#08.12月24日の偶然
 
 
 
 
 暇だ。本当に、暇だ。
 俺は午後からずっとベッドで寝たり起きたりして過ごしていたのだが――まあ、そのうちの1時間はゲームをやっていた――、暇で暇で
仕方がない。
 とりあえず起きて時間を見ると、もう4時半だ。窓の外はもう暗くなってきている。
 
 今日は12月24日の日曜日。恋人たちのクリスマスだ。きっと街は、ラブラブカップルたちでにぎわっていることだろう。
 無論桐島たちも例外ではなく、桐島に『お前たち、クリスマスはデートか?』と訊くと、『……風華がデートしたいって言うから』と、
照れくさそうに答えてくれた。
 風華ちゃんというより、本当は桐島がラブラブデートをしたいだけのくせに。奴は本当に素直じゃない。
 しかし、彼女がいない俺にとっては辛い1日なだけだ。
 だから今日は1日中ゴロゴロして、だらだらと怠けてやろうと思っていた。
 好きな人と両想いになれる見込みがない俺は、浮かれきった世間から目を背けて、一人でひきこもってやろうと思っていたのだが。
 
 「暇だ……暇だ……」
 今日1日で何回呟いたであろう「暇だ」を連呼する。
 思えば俺は、休みの日に一人で家にいることなどめったにない気がする。
 いつも買い物に行ったり、友達と遊んでたり、こうして1日中部屋の中にいるということは今までなかった。まあ、テストとかがある
ときを抜いてだけど。
 友達とメールでもしようと思ったのだが、誰からも返信がこない。当たり前だ。俺の友達にはなぜか彼女持ちが多い。
 なのに俺はこうして、いつもより少し豪華な夕飯と食後のケーキを待つばかりだ。寂しい。あまりにも寂しすぎる。
 ―――こんなわけで、当然勉強する気にもなれず、だいぶ怠けきった1日を送ってしまったというわけだ。
 
 
 「4時40分か……」
 もう、何かをできる時間帯ではない。では、この寂しい1日の最後をどうやって締めくくろうか。
 そう考えて思い至ったのは、なぜかコンビニに行くことだった。
 コンビニで一人用の小さなケーキでも買ってみようなどと思った。
 うちから一番近いコンビニまで、歩いて7分くらいだ。
 今日は一歩も外に出ていない。新鮮な冷たい空気を吸うのもいいだろう。
 着替えて、上着を着て、部屋を出る。
 「あら瑛冶、こんな時間にどこに行くの?」
 母さんは張り切っていて、やっぱりいつもより豪華な夕飯になりそうだ。
 彼氏とラブラブらしい大学生の姉ちゃんは、今日は多分帰ってこないだろう。
 「ちょっとコンビニに」
 そう言って、靴を履いて外に出る。
 
 「さみ……」
 マフラー、巻いてこればよかった。外は思った以上に冷え込んでいる。
 コンビニまではまっすぐ1本道だ。住宅街を抜けて、少し店が並んでいる通りに出た。
 本屋で一人立ち読みしている男の人とかは、多分俺と同じく彼女がいない人だろう。
 俺ってつくづく、すげえ寂しい奴なんだな……と思いながらため息をつく。
 雪は降っていないけど月が出ている。これはこれでロマンチックなんだろうな。
 冷たい空気の下、手を繋ぐ恋人たち。
 俺も香坂と、そうなれたら―――。
 ……って、何考えてるんだ。
 頭に浮かんだ想像を慌てて打ち消す。そんなことは絶対にありえないのだから。
 「いらっしゃいませ」
 なかなか綺麗な女の店員さんの営業スマイル。少し喜んでしまう自分―――やっぱり俺って、相当寂しい奴だ。
 ケーキやプリンが並ぶデザートのコーナーに行って、ティラミスらしきものを手に取る。
 ……焼きプリンも美味しそうだなあ。いや、こっちの苺がのったケーキも……。
 少し迷った挙句、“一番クリスマスらしい”という理由で苺のケーキに決め、レジに持っていこうとした、そのときだった。
 
 「久保!」
 後ろから声がして、振り向いた。
 「香坂……?」
 俺と同じく、苺のケーキを持っていた奴。
 それは紛れもなく、香坂だった。
 
 
 
 「はははっ。アンタと考えることが一緒だったなんて、本当に笑えるわー」
 香坂が豪快に笑う。
 「俺はどっちかっつーと驚きだよ……まさか、クリスマスに会うなんて」
 「ホントだよね。クリスマスにまで久保に会っちゃうなんて、思ってなかった」
 お互い買った苺のケーキを持って、コンビニの近くの児童公園のベンチに座った。
 でも寒すぎて、どうしてもケーキを食べる気にはなれない。
 「寒いなあ……」
 「寒いね……」
 ほとんど同時に口に出して、お互い笑い合う。
 ……外に出て、よかった。あの瞬間、あのコンビニに行くことを決意して、よかった。
 ついさっきまでは自分を寂しい奴、寂しい奴……と思っていたのに、今では自分が世界一ハッピーな奴だと思っている。俺って単純だ。
 
 「あれ?」
 ふと、香坂が持っているコンビニ袋に目をやって、苺のケーキが二つあることに気付く。
 「ケーキ、二つあるじゃん。誰かと食うつもりだったのか?」
 「あ、ああ……」
 香坂は焦ったように笑って、黙った。
 ……訊いちゃいけないことだったのか?
 
 「―――お兄ちゃんに、あげようって思ったんだけど」
 お互い言葉を発しないまま5分くらいが経過して、香坂が口を開いた。
 「香坂、兄ちゃんなんていたっけ?」
 俺たちは中1からの付き合いだから、家族構成は知ってるつもりだったのだけど。
 「ううん、違う。従兄妹のお兄ちゃん」
 「へえ……?」
 「風華のお兄ちゃんだよ。優しい人でね、私も結構可愛がってもらってて……」
 風華ちゃんの兄ちゃんにあげようと思ったのなら、風華ちゃんの分も買うのが普通じゃないのか?
 俺はそう思ったけど、何故か口にしなかった。言ってはいけないような気がしたのだ。
 「でも、やめたの。気付いたから」
 「なにを?」
 「お兄ちゃんに、彼女がいること。きっと今日は出かけてるから、家にいないなって思ったの」
 香坂はすごく寂しそうにそう言った。
 外灯に照らされた香坂の顔を、俺はあまり見ることができなかった。
 あまりに寂しそうで、痛そうで、見てはいけないと思ったのだ。
 
 
 「……俺、食ってやろうか?」
 「え?」
 「お兄ちゃんの分、食ってやるよ」
 俺はそう言いながら、香坂のコンビニ袋を取り上げる。
 「だって久保、同じの買ったんじゃ……」
 「苺のケーキ、俺の好物だから。何個でも食える」
 実を言うと一個で十分なんだけど。
 嘘をついた自分に心の中で苦笑しながら、俺は“お兄ちゃん”の分を勝手に食べ始めた。
 「ちょっ、久保!」
 「やっぱうまいな、うん。ケーキって最高だよ」
 「何言ってんの!馬鹿じゃないの、久保って……ホントに……」
 香坂の声が消え入るように小さくなったから気になって見ると、香坂の頬を一筋だけ涙が伝っていった。
 だけど俺はあえて見ない振りをして、ケーキを食べ続ける。
 知ってはいけないし、見てはいけない。
 香坂の好きな奴が誰であろうと、俺が知ったこっちゃない。
 
 
 
 「香坂の家、ここ?」
 「うん。ありがと」
 あの後俺は黙々とケーキを食べ続け、香坂はずっと黙っていた。
 だが香坂一人で帰すのはあまりに危険なので、少し遠いが家まで送ってきた。
 「ごめんね。こんなに遠いところまで」
 「いや、別に。暇だし」
 「……ケーキも、ありがとう」
 香坂は小さな小さな声でそう言って、俺の手に少しだけ触れた。
 香坂が触れた部分だけが熱くなる。香坂にとっては、ほんのお礼のつもりだろうに。
 「じゃ、また明日、学校で」
 「うん。気をつけて帰ってね」
 俺は香坂に背を向けて歩き出す。多分香坂は、俺の姿が見えなくなるまで家に入らないだろう。
 
 
 
 家に帰って、豪華な夕飯が待っていたにもかかわらず、俺は部屋に引っ込んだ。飯はあとで食べればいい。
 いいクリスマスだった――香坂に会えるとは。
 そう思った。本当に、心から、そう思ったのに。
 なんでこんなに苦しいのか。
 香坂の頬を伝った、あの一筋の涙ばかりを思い出す。
 
 
 ―――お兄ちゃん。
 
 風華ちゃんのお兄ちゃん。香坂にとってもお兄ちゃん。
 ただの?ただの、お兄ちゃんなのか?
 違うだろう。あいつにとっては、ただのお兄ちゃんじゃない。
 そうじゃなかったら、泣いたりしない。
 
 俺はその“お兄ちゃん”を知らないけれど。
 きっとその人は、岸浜南に通っているのだろう。
 きっとその人が、香坂が岸浜南を受験する“理由”なのだろう。
 そうだろ?
 なあ、香坂。
 
 
 今日俺は、香坂に会うべきだったのか。
 会わないほうがよかったのだとしても、きっと会う運命だった。俺は今日、香坂に会わなければいけなかったのだ。
 
 甘ったるいケーキの味が口の中に残っている。
 “お兄ちゃん”のケーキ。香坂が、“お兄ちゃん”の為に買ったケーキ。
 
 
 12月24日、15歳のクリスマスイブは。
 俺にとって、良くも悪くも、忘れられない一日となったのだ―――。
 
 
 
 
 
 
 
 
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