#29.学祭準備
 
 
 
 
  「色紙足りない?模造紙とペンも?ちょっと待って、いまメモするから!」
  あたしはファイルからルーズリーフを一枚引っ張り出して、足りないものをざっとメモしていく。予算、どれくらい余ってたっけ……。
 全部100均で買えば、なんとかなるかな。
  「由依子、買い出し行くなら一緒に行こうぜー。こっちもちょうど行くから」
  ヤナがあたしに向けて大きな声でそう言っているのが聞こえる。そうか、ヤナはいま外装班の手伝いをしてるんだっけ。
 「うん、ちょっと待ってー!」
  あとは、ガムテープ、と。もう5時を回っているし、早く買い出しを済ませて、進められるところまで頑張らないと。
  7月6日、月曜日。学祭本番まであと1週間を切った。委員長であり学祭の責任者でもあるヤナの段取りが良かったおかげか、うちの
 クラスの準備は順調に進んでいた。
  他のクラスも準備をしているから、放課後だというのに教室も廊下もとても騒がしい。あちこちから大きな声が聞こえたり、なにかを
 作っているような音が聞こえたり。あたしはヤナみたいにお祭りが大好き、というわけではないけれど、なんだかワクワクする。
  「みんなー、買い出し行くけど、なんか買ってきてほしいものあるー?」
  ヤナが教室で作業をしているクラスのみんなに向かって言うと、方々から、「アイスー」 「お菓子ー」といった声が聞こえる。
  「あのなあ、おまえら……そういう意味じゃねえぞ」
  「だって腹減ったじゃん。購買、もう閉まったし」
  千葉くんが不貞腐れたように言って、みんなも「そーだそーだ」と同調する。
  「……ったく、しょうがねーなあ。大したもんは買ってこれねーからな。由依子、行くぞ」
  「う、うん」
  あたしは、お財布だけを持ってさっさと教室を出て行ってしまったヤナのあとに慌ててついて行く。内装班の女の子たちがニヤニヤしながら
 あたしを見ていたような気がするけど……気にしないでおこう。
 
 
  「あー、気持ちいーなあ。教室、段ボールとかガムテープ臭くて、外の空気吸いたくてたまらなかったんだよな」
 校門を出ると、ヤナが気持ち良さそうに伸びをして深呼吸をした。
 夏の夕方。日が長いから、まだまだ明るいし、暖かい。北海道は夏が短いけれど、短いからこそ、初夏を過ぎたこれくらいの時期は本当に
空気が心地よくて、あたしはとても好きだ。
 「確かに、篭もるもんね」
 「なー。買い出しってのは口実みたいなもんで、本当はただ外出たかっただけ」
 ヤナは悪戯っぽく笑って、「ゆっくり行こうぜ、ゆっくり」と続けた。
 「えー、あたしまだやらなきゃならないことあるもん。さっさと買って帰るよ?」
 「んなこと言うなよー。……ま、俺も生徒会に提出のプリント、まだ書いてないんだけどな」
 「……だめじゃん」
 あたしが呆れたように言うと、ヤナが「あははは」と明るく笑った。あははは、じゃないでしょ。
 「駅前のスーパーでいいよな?お菓子とアイスと、あと段ボールもう少し貰ってこないと。由依子はなに買うんだっけ?」
 「あたしは100均で全部済みそう。ガムテープとか色紙とか」
 「オッケー」
 ヤナ、なんだかご機嫌だ。学祭準備、よっぽど楽しいんだろうな。先週までは部活もまだあったはずなのに、朝早く来たり、放課後も活動
時間ギリギリまで残ってたりして、大変そうだなって思っていたけど。
 「……なんか、さ」
 「うん?」
 「中学のときの文化祭思い出すね」
 あのときも、ヤナが先頭に立ってみんなをまとめていた。ヤナは今も昔も変わらず、クラスの中心にいる。
 「中3のときの文化祭は寂しかったけどな。由依子と全然喋らなくなってたから」
 「……やなこと思い出させないでよ」
 例の事件があったのが3年生の夏の終わりごろだったから、文化祭の時期は確か、ヤナのことが嫌で嫌で仕方がなかったんだっけ。あんなに
トラウマになっていたはずなのに、いまはもう思い出になってしまっている。
 「ま、いまこうして一緒に学祭準備楽しんでるから、いいや」
 ヤナがあたしの顔を見て笑う。あたしもそうだね、と頷いた。
 確かに、去年の学祭準備の何倍も楽しいかもしれない。本番は、もっと楽しくなればいいな。
 
 
 
 
 「あ、由依子、おかえりー。今日も遅かったのね」
 家に帰ったのは8時を回ったころだった。 先週の半ばから家に帰るのは7時を回ってからだったけれど、こんなに遅くなったのは初めて
かもしれない。
 「たぶん今週はこれくらいになると思う」
 「学祭、今週だもんね。夜ご飯、面倒くさいから素麺にしちゃった。いい?」
 「いいよ。あんまりお腹すいてないし」
 あれからヤナと買い出しから戻って、みんなでお菓子を食べながら作業していたから、素麺でむしろちょうどいいくらい。あたしはソファに
カバンを置いて、冷蔵庫から麦茶を出す。
 「巧くん、今日は終電になるみたい。なんかね、ライブの練習があるんだって」
 「……そう、なんだ」
 「大変よねえ。バイトも始めたいって言ってたし、うちにほとんどいなくなっちゃうね」
 じゃ、お母さんお風呂に入ってくるね。そう言ってお母さんがいなくなってしまったので、リビングにはあたし一人になる。
 ―――今日、終電なんだ。
 確かに最近、巧は家にいないことが多かった。そっか、またライブがあるんだ。
 顔を合わせないことにほっとしている自分がいて、だけど会いたいなって思っている自分もいて。
 あれから、巧にはなにも言われていない。顔を合わせても挨拶をするくらい。あたしが寝る頃に帰ってきて、あたしが学校に行くときには
まだ起きていないことが多いから、話す機会もあまりない。
 同じ家に住んでいるのに、全然違う生活。
 なんだか、4月に戻ったみたい。巧のことを全然知らなかったころ。絶対に仲良くなんてできない。そう思っていたころ。
 それでいいのかもしれないな。このまま時間が経てば、きっと、あたしが巧に抱いている感情は消えてなくなる。
 もともと、芽生えないほうが良かった気持ちなんだもん。きっとそれで、いいんだよね。
 巧がいないから寂しいだなんて、思っちゃだめ―――あたしは自分に、そう言い聞かせる。
 
 
 
 
 「由依子、折り入って、頼みがある!」
 もう学祭があさってに迫った日の昼休み、ヤナがそう言って、あたしにビニール袋を渡してきた。中身は、午後の紅茶のストレート、購買で
売ってるクリームパン、レアだと評判の牛肉コロッケパン。いったい突然、どうしたというのだろう。
 「なに?」 
 「ビラ作成、終わらない。助けてください」
 これやるから、よければ明日の昼もおごるから、とヤナは続けた。よっぽど切羽詰っているらしい。そういうことか。確かに最近のヤナ、
外装班の手伝いばかりしてたもんね。責任者の仕事もあるのに、大丈夫かなとは思ってたけど。
 「できたら皆瀬とかにも声掛けて。内装、もうだいたい終わっただろ?」
 「……じゃあ、あいこたちにもお昼おごるんだ?」
 「いや、それはちょっと……財布事情的に」
 「冗談だよ。あいこたちに言ってみる」
 あたしは笑って、「これ、ありがと」とヤナに言った。パンは1つ、あいこにあげようっと。
 内装班はもうほとんど作業が終わってしまっていたから、他の班の手伝いをしている子が多かったんだよね。みんな時間を持て余していたから、
やることができてちょうどいいかも。
 
 「ビラ作成?いーよ、楽しそう。あと、男子が作った看板下手すぎるから、作り直そうよ」
 放課後。あいこがそう言うと、内装班のみんなは快く賛成してくれた。よかった。こういうのって男子より、女子のほうが得意だもんね。特に
あいこは美術が得意だから、物を作ったり何かを描いたりするのがとても上手だ。
 「ヤナ、ずっと外装班手伝ってたしね」
 「うんうん。責任者の仕事の平行してね。大変そうだったよね」
 「でも、うちのクラス、ヤナがいて良かったよね。準備、すっごく楽しかったし」
 そんなことを話しながら、みんなでビラの下書きを進める。この感じなら、ビラ作成、今日中に終わりそう。明日は1時間目からずっと準備
時間だから、看板は明日作ればいいか。
 「……でも、千葉もがんばってたよね?柚夏」
 「なによ茜、ニヤニヤして」
 「べつにー。彼氏ががんばってるんだし、労ってあげたら?」
 うちのクラスの副委員長でもある千葉くん。そんな千葉くんと付き合っている柚夏は、下書きの手を止めて、ほんのり赤い顔で茜を睨みつける。
そんな柚夏に対して、「やだ柚夏、超こわーい」と笑う茜。
 柚夏と茜のやり取りを見ながらあたしたちが笑っていると、突然教室の隅から「柚夏―!」と大きな声がした。噂をすれば千葉くんだ。
 「おまえ、帰るとき言えよ。俺も一緒に帰るから」
 千葉くんが恥ずかしげもなくそんなことを言うから、あたしたちはさらに盛り上がって「ラブラブー」「うらやましー」などと囃し立てる。
柚夏は「浩平、声でかい!」なんて怒って、俯いてしまった。
 ―――なんかこういうの、いいなあ。
 あたしは恥ずかしがって喋らなくなってしまった柚夏を見て、そんなことを思った。あたしにもいつかこういう日が来るかな?なんて考えて
しまう。
 「由依子は今日、どうするの?梁江と帰る?」
 隣でこっそりと、あいこがそう聞いてきた。学祭準備が始まってから、ヤナとは何回か一緒に帰っていた。だけど、今日は……学祭がもう
あさってに迫っているからか、ヤナはとても忙しそうにしていた。遅くなりそうだし、あいこと先に帰ろうっと。 
 「ううん。あいこたちと帰る。この分なら、6時半には帰れるでしょ?」
 「そうだねー。じゃあ今日は一緒に帰ろ」
 ヤナは、まだ作業が終わっていない班に指示を出したり、生徒会と教室を往復したりしている。本当に大変そう。あとで手が空いたときに
でも、お疲れさまって言って、ジュースかなにか差し入れしてあげよう。
 
 
 
 
 『リーダーは7時半集合。シフト確認と最終点検します!よろしく!』
 前日にヤナから、各班のリーダーに一斉送信でそんなメールが来ていた。だからあたしは、7月11日土曜日の学祭当日、こんな時間に
起きて朝ご飯の準備をしている。
 「あー、眠い……」
 昨日は11時には寝たはずなのに。でも普段、5時に起きることなんてないからな。眠いのは当たり前か。
 お父さんもお母さんも当たり前ではあるけれど、まだ起きてこない。もちろん巧も。さっき、不在のときは開けっ放しになっていることの
多い巧の部屋のドアが閉まっていたから、帰ってはきているんだろうけど。
 テレビをつけて、ボリュームを小さくする。ご飯、お味噌汁、卵焼き。いつもの朝ご飯を、ニュースを流し見しながら食べた。
 ヤナはたぶん、始発かそのあとの電車で来てるんだろうな。学祭が終わったあとに疲れがどっときて、体調崩さなきゃいいけど。
 「ごちそうさまでした」
 小さな声で呟く。一人でご飯を食べているときも「いただきます」と「ごちそうさま」を言うのは、小さい頃からの習慣だ。
 
 ―――……ガタン。
 
 食器を洗おうとしたときだった。リビングのドアが突然開いて、あたしははっと顔を上げる。こんな時間だし、3人とも起きてくるはずが
ないのに……。
 「……あ」
 「……なんだおまえ、早いな」
 そこには、Tシャツとスウェットを着て、寝癖だらけの頭をした巧が立っていた。寝起きのくせに端正な顔は相変わらず。目は半分しか
開いてないし、声だって掠れてるのに―――いつもと雰囲気が違うからか、なんだかそれが余計に格好良く見えてしまう。どうしよう。重症
かな、あたし。
 「だからさ、返事くらいしろって」
 「あ、あ……えっと、今日は学祭、だから」
 あたしは慌てて言って、とりあえず食器を洗い始める。テレビのボリューム、もっと大きくしておけばよかったな。なんだか巧と二人きり
で静かなの、耐えられない。
 「あー、そっか。学祭ね」
 「……巧は?どうしたの、こんな時間に」
 「目が覚めたら、喉渇いてて。水飲みに来ただけ」
 巧は冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、ごくごくと飲んでいる。飲むたびに動く喉仏が目に入って、どきっとしてしまう。見惚れて
しまいそうになったので、慌てて目を逸らした。
 「んじゃ俺、寝直すわ」
 「あ、うん……」
 ろくに話もしていないのに、もう行っちゃうんだ、せっかく会えたのに―――。そんなことを思っている自分に愕然とする。巧への気持ちが
消えてなくなるなんて―――そんなの、嘘だ。
 「学祭、楽しんでこいよ」
 巧はそう言って微かに笑うと、リビングを出て行ってしまった。トントン、と階段を上る静かな足音が、遠ざかっていく。
 
 ―――笑ってくれた。
 ただそれだけなのに、巧にとってはなんの意味もないはずなのに、嬉しくて嬉しくて、鼓動がどんどん速くなっていく。
 巧の顔を見るだけで、声を聞くだけで、胸がぎゅっと苦しくなる。
 時間が経てば好きじゃなくなるなんて―――そんなのはあたしの勝手な思い込みだったって、はっきりと分かってしまった。
 膨らんでいくばかりの想い。これからあたしは、いったいどうしたらいいのだろう。
 
 
 
 
  
  
  
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