#27.噛み合わない気持ち
 
 
 
 
  「はーい、それじゃ、30対9でー、圧倒的模擬店の勝利ですね!おめでとーございまーす!」
  「……梁江、もう少し声のトーン落とせ」
  「あ、すみません……」
  担任に呆れたようなため息をつかれ、焦ったように頭を下げるヤナ。そしてそんな担任とヤナのやり取りを見て、笑うあたしたち。
  6月19日金曜日のロングホームルームの議題は、7月中旬に行なわれる学校祭についてだった。まず、クラスではどんな催しをするか
 ―――例えばお化け屋敷とか迷路とか、模擬店とか。それをまず決めて、その後はクラス内での分担や予算についてなどを話し合う。
  今年は2年生だし、模擬店をやってもいいのではないか、という担任の一言で、「模擬店やりたい!」「俺もー」「わたしもー」という
 意見が大半を占め、たったいま、模擬店をやることに決定したのだ。
  「はーい、じゃあさっそくですけど、責任者は委員長の俺ってことでいいですよね?で、副責任者は副委員長の千葉!みんな、異議なし?」
  ないでーす、というみんなの声が聞こえる中で、一人千葉くんだけが「異議アリアリだよ、このバカ……」と呟いている。ヤナと千葉くん
 のそんなやり取りはいつものことなので、みんなもいつものように笑う。
  「で、模擬店ってことはー、いろいろ保健所とかとやり取りして、衛生面とかめんどくさいんだけど……とりあえず今は、外装斑、内装斑、
 あとは衛生面とかなんとかする斑にざっと分けてみたいと思いますー!」
  「……梁江、ざっくりしすぎだ」
  「あ、すみません」
  そんな担任とヤナとの掛け合いに、あたしたちはまた笑う。
  ―――今年の学校祭、うちのクラスはヤナがいるから、すっごく楽しくなりそうだな。良かった。
  じめじめとした雨が珍しく上がって、今日は青空が広がっている。夏が近いな。
  「梁江、まずおまえは声がでかい」「すみません」「他の教室もロングやってるんだぞ」「はい、分かってます、すみません」……担任と
 ヤナがそんなやり取りをして、クラスのみんなが笑う。それを聞きながら、あたしは、窓の外に広がる青空を頬杖をついて見つめていた。
 
 
  「由依子ー、一緒に帰ろうぜー」
  放課後、いつものようにあいこと帰ろうと教室を出ようとすると、ヤナがそう言ってポン、と肩を叩いてきた。
  「えっ」
  「あ、梁江。なに、あたし、邪魔?」
  「あー、いや、そんなわけじゃ……」
  冷ややかなあいこの目線に、ヤナが慌てたように手を顔の前でぶんぶんと振る。
  「って、冗談だって。いいよ由依子、梁江と帰ってあげて」
  「え、あいこは……」
  「いいのいいの。梁江、一つ貸しね」
  あいこはそう言って、「じゃあまた明日ねー」と手を振って教室を出て行ってしまった。あたし、何にも言ってないのに……勝手に決ま
 っちゃった。
  「……皆瀬ってやっぱ、いいやつだよなあ」
  ヤナがあいこの後ろ姿をぼーっと見つめながら、感動したように言う。
  「っていうかヤナ、部活は?」
  「んー、今日は休み。だから由依子と帰ろうと思って」
  そう言ってヤナが、眩しいくらいの笑顔でにこっと笑う。ちょっと、そんな顔で笑わないでよ……どうしていいかわかんないじゃない。
 あたしはなんだか恥ずかしくなって、俯いてしまう。
  「あれ?由依子、照れてる?」
  「……ううん。帰ろ」
  そんなこと言えるわけないでしょ、と心の中で返して、あたしはさっさと教室を出て玄関に向かう。背後から「ぜってー照れてただろ!
 由依子待てよ、待てってー」というヤナの大きい声が聞こえた。
  ……だから先生に、声がでかいって怒られるんだってば。あたしは盛大なため息をついて、できるだけヤナに追いつかれないように早足で
 玄関まで向かった。
 
  「学祭、すっげえ楽しみだよなー!ワクワクする」
  「ヤナってほんと、お祭りとかそういうの、大好きだよね」
  学校から駅までの帰り道、暑いくらいの陽射しを受けながら、あたしとヤナはのんびりと歩く。最近気付いたんだけど、ヤナは男の子だから、
 あたしよりずっと歩くのが速いはずなのに、あたしといるときは同じくらいの速さで歩いてくれる。まさかそんなところまで気を遣ってくれて
 いるとは思っていなかったから―――それに気付いてからは、ヤナの隣で歩くのが、ちょっとだけ、恥ずかしい気もするのだけど。
  「当たり前だろー!今年のクラスはアタリっぽいし、俺さえうまく仕切れれば、学祭、絶対うまくいくって!」
  「アタリって……ハズレとかもあるわけ?」
  「だから、去年のクラスだって。ありゃ、担任も悪かったけどな。頭堅かったし」
  「ヤナって去年、何組だっけ?」
  「8組。由依子は、1組だっただろ。遠いから知らなかったんだ?」
  ヤナはあたしの顔を見て悪戯っぽく笑った。なんで知ってるの?そんな気持ちが顔に出てしまったのだろうか、「だから、俺、ずっと由依子
 のことが好きだったんだって。1年のときから見てたんだって」と言われてしまった。
  「……だからヤナ、ストレートすぎて困る」
  前から思っていたけれど、事あるごとに「好き」と言うのはどうなんだろうか。反応に困ってしまう。
  「困らなくていいって。好きなんだから」
  「……もういいよ」
  そうだよね、ヤナって昔からこういう性格だもん……今さら「困る」なんて言ったって、無駄だよなあ。
  「由依子、学祭一緒に回ろうな」
  「えっ」
  「俺、委員長だから手空くかわかんないけどさ。由依子が一緒に回ってくれるってなら、何としてでも空けるから」
  ヤナはそう言って笑った。初夏の柔らかくて暖かい風が、頬を撫でていく。意識しないように、と、少し離れて歩いていたのに、その距離は、
 いつの間にかヤナによって縮められてしまっていて。
  「な?由依子がうんって言ってくれたら、俺、委員長として学祭準備、めっちゃ頑張るし」
  ヤナの、顔に似合わずごつごつとした手が、あたしの冷えた手に触れる。あ、と思った瞬間、ぎゅっと握られた。温かいな、なんて思う。
  「由依子?」
  黒目がちの大きな目。吸い込まれそうなその瞳に、こんなふうに見つめられたら―――だめ、なんて言えるわけがない。
  「……うん、あいこがいいって言ったら」
  「皆瀬なら絶対いいって言ってくれるよな。よっしゃー!」
  ……確かに、あいこなら、絶対にいいって言ってくれるだろうな。むしろ、行ってきなよって背中を押されるかもしれない。
  まあいいか、学祭、一緒に回るくらい。ヤナって顔が広いから、一緒に回ったら楽しいだろうし。
  俺、実はいまちょっと緊張したんだけど、よかった、嬉しい。少し興奮気味にそんなことを言っているヤナを見て、やっぱりヤナって
 可愛いな―――あたしはそんなことを思ってしまったのだった。
 
 
 
 
  「あのさー、前から気になってたんだけど。由依子とヤナって、付き合ってる?」
  「あ、それ、あたしも気になってた!」
  「白状しちゃいなよ、由依子」
  週明けの月曜日の、放課後。とりあえず内装班に決まったあたしやあいこ、数人の女子たちが教室に残ってどういう内装にするかという
 ことについて話し合うことになった。
  最初は真面目に、学祭について話し合っていたのだけど―――そんなに切羽詰っているわけでもないし、誰かが「そういえば6組の誰々が
 別れたらしいよ」、そんなことを言い出したのを皮切りに、話はどんどん恋愛のことにシフトしていってしまった。
  「ねえ、由依子!」
  「うーん……」
  いつかは来ると思っていた。来ると思っていたから、避けてたのに。
  「付き合ってはないけど……」
  まさか告白されたと言うわけにはいかず、あたしは歯切れの悪い返答をする。
  「え、そうなんだ?でもヤナって、絶対由依子のこと好きだよね」
  「うん、あたしも思う。なんか、いっつも由依子のこと気にしてる感じ」
  そう言われてしまっては、あたしは何も言い返せない。あいこがあたしをニヤニヤしながら見ているのが分かる。……もう、笑ってない
 で助けてよ。
  「でもさー、ヤナって可愛いよね。イケメンっていうか、可愛いって感じ」
  「うんうん。いい奴だしね。実際モテるよね」
  「けっこう告白されてるらしいよ?断ってるみたいだけど。好きな人いるってことかなあ」
  「……うーん、どうなんだろうね」
  あたしは適当に相槌を打って、どうにかこの話題を変えられないものかと一生懸命考える。だけど、ヤナは人気者なだけにみんなの関心も
 高いから、きっとこれ以上みんなの関心を惹きつける話題はないだろうな、と思う。
  「由依子、ヤナが誰のこと好きか、知ってる?」
  「……知らない、かな」
  あたしは曖昧にそう答えて、あいこの顔をちらりと見る。笑いを堪えているのが分かった。
 
 
  「あいこ、ああいうときは助けてよね」
  「ごめんごめん。うろたえる由依子が面白くて、つい」
  結局学校を出たのは午後5時を回ったころで、あれからしばらくヤナの話題が続いた。半袖から出た腕を、昼間より少しだけ涼しい風が
 撫ぜていく。
  「でも、みんな梁江が由依子のこと好きだって、なんとなーく気付いてるわけだ?」
  「知らないよ、もう」
  「学祭一緒に回ったら、もうカップル認定だねー。おめでと」
 「……全然おめでたくないよ」
  あたしはため息と共にそう返す。いくらあたしとヤナに付き合って欲しいって思ってるからって、あいこったら……。あたしには他に
 好きな人がいるのに。
  「そういや、元気?イケメンの巧さんは」
  「……喋ってないもん」
  「あれ、なんで」
  「喋れないんだもん。ライブ以来、緊張しちゃって」
  それは本当で、あのライブで自分の気持ちを確信して以来、なんだか巧に会うとドキドキして心臓が壊れそうになってしまって、せっかく
 巧が話しかけてくれても素っ気なく返してしまう、そんなことばかりだった。最近では巧もあたしの変化に気付いたのか、そんなに話しかけ
 てこなくなった。
  「あらー。それは困ったね」
  「うん。ちょっとは仲良くなれたって思ってたのに、最初に逆戻りだよ……」
  こんなふうになるなら、巧のこと、好きになんてなるんじゃなかった。もう絶対に嫌われてるだろうな。話しかけてくれても素っ気なく
 しちゃうし、目も合わせられないし。どうしたらいいんだろう。
  詩織さんのほうに行っちゃ嫌、って思っているのに、まともに会話もできないようじゃ、勝ち目なんて絶対にない。……いや、もともと
 ないんだけどね。
  「由依子、悪いことは言わないから、やっぱり梁江にしたら?」
  あいこが真剣な面持ちでそんなことを言ったけれど、いまはそれが正論に聞こえてしまうから、なにも言い返すことができない。
  そうだよね。このままなら、ヤナのことを考えたほうが幸せ、なのかな……。
 
 
 
 
  「おかえり」
  家に帰ってリビングに行くと、巧が台所に立って洗い物をしているところだった。
  「あ、えっと……ただいま」
  ―――ダメだ。やっぱり緊張しちゃう。普通にって思えば思うほど、胸のドキドキが止まらなくなる。
  「今日練習ないから、俺がメシ作るな。なんか食いたいものあるか?」
  巧の声が、視線が、あたしに向けられているって考えるだけで、苦しくて苦しくて―――どうしよう。どうしてこんな気持ちになってしまう
んだろう。
  「なんでも……いいから、適当で。あたし作っても、いいし」
  どうにか声を絞り出す。顔をまともに見れない。早く部屋に戻ろう。それだけを考える。
  「……由依子、前から気になってたんだけど」
  ふいに巧が、洗い物をする手を止めて、あたしのほうに向かってきた。水の音が止まったから、リビングがしんとして―――あたしの心臓の
 音が響いてしまいそうだ。巧が、どんどんあたしに近づく。やだ、心臓の音、聞こえちゃうかも。来ないで。お願い、来ないで―――。
  「俺、おまえになんかした?最近おかしいよな」
  巧の声が頭上から降ってきて、ああ、すごく近くにいるんだ、と実感する。あたしは俯いたまま首を横に振った。
  「……顔くらい見ろよ。由依子」
  そう言って巧が、ぐっとあたしの腕を掴む。たったいままで洗い物をしていたからか、ひんやりとした巧の手に一瞬驚いてしまって、
 びくとしてしまう。
  「由依子?」
  思ったより優しい声だ。触れられているところがじんじんと、なんだか痛いような気すらしてくる。
  「……ほんと、俺、なんかしたか?そこまで露骨だと、さすがに傷つく、っつーか……」
  やだ。苦しい。巧の低めの心地よい声が、耳に刺さるようだ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、なぜか泣きそうで。
  どうしよう、どうしよう―――。
 
  もう一度由依子、と咎めるように言われたので、あたしはほんの少しだけ、顔を上げた。
  顔が熱い。なんだか目頭も熱くて、注意していないと潤んでしまいそうだ。
  「由依子―――おまえ、熱でもあんのか?」
  巧があたしの顔を見て、驚いたように言った。あたしは小さく首を横に振る。
 
  胸が苦しい。巧が触れている右腕を、振りほどきたい。だけどまだ触れていて欲しい。
  そんな想いがあたしの中を駆け巡って、また苦しくなる。死んでしまいそうなくらい。
 
  違うの、好きなの。 好きだからこんなふうになってるの。緊張してるの。―――そんなふうに言えたら、どんなにいいだろうか。
 
  
  
  
  
  
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