#03.桐島の彼女
 
 
 
 
 嘘だろ、と思った。
 あの香坂が。
 まあ確かに、顔はまあまあ可愛いほうだし、活発で、明るいけれど。
 
 誰かに、恋をしている。
 あの香坂が。
 
 
 「あ、あれ?久保くん、まさかホントに姫桜のこと……」
 「ちげーよ。そんなわけないだろ」
 八神が慌てたように言ったので、俺も慌てて否定した。
 「ほんとにぃ?怪しいよね、なんか」
 「本当だって。誰があんな可愛くないガリ勉女……」
 「誰がガリ勉だって?」
 げっ、タイミング悪い。
 香坂が、試合を終えて戻ってきたらしい。
 
 「あ、姫桜。お疲れ〜」
 「理菜、こいつ今、なんて言ったの?」
 「可愛くないガリ勉女だって」
 「おいおい、八神!」
 元はと言えば、お前が原因を作ったんだろーが!
 そう叫びたいのをぐっとこらえて、恐る恐る香坂の顔を見る。
 「……香坂さん?」
 「アンタ、そうやって、私のいないところで私の悪口を―――」
 「違う違う違う!これは、その、まあ……タイミングが悪かったってことで」
 「ほんと、久保って腹立つ!大嫌い!」
 香坂はそう言って、八神を連れてどこかに行ってしまった。
 
 「あーあ、振られたな、久保」
 いつも俺と香坂を夫婦だとからかってくる奴に、言われた。
 「うるせえっつの」
 心の底からそう思った。
 こいつも、八神理菜も、うるさいんだよ。
 知らなくてもいいような情報だけ残していきやがって。
 おかげで、気になって今日は眠れないだろう。
 
 
 
 「……桐島、今日帰りにどっか行かね?」
 「悪い、今日はパス」
 神に祈るような気持ちだったのに、あっさりと一蹴された。
 ったく、今度は数学の問題集かよ。
 しかも香坂と同じ「トップレベル問題集・数学中3」だし。
 「なに、なんかあんの?」
 「……してんの」
 桐島が呟くようにぼそっと言った。
 「え?」
 「一緒に帰る約束、してんの」
 問題を解く手を一瞬だけ止めて、言った。
 顔を赤くしながら。
 
 「あっそ。いーなあ、ノロケかよ、お前」
 「ち、違うって!一緒に帰らないと、拗ねるから!風華が!」
 「へえ、風華ちゃんっていうのか」
 「だから……」
 俺はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて桐島を見る。
 でも、内心では驚いていたのだ。桐島がこんなに慌ててるとこ、はじめて見た。
 「なんか、普段クールな奴をいじめんのって、気分いいな」
 「……お前が性格悪いってこと、今気付いた」
 桐島が「はあ……」という深いため息と共にそう呟いた。
 
 
 
 ということで。
 桐島は大好きな彼女と一緒に帰って、俺は香坂に振られてしまった、と。
 ……絶対、理不尽だ。
 俺が何をしたというんだ。
 さすがにさっきの「大嫌い!」は堪えたぞ。
 好きな奴に「嫌い」と言われたら、俺は、もう、立ち直れん。
 でもあれだって、もともと悪いのは八神理菜なんだ。
 そうだ、あいつが!
 あいつが、香坂の好きな奴の話なんか持ち出してくるから、こんなことに……。
 
 俺は誰もいない教室で一人寂しく「ああああ……」と頭を抱えていたのだが、それがとてもくだらなくて虚しい行為だと気付くまでに
そんなに時間はかからなかった。
 帰ろう……。
 好きな女に「嫌い!」と言われた男は、一人虚しく、帰ろう。
 んで家帰って受験生らしく勉強して、少し長風呂して、早めに寝よう。
 うん。そうだ。それがいい。
 そう思って立ち上がり、玄関へと向かう。
 外は至極寒そうだ。俺みたいな寂しい奴は、凍えて死んでしまうくらい。
 靴を履いて、外に出ようとする。
 そのとき。
 
 「響ちゃん、ほら、早く帰るよっ!」
 「いや、でも俺の友達がな?なんか落ち込んでて……」
 「だって響ちゃん、今日は一緒に帰るって約束したもん」
 「まあそうだけど!ほら、俺とお前は家が隣同士だろ?だから、いつでも会えるし」
 「でも……」
 
 少しの間きょとんとして聞いていたのだが、しだいに、なんとなくわかってきた。
 ピンと来たのだ。この声の主に。
 
 声のする方にそっと近付いていく。
 俺は、ニヤリとした。
 ビンゴだ。
 桐島が、そこにいる。
 
 
 「なーにやってんの?」
 俺は語尾にハートマークがつく勢いで桐島に話しかけた。
 「う、うわっ」
 「なんだよ、その化け物でも見たような顔」
 驚いて顔色が変わっている桐島の横で、びっくりして俺を見ているのは噂の桐島の彼女だろう。
 ……いや、まあ、俺も驚いたが。
 ここに桐島がいることにも驚きだが、それ以上に驚いたのは、桐島の彼女が想像していたのと全然違ったからだ。
 俺が想像していたのは、美人で、すらっと背が高い女の子。
 だが実際に桐島の彼女としてここにいるのは、小さくて、小学生みたいに幼い顔をした女の子。まあ、可愛いけど。
 
 「はじめまして、風華ちゃん?」
 「あ、響ちゃんの友達ですか?」
 声も可愛い。高くて、ほんとに小学生みたいな声。
 「桐島、お前ロリコン趣味か」
 桐島の方に向き直って、言ってやる。
 「違うって!……いや、否定は、できないけど」
 桐島はだいぶしどろもどろになっている。
 「つか、響ちゃんって、かなり笑えるよな」
 「しょうがねえだろ!風華は、昔から俺のことそう呼んでるんだから」
 「だって、響ちゃんって、呼びやすいんです。ほら、雨響って、へんてこりんな名前だから」
 「そうだね。確かに、へんてこりんだね」
 そう言って俺は、“風華ちゃん”と笑い合った。
 ……しかし、可愛いなあ。
 こりゃ、ロリコンじゃなくてもやられるわな。すっげえ意外ではあったけど。
 
 「風華ちゃんって、可愛いね。俺の彼女になんない?こんなのより」
 「そうですねー。それもいいかも」
 「こら!口説いてんじゃねえ!あー、風華もっ!騙されそうになってんじゃねえよ!」
 桐島が焦ったり怒ったりしているのを見て、なんだか安心した。
 いや、安心したってのはおかしいか。何に安心してんだがよくわからない。
 でも、とにかく。
 なんかうらやましいっていうか。
 好きな人の為に、一生懸命になってんのが。
 
 
 訊いてみっかなあ。
 香坂に、直接。
 「好きな人いんの?」って。
 唐突にそう思って、それはなかなかにいい考えだと思った。
 
 桐島と風華ちゃんはまだなんだか言い合っていた。
 外は寒そうだ。でも、俺はこれ以上二人の邪魔をしないようにさっさと帰ることにする。
 
 香坂はいつから、その“岸浜南の2年”を想っているのだろうか。
 これから先―――たとえば、この雪が解けて、春になったとしても。
 まだ香坂は、その人を好きでいるのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
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