#16.初対面
 
 
 
 
 晴れた空の下、俺は自転車を漕いでいた。
 3月末だが、まだ雪は解けきっていない。だが路面はもう凍っていないから、自転車に乗っても大丈夫だ……と思う。
 桐島が珍しくうちに来いと言うので、俺は桐島の家に向かっているわけだ。
 
 「おじゃましまーす……」
 「今、誰もいないから。母さんはもうちょっとしたら帰ってくると思うけど」
 桐島はそう言って、先に上にあがってていいぞと付け加えた。お菓子やらお茶やらを出してくれるらしい。
 静かに階段を上がって、桐島の部屋のドアを開く。
 相変わらず整理整頓された部屋だ。なんか、余計なものがないって感じ。
 ゲームとかマンガとかが散乱している俺の部屋とは違って、桐島の部屋にはマンガが一冊もない。ある本といえば小説だけだ。
 
 「久保、麦茶しかなかったけどいい?」
 「おかまいなく。そういやお前、音楽聴くの好きなんだな」
 俺は、棚にずらっと並んだ洋楽のCDを見ながら言った。
 「まあ……それなりには」
 「それにしても、わけわかんねーのばっかだなあ。もっとこう、有名なのって聴かねーの?」
 もっとも、俺が知らないだけかもしれないけど。俺が聴く曲といえば邦楽ばかりで、洋楽は全く聴かない。
 「洋楽好きな奴の間では、割と有名なのばっかだと思うんだけどな……」
 桐島はそう言い、大量のCDの中から1枚を抜き取って、そのCDを流そうとした。
 「俺、洋楽なんて聴いたら眠くなるからやめろ」
 俺はそれを慌てて止める。英語の曲ってだけで眠くなる。絶対に寝てしまう。
 
 暇だなあ、と思った。だが、暇な割には時間が経つのが早いような気がする。
 桐島の家には2時頃に着いたのだが、もうすでに2時半を回っているのだ。
 まあ、受験でバタバタしてたから、こういうのもいいか。
 「俺の家、考えてみたらなんもねーからな。暇だな」
 俺の気持ちを読み取ったみたいに、桐島が言った。
 まあ、あのずらーっと並んだ洋楽のCDと本しかないもんな。洋楽好きの奴と本好きの奴は喜ぶと思うけど、俺はあいにくどちらにも
当てはまっていない。
 「カラオケでも行く?」
 さっき、ちょうど音楽の話題になったのでそう提案してみたが、男2人でカラオケは寂しいか。
 桐島も同じことを考えていたらしく、首を横に振った。
 
 「―――香坂とは、連絡取ってるか?」
 ふいに桐島がそんなことを言ったから、びっくりして飲んでいた麦茶を吐き出すところだった。
 「な、なんだよ、いきなり!」
 「気になったんだよ」
 「取ってねえよ。合格発表の日以来」
 考えてみたら、最後に香坂とメールした日からもう10日ほど経っている。
 香坂のことを忘れていたわけではなくて、むしろ結構考えたりしたのだが―――。
 ああそうか。こうやって香坂は、俺の生活から消えていくのか。なんの前触れもなしに、少しづつ。
 そう思ったらやけに寂しいし、嫌だ。すごく好きなひとが俺の中から消えていくのが嫌でたまらない。
 「外、出るか」
 「え?」
 「気分転換しようか。今日特に暖かいし、なにもずっと家にいることないだろ」
 俺は思ったことがすぐに顔に出るらしい。少なくとも、こいつにはいつも見透かされている。
 
 「どこ行くんだよ。俺、チャリで来たぞ」
 「せっかくだから歩こうぜ。自転車は帰るときに取りに来たらいい」
 靴を履きながらそんな話をする。
 「もう春だな」
 外に出た瞬間、太陽の光が眩しかった。今日は本当に空が青い。
 「じゃ、行くか……」
 桐島はそう言いながら歩き始めようとした――が、止まった。
 「どうした?」
 「あ、いや。なんでもねえ」
 桐島が見ている方から、声がした。……風華ちゃんの家の玄関に、誰かがいる。
 「風華ちゃんがいるのか?」
 女の声がしたから、風華ちゃんが誰かと喋っているのかと思った。
 桐島は何も言わない。なんでかはわからないけど―――。
 
 「……うん。それで、お兄ちゃんはどうなの?」
 「ああ、いつも通りだよ」
 にこやかな男の人がいた。女の方が後ろ姿だからわからないけど、背は普通くらいだ。ってことは、風華ちゃんじゃない。
 でも今、『お兄ちゃん』って言った。風華ちゃんじゃないとしたら、誰だ?
 ―――そんなのはわかっている。あいつには、“お兄ちゃん”と呼んでいる人がいるだろう。風華ちゃんの家の玄関先にいるあの男の人は、
那津さんだ。
 
 「あれ、雨響くん」
 にこやかな男の人――那津さんは、桐島に気付いたらしい。変わらずにこやかな顔で、こっちに手を振っている。
 それにつられて、女の人が振り向いた。その人の顔は、びっくりした顔に変わっていく。
 「久保……と、桐島くん」
 香坂は驚いた顔で、那津さんはにこやかな顔で、こちらを見ている。
 
 
 
―――姫桜視点―――
 
 
 なんでここに、久保がいるの?
 そう思ったけど、理由はすぐにわかった。そうか、当たり前だ。お兄ちゃんの家の隣は、桐島くんの家なんだもん。
 
 「もしかして知り合い?あ、雨響くんとは同じクラスなんだっけね」
 「どっちも同じクラスだよ」
 私はお兄ちゃんにそう返して、相変わらずびっくりした顔の久保を見る。ちょっと髪が伸びたなって思った。
 「久保、なんでそんなにびっくりしてるの?この人、風華のお兄ちゃんだよ?」
 「……知ってる」
 久保の顔はなぜか引きつっていて、お兄ちゃんをあまり見ようとしない。
 なんだろ。久保らしくないな。
 「久保くんっていうんだ。はじめまして」
 お兄ちゃんは相変わらずにこにこしながら、久保にそう言う。
 「あ……はじめまして……」
 久保は緊張したような顔で、やっとまっすぐお兄ちゃんを見た。顔はやっぱり引きつってるけど。
 ……どうしてだろう。お兄ちゃんはさっきからずっとにこにこ笑っているし、とても親しみやすい人だ。
 やっぱり今日の久保は変だ、と思った。お兄ちゃんとは初対面のはずだから、顔を引きつらせる理由なんてないじゃない。
 
 「そうだ。雨響くん、合格おめでとう。まだ言ってなかったよね?」
 「あ、ありがと……」
 桐島くんは、お兄ちゃんとはとっても仲がいいし、お兄ちゃんのことを慕ってるって風華が言ってた。なのに桐島くんの顔まで、
微妙に引きつっている。
 「そうそう、風華、卒業式の前日にまで押しかけたんだって?ごめんね。風華、本当に雨響くんが大好きで……」
 「あ、いや、全然大丈夫だよ。うん」
 桐島くんは若干照れてるみたいだ。久保が小声で、「卒業式、爆睡してただろうが」と呟いたのが聞こえた。
 「仲いいんだね、久保くんと雨響くんは。姫桜はどっちとも仲がいいのかな?」
 お兄ちゃんがそう言ったとたん、久保の顔色が少し変わったのがわかった――とは言っても、なんで変わったのかはわからない。
 「仲いいっていうか、久保とはケンカ友達。桐島くんは口数少ないから、そんなに話さないよね」
 私がそう言うと、久保は無視して、桐島くんは黙って頷いた。
 ―――なによ久保ってば。感じ悪いんだから。
 「雨響くん、学校ではあんまり喋んないんだね。風華といるとすごい喋るのに」
 「那津兄ちゃん、久保にバカにされんだから、そんなこと言うなよ」
 桐島くんが苦笑いしながら言った。確かに久保って、風華のことで桐島くんをからかってそう。
 それなのに、久保はなんにも言わなかった。いつもなら、ここで桐島くんのことをからかって、それで、見ている私まで面白く
なってきて……。
 ……って、何考えてんだろう。なんで久保の態度にいちいちビクビクしなきゃならないのよ。
 「じゃ、那津兄ちゃん、そろそろ行くわ」
 「あ、出かけるところだったんだね。行ってらっしゃい」
 行ってらっしゃいって……お兄ちゃん……。まるで桐島くんのお母さんみたいな言い方するのね。その物言いが面白かったので、
心の中で少し笑ってしまう。
 「じゃあね」
 「……ああ」
 久保に言ったのに、返事はこれだけ。
 なによ、変なの。私、なんかしたっけ?
 
 「姫桜、なんか考えこんでるみたいだけど、どうしたの?」
 久保と桐島くんの後ろ姿が見えなくなると、お兄ちゃんは心配そうに私に言った。
 「ううん、なんでもない。そろそろ私も帰るね」
 お兄ちゃんのところにはつい1時間くらい前に来たばかりだったけど、帰ろうって思った。
 落ち着かない。あいつの態度のせいだ。
 「春からは、姫桜が後輩か」
 「来年は風華も、お兄ちゃんと私の後輩だよ」
 「そうだね」
 こうやってお兄ちゃんと笑い合っているのが幸せだ。他愛のない話をして、『姫桜』って呼んでもらって。それが私の一番の幸せだ。
 お兄ちゃんに彼女がいたっていなくたって、私がお兄ちゃんを好きなことに変わりはなくて、それはこれからも変わることのない
はずだった。
 だけど今だけは違った。お兄ちゃんと話してて、こんなに落ち着かないのははじめてだ。
 あいつのせい。
 全部、久保のせいだ。
 
 
 お兄ちゃんと別れて、家までの道をゆっくりと歩いた。
 もう路面が凍ってないから自転車で来てもよかったんだけど、こんなに天気がいいから歩きたくなったのだ。
 ……久保のことなんて、どうでもいいはずなのに。
 別にあいつが私にどんな態度を取ろうが知ったことじゃないし、気にしてないけど。
 ……久保のバカ。私が何したっていうのよ。
 
 どうだっていい。そうやって、自分に言い聞かせる。
 久保はただの友達だし、別に、雰囲気悪くなったって構わないし。
 ―――本当に?
 本当よ。ただの友達だもん。
 自問自答を繰り返すけど、納得できる答えなんて見つからない。
 
 久保は、私のなんなんだろう。
 ただの友達?違う。違うから、こんなに気にしてるんだ。
 じゃあ……何?
 なんで私、こんなに動揺してるんだろう―――?
 
 
 
 
 
 
 
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