#09.ナツという存在
 
 
 
 
 「あ、久保。おはよ」
 クリスマスイブ翌日、教室に入るなり香坂とばったり会ってしまった。
 しかし香坂は昨日のことなどすっかり忘れている様子で、俺の肩をぽん、と叩いた。
 「おう……」
 「どしたの、久保。元気ないね。明日から冬休みなのに」
 「……」
 そうだ、今日は確かに終業式だ。そして明日から冬休みだ。
 だが俺にとってはもはや、そんなことを気にしている余裕はなかったのだ。今俺の目の前にいる香坂のせいで。昨日のことが、気になって
しょうがなかったせいで。
 「……やだ、もしかして、ケーキのせい?」
 「はあ?」
 突拍子もないことを口にする奴だ、まったく。
 あまり寝ていないせいでぼーっとしていて、思わず間抜けな反応をしてしまった。
 「だって久保、自分の分も食べたんでしょ?」
 「……あのなあ、そんなことで腹壊したりしねえって」
 まあ、さすがに二つもケーキを食ったので気持ち悪くはなった。もう当分ケーキは見たくない。もともと俺は、甘いものが得意ではないのだ。
 「じゃ、なんだろ……?」
 香坂にはわからねえよ。俺のことなんか、眼中にない香坂には。
 俺はそう思ったが黙って香坂の横をすり抜け、自分の席に向かう。
 
 
 「よう、朝から冴えない顔してんな」
 「……そういうお前は、楽しかったみてえだな。クリスマスのラブラブデート」
 いつもより少し機嫌がいい桐島を横目に、俺はため息をつく。
 「なんだよ、なんかあったのか?」
 「あったんだよ。お前が風華ちゃんとイチャイチャしてる間にな」
 そう言うと、「い、イチャイチャなんてしてねえって!だから、風華が、手繋ぎたいって言うから……」と桐島は訊いてもいないことを弁解
してくれる。
 「お前らがラブラブだってのは、わかってっから。うん」
 それにしても羨ましい話だ。可愛い風華ちゃんと、ラブラブなクリスマスを過ごしたとは。
 俺にもそんな日が来るのだろうか?……いや、一生来ない気がする。
 
 「で、なんかあったのか?」
 いつもの冷静さをやっと取り戻した桐島は、真面目な顔をして俺を見た。
 「まあな。本当なら昨日は、一人きりのオンリーロンリークリスマスを過ごす予定だったんだけど」
 「香坂と会ったのか?!」
 桐島は机から身を乗り出した。俺と香坂が二人で出かけたとでも思っているのだろう。
 「違う違う。夕方、コンビニにケーキ買いに行ったら、ばったり」
 「そりゃまた、奇遇な」
 そして桐島は「しかし、なんだってケーキなんか買いに行ったんだ、お前」と付け加えた。
 「寂しすぎるクリスマスに華を添えてみようと思っただけだ。そこは気にするな」
 「なんだか久保って、すごく可哀相な気がしてきたな、俺……」
 桐島はそう言って俺に同情と哀れみがこもった視線を投げてきたが、俺はあえて気にしないことにする。
 「それで、ちょっと公園で話をしてたんだけど」
 「おお!それは良かったじゃないか」
 「うん、俺もそう思ってたんだけど」
 “お兄ちゃん”という単語が香坂の口から飛び出してくるまでは、自分は世界一ハッピーだ!と思っていたのは言うまでもない。
 
 「香坂の好きな奴かもしれない人が、わかったかもしれない」
 「……なんだそれ、やけに自信なさげだな」
 俺はまだ香坂の好きな人の存在を認めようとしていない。まだどこかで、否定しつづけている。
 それが“岸浜南の2年”から“お兄ちゃん”に変わったからといって、俺が認めたくないというのは変わらなかった。
 「多分、従兄妹の兄ちゃんだと思う」
 「は?」
 「香坂の好きな奴。岸浜南の2年で、従兄妹の兄ちゃん。すっげえ意外だよな」
 俺は軽く言ったが、口に出してからその事実の重さに心の中で愕然とした。
 香坂の好きな人は、思いもよらない人なのかもしれないのだ。
 しかも、俺には到底届かないような位置にいる人。秀才で、香坂のすごく近くにいる。
 「……待てよ、岸浜南の2年で、従兄妹の兄ちゃん?」
 桐島はなぜか考え込むようにしている。
 「どうかしたか?」
 「……那津兄ちゃん……?」
 桐島は俺に聞こえないような小さな声で呟いた。
 ナツ?
 ナツって、誰だ?
 
 「桐島、ナツって誰だ?」
 「え、あ、いや……別に。悪い、勘違いした」
 俺が不思議に思って尋ねると、桐島はなぜか焦ったように答えた。
 「それよりさ、もう冬休みだろ?お前、もう勉強の計画立てたか?」
 「え?まあ……それなりに」
 急に話題を変えた桐島を不審に思いつつも、曖昧に答える。
 本当は大した計画など立てていない。苦手な英語を他の教科よりたくさんやろう、くらいのものだ。
 「ダメだぞ、それじゃ。勉強は計画的に……」
 桐島はやけに明るい口調で言った。
 いくらなんでも変だ。
 それに、桐島は嘘をつけるタイプの人間じゃないから、嘘をついているのがすぐにばれる。
 さっきのことだ。
 ナツっていう人のことを、俺に知られたくないのだ。
 
 「ほら、席着け」
 ふいに担任の声が頭上から降ってくる。
 「はい」
 桐島が静かに返事をして、自分の席についた。
 「起立、礼」
 日直が号令をかける。いつもの朝だ。
 だが俺はそれどころではなかった。
 
 香坂の好きな人。岸浜南の2年で、従兄妹の兄ちゃん。
 桐島が呟いた「ナツ」という人。
 ……同一人物か?
 香坂が好きかもしれない奴は風華ちゃんの兄ちゃんだ。だから桐島も知っていておかしくない。
 それが、「ナツ」という人なのか?
 脳が活発に働く。誰が誰なのかよくわからなくて混乱する頭を整理する。
 そして俺はやがて理解した。
 香坂の好きかもしれない人。風華ちゃんの兄ちゃん。
 それが「ナツ」という人だということを。
 
 
 ―――ひとまずすっきりしたが、香坂の好きな奴の名前を知っていったい何になるっていうんだ。
 確信が深まって、余計に俺がショックを受けるだけではないか。
 進路と冬休みの過ごし方について長々と説明する担任の話はまったく聞かず、俺は香坂の方をちらりと見た。
 真剣な面持ちで担任を見ている。さすが香坂だ。
 だが俺は思ってしまう。
 昨日、コンビニでケーキを買ったときも、俺と公園で話していたときも、そして今、担任の話を真面目に聞いているときも。
 香坂はひたすら、「ナツ」という人のことを考えているのだろうか。
 俺がひたすら、香坂のことを考えているように。
 
 香坂に好きな人がいるとわかったくせに。
 昨日、香坂がそいつのために泣いたのを見たくせに。
 なおも俺は、香坂のことが好きなのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
―――こんなにも俺は、香坂を想ってしまうのだ。
 
 
 
 
 
 
 
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