#23.加速していく
 
 
 「へえー、そんなことがあったの」
 6月1日の月曜日、お昼休み。ここのところじめじめしていた天気も今日はすっかり晴れて、気持ちいい初夏の陽射しが学校の中にも
差し込んでくる。
 あたしとあいこは、いつものように廊下にあるベンチに座って、二人でお弁当を食べていた。もちろん話題は、週末に起こったいろいろな
出来事について。
 「しかし、梁江がこんなに早く告白するとはねえ。由依子のこと好きだってのは最初からわかってたけど」
 「……あたしはわかんなかったもん、すごいびっくりした」
 「まあ、やっぱり中学時代のことがあるからね。それにしても、梁江もやるもんよね。あいつ、うちのクラスの子に告白されたみたいよ。
あのお花見の後くらいに」
 「えっ」
 「それでまあ、もちろん断ったんだけどさ、“どうしても振り向かせたい子がいるから”って言ったんだって。どうすんの由依子、あいつ、
マジだよ」
 あいこがずいっと身を乗り出して、真剣な眼差しでそんなことを言う。ヤナが本気だってことは、告白されたときに十分わかってる。
わかってるけど。
 「でも、梁江の愛しの由依子ちゃんは、彼女持ちのイケメンが好きなんだもんね。あーあ、困ったなあ」
 あいこが含み笑いをしながらそんなことを意地悪く言うので、あたしがギロッと睨むと、「わー怖い」と言って肩を竦めた。
 「ま、親友としては、ここで素直に梁江とくっついて、幸せになってほしいところだけど。それはやっぱり由依子が決めることだもんね?」
 「あいこ……」
 「でも、梁江のことはちゃんとキープしときなよ?イケメンのこと好きじゃなくなったときのために」
 「そんなの、ヤナに悪い」
 「いいのよ別に。だって梁江だって、由依子がイケメンのこと好きだっていうの、もう知ってるんでしょ」
 「……あいこ、ちゃんと巧って名前があるんだけど」
 「あ、ごめんごめん。巧さんね。はいはい」
 あいこは呆れたように言って、お弁当箱の蓋をパタンと閉める。あたしはというとまだ半分も食べ終えていないので、少し急いで食べる
ことにした。話に夢中になっていたから気付かなかったけれど、昼休み、あと10分で終わっちゃう。
 「由依子!」
 あたしが唐揚げを食べようとした、まさにそのとき。
 ふいに聞き覚えのある大きな声。あいこが「あーあ、噂をすれば」とニヤニヤしながら呟く。
 「ヤ、ヤナ……」
 「おまえ、今週の土曜、暇?!」
 「え……」
 「梁江ー、デートに誘うのはいいけど、由依子はいま、食事中」
 あいこが立ち上がって、ヤナの肩をポン、と叩きながら言う。「ま、いいけど。ここ座ったら?あたし、先に教室戻ってるからね」と続けると、
本当にすたすたと歩いて行ってしまった。
 
 「皆瀬って、優しいよな」
 「うん……」
 私はさっき食べ損ねた唐揚げをもぐもぐさせながら、曖昧な返事をする。
 「あのさ、由依子……おまえ、アクション映画とか、好き?」
 「え?」
 「あ、でもやっぱり恋愛映画のがいい?……女の子って、やっぱそう?……参ったな。俺、恋愛映画、たぶん途中で寝る……」
 「あ、あの……」
 「どっちでもいいか。あのさ、今週の土曜、一緒に映画見に行こう!」
 ヤナはあたしの目をまっすぐ見つめて、大きい声でそう言った。廊下を歩いている人たちが不思議そうな顔であたしとヤナを見ている。
 「ちょっとヤナ……声、大きい」
 「あ、ごめん……」
 ヤナが目に見えてしょぼんとするのがわかる。なんだか素直なヤナらしい反応で、不謹慎にもかわいいな、なんて思ってしまう。
 「……由依子、なんで笑ってんの」
 「え?いや、別に……」
 「ひっでえ。俺、けっこう真剣なんだけど」
 「ごめんって。そういえば今週の土曜ってテスト直前だけど、大丈夫?」
 「あっ」
 ヤナがこれまた大きな声を上げて、頭を抱えながら「……しまった」と呟く。本当にわかりやすいよなあ、もう。
 「来週の土曜なら……考えておくけど」
 「え、マジ?!」
 1秒前まで落ち込んでいたのに、すごい立ち直りようだ。もうニコニコしている。
 「……うん」
 「よっしゃ!じゃ、次の選択移動だから、俺、もう行くわ!」
 そう言うとヤナは廊下を走って行ってしまった。突然来て、突然去る。騒々しいのに憎めないんだよね……。
 「あれ、由依子」
 お弁当箱を仕舞っていると、他のクラスの友達に声を掛けられた。
 「あ、久しぶりー」
 「いまのヤナでしょ?もしかして、付き合ってんの?」
 ……やっぱり、そう見えるのかあ。
 今まで以上に積極的になったヤナ。あたし、いったいどういう反応をしたらいいんだろう。まったく、先が思いやられる。
 
 
 
 
 「あれ、由依子じゃん」
 岸浜駅のホームに立っていると、突然声を掛けられた。思わずどきっとしてしまう。振り向かなくたってわかるのだ。だって、声の主は……。
 「巧……」
 「なんだよ、おまえもいま帰り?」
 「うん。巧、今日は早いんだね」
 「ああ。練習なくなったから。ギター持ってきたけど、損した」
 もう5時になるから、西日が眩しい。ホームに差し込んだ西日に照らされた巧は、なんだかすごく絵になっていて、かっこいいというよりも―――
 「綺麗……」
 「え?」
 巧が不思議そうな顔で振り向く。やだ、あたし、思わず口から言葉が出ちゃった。
 「あ、あの……その、夕日が」
 「俺、ちょうど当たっててすんげえ眩しいんだけど」
 「そう、だよね……」
 「あ、電車来た。当然、一緒に帰んだろ?」
 「……うん」
 嬉しい。岸浜から新岸浜まで、ちょっとの間だけど。新岸浜駅からうちだって、そんなに遠くないけど。本当に少しの間だけれど、巧と
一緒にいられる。
 変だよね。同じ家に住んでるのに、一緒にいるっていうことがこんなに特別に思えるだなんて―――。
 「由依子、どこ見てんだよ。転ぶぞ」
 「えっ」
 巧がふいにあたしの右腕をぐいっと掴む。やだ、ぼーっとしてた。
 「ったく、おまえはいつも危なっかしいよな。気をつけろよ」
 「うん……」
 触れられた右腕が熱い。たぶん顔も赤い。巧の顔をまっすぐ見れない。胸のどきどきが治まらない。
 「……ね、あのギター持ってる人、すっごいかっこいい」
 「本当だ。かっこいー。隣にいる子、彼女?いいなあ」
 ふと、近くにいた女の人たちの囁き声が聞こえた。彼女……に、見えるのかな。あたし……。
 巧はそんな声など聞こえていないかのように、窓の外に目を向けていた。これだけかっこいいんだから、騒がれていることには慣れている
のかもしれない。
 横顔も、かっこいい。大きな手も。ただのTシャツも、軽くワックスで整えている茶色い髪も。
 この人にかかれば、すべて―――。
 『次は新岸浜、新岸浜……お降りの方は……』
 アナウンスが流れる。巧は黙ってギターを背負って、あたしを見て「ほら、またボーっとして。降りんぞ」と少し微笑んだ。
 ……彼女、みたい、あたし。
 ぶっきらぼうな口調が、大きな背中が、あたしの胸を苦しくさせる。好き。好き。いつの間にあたしの気持ちはこんなに膨らんでいたのだろう。
 好きだと思うだけで、泣きそうになる。なのに、どうしてこの人は、他の人を見ているんだろう。
 「……由依子?どした?」
 気付いたら、あたしは巧のTシャツの裾をぎゅっと掴んでいた。巧の訝しげな視線に気付いて、「ごめん」と慌てて離す。
 
 「そういや、メシ作るの、めんどくせえよなあ」
 電車を降りて改札口に向かうまでの間、巧がぽつりと言う。「え?」と私が訊き返すと、「どっかで食って帰ろうぜ。今日、おじさんも
おばさんも遅いって」と言う。
 「おまえに、ライブ来てくれたお礼してねえし。なんか奢るわ」
 「えっ」
 「つっても、金ないからマックな」
 巧は悪戯っぽく笑って、あたしの頭を軽くポン、と叩く。それだけで胸が跳ね上がってしまう。
 一瞬だけ、詩織さんやヤナの顔があたしの頭の中を過ぎったけれど……だけど、いいや。こんなにいいことがあった日には、巧のこと
だけを考えていよう。
 あたしは巧の半歩後ろを歩きながら、巧の後ろ姿をまっすぐ見る。そして、これがやっぱりあたしの好きな人なんだ、と実感した。
 
 
 
 
 
 
 
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