適当だが、点数はそんなに悪くないんじゃないかと思う。
風呂から上がると、桐島からメールが来ていた。
『件名:おつかれ
自己採点で245点。久保は?』
……さすがだ。300点満点で245点。すげえ。やっぱ桐島は頭いいんだよな。
『件名:おつかれさん
多分200点はいったかな。205点くらい』
そう返して、ベッドに寝転がる。まだ8時半だけど、寝よう。明日に備えなければならない。
机の上は散らかっていた。だけど片付ける気には到底なれず、そのまま寝ることにした。
力が抜けた。
残っているのは面接だけだ。その面接は、わずか10分くらいで終わってしまう。
今日と同じバスで行って、午前中には帰ってこれるはずだ。
学校に行くのはあと4日だ。そのうちの1日は卒業式で、3日は卒業式の練習で終わってしまう。
あっという間だ。俺の中学校生活ももう終わる。
香坂や桐島とも別の学校で、新しい環境でスタートする。
そんなことを考えると寝れなくなりそうで、それ以上考えるのをやめた。
そういや香坂は、どうだったかな……。
あいつなら、260点はいったな。いや、270点くらいか。どっちにしても、俺には到底届かない点数だ。
うとうとしていたのだが、本格的に眠くなったので電気を消す。
そして、面接でどう答えるかを、ゆっくりと考えた。