#03.桐島の彼女
*
嘘だろ、と思った。
あの香坂が。
まあ確かに、顔はまあまあ可愛いほうだし、活発で、明るいけれど。
誰かに、恋をしている。
あの香坂が。
「あ、あれ?久保くん、まさかホントに姫桜のこと……」
「ちげーよ。そんなわけないだろ」
八神が慌てたように言ったので、俺も慌てて否定した。
「ほんとにぃ?怪しいよね、なんか」
「本当だって。誰があんな可愛くないガリ勉女……」
「誰がガリ勉だって?」
げっ、タイミング悪い。
香坂が、試合を終えて戻ってきたらしい。
「あ、姫桜。お疲れ〜」
「理菜、こいつ今、なんて言ったの?」
「可愛くないガリ勉女だって」
「おいおい、八神!」
元はと言えば、お前が原因を作ったんだろーが!
そう叫びたいのをぐっとこらえて、恐る恐る香坂の顔を見る。
「……香坂さん?」
「アンタ、そうやって、私のいないところで私の悪口を―――」
「違う違う違う!これは、その、まあ……タイミングが悪かったってことで」
「ほんと、久保って腹立つ!大嫌い!」
香坂はそう言って、八神を連れてどこかに行ってしまった。
「あーあ、振られたな、久保」
いつも俺と香坂を夫婦だとからかってくる奴に、言われた。
「うるせえっつの」
心の底からそう思った。
こいつも、八神理菜も、うるさいんだよ。
知らなくてもいいような情報だけ残していきやがって。
おかげで、気になって今日は眠れないだろう。
「……桐島、今日帰りにどっか行かね?」
「悪い、今日はパス」
神に祈るような気持ちだったのに、あっさりと一蹴された。
ったく、今度は数学の問題集かよ。
しかも香坂と同じ「トップレベル問題集・数学中3」だし。
「なに、なんかあんの?」
「……してんの」
桐島が呟くようにぼそっと言った。
「え?」
「一緒に帰る約束、してんの」
問題を解く手を一瞬だけ止めて、言った。
顔を赤くしながら。
「あっそ。いーなあ、ノロケかよ、お前」
「ち、違うって!一緒に帰らないと、拗ねるから!風華が!」
「へえ、風華ちゃんっていうのか」
「だから……」
俺はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて桐島を見る。
でも、内心では驚いていたのだ。桐島がこんなに慌ててるとこ、はじめて見た。
「なんか、普段クールな奴をいじめんのって、気分いいな」
「……お前が性格悪いってこと、今気付いた」
桐島が「はあ……」という深いため息と共にそう呟いた。
ということで。
桐島は大好きな彼女と一緒に帰って、俺は香坂に振られてしまった、と。
……絶対、理不尽だ。
俺が何をしたというんだ。
さすがにさっきの「大嫌い!」は堪えたぞ。
好きな奴に「嫌い」と言われたら、俺は、もう、立ち直れん。
でもあれだって、もともと悪いのは八神理菜なんだ。
そうだ、あいつが!
あいつが、香坂の好きな奴の話なんか持ち出してくるから、こんなことに……。
俺は誰もいない教室で一人寂しく「ああああ……」と頭を抱えていたのだが、それがとてもくだらなくて虚しい行為だと気付くまでに
そんなに時間はかからなかった。
帰ろう……。
好きな女に「嫌い!」と言われた男は、一人虚しく、帰ろう。
んで家帰って受験生らしく勉強して、少し長風呂して、早めに寝よう。
うん。そうだ。それがいい。
そう思って立ち上がり、玄関へと向かう。
外は至極寒そうだ。俺みたいな寂しい奴は、凍えて死んでしまうくらい。
靴を履いて、外に出ようとする。
そのとき。
「響ちゃん、ほら、早く帰るよっ!」
「いや、でも俺の友達がな?なんか落ち込んでて……」
「だって響ちゃん、今日は一緒に帰るって約束したもん」
「まあそうだけど!ほら、俺とお前は家が隣同士だろ?だから、いつでも会えるし」
「でも……」
少しの間きょとんとして聞いていたのだが、しだいに、なんとなくわかってきた。
ピンと来たのだ。この声の主に。
声のする方にそっと近付いていく。
俺は、ニヤリとした。
ビンゴだ。
桐島が、そこにいる。
「なーにやってんの?」
俺は語尾にハートマークがつく勢いで桐島に話しかけた。
「う、うわっ」
「なんだよ、その化け物でも見たような顔」
驚いて顔色が変わっている桐島の横で、びっくりして俺を見ているのは噂の桐島の彼女だろう。
……いや、まあ、俺も驚いたが。
ここに桐島がいることにも驚きだが、それ以上に驚いたのは、桐島の彼女が想像していたのと全然違ったからだ。
俺が想像していたのは、美人で、すらっと背が高い女の子。
だが実際に桐島の彼女としてここにいるのは、小さくて、小学生みたいに幼い顔をした女の子。まあ、可愛いけど。
「はじめまして、風華ちゃん?」
「あ、響ちゃんの友達ですか?」
声も可愛い。高くて、ほんとに小学生みたいな声。
「桐島、お前ロリコン趣味か」
桐島の方に向き直って、言ってやる。
「違うって!……いや、否定は、できないけど」
桐島はだいぶしどろもどろになっている。
「つか、響ちゃんって、かなり笑えるよな」
「しょうがねえだろ!風華は、昔から俺のことそう呼んでるんだから」
「だって、響ちゃんって、呼びやすいんです。ほら、雨響って、へんてこりんな名前だから」
「そうだね。確かに、へんてこりんだね」
そう言って俺は、“風華ちゃん”と笑い合った。
……しかし、可愛いなあ。
こりゃ、ロリコンじゃなくてもやられるわな。すっげえ意外ではあったけど。
「風華ちゃんって、可愛いね。俺の彼女になんない?こんなのより」
「そうですねー。それもいいかも」
「こら!口説いてんじゃねえ!あー、風華もっ!騙されそうになってんじゃねえよ!」
桐島が焦ったり怒ったりしているのを見て、なんだか安心した。
いや、安心したってのはおかしいか。何に安心してんだがよくわからない。
でも、とにかく。
なんかうらやましいっていうか。
好きな人の為に、一生懸命になってんのが。
訊いてみっかなあ。
香坂に、直接。
「好きな人いんの?」って。
唐突にそう思って、それはなかなかにいい考えだと思った。
桐島と風華ちゃんはまだなんだか言い合っていた。
外は寒そうだ。でも、俺はこれ以上二人の邪魔をしないようにさっさと帰ることにする。
香坂はいつから、その“岸浜南の2年”を想っているのだろうか。
これから先―――たとえば、この雪が解けて、春になったとしても。
まだ香坂は、その人を好きでいるのだろうか。