#14.桜日和
 
 
 
 
 お花見当日、あたしとあいこは集合時間の15分前に中央公園に到着した。集合場所はわかりやすい、という理由から公園の真ん中に
ある大きな噴水の前ということだったのだが、誰もいない。
 「あれ、おかしいな。確か梁江がすごい朝早くから、場所取りに来てるはずなんだけど……」
 「あ、あれ、梁江じゃない?」
 あいこが指差した先には、大きな桜の木の下でなにやら巨大なシートを広げている梁江と、何人かのクラスメイトがいた。ざっと10人
ほどだろうか。
 「うわあ、すっごくいい場所じゃない」
 あいこは感激したように言って、その木の下まで走っていってしまう。あいこってクールに見えて、意外と無邪気なのよね。あたしは
そんなことを考えながら、小走りであいこのあとを追う。
 今日、5月5日は、気持ちのいい快晴だった。雲がほとんどないすっきりとした青空に、穏やかな風。もう完全に春だな、なんて思いながら、
あたしは胸いっぱいに春の空気を吸い込む。
 
 「お、由依子。ギリギリじゃん」
 「梁江」
 あたしが来たことに最初に気づいたのは梁江であった。かすかに目が充血している。もしかして、あんまり寝てないのかな……。
 「ほんとに4時から来てたの?」
 「もちろん。早すぎて周り誰もいないし、松山のやつは寝坊して来たの6時すぎだから、暇だったけどな」
 「松山くんに頼んだんだ」
 「だってあいつ、そこのマンションに住んでんだぜ?そのくせ寝坊しやがって」
 梁江がわざと大きな声で言うと、「だから、ごめんって!朝メシ奢ってやったろ!」という松山くんの焦ったような声が聞こえた。
すかさず梁江が「奢ったっておまえ、コンビニのおにぎりとパンだろうが」と言い返す。そのやりとりを見たみんなが、くすくすと笑い出す。
 ……やっぱり、梁江は梁江だ。寝不足なのにこんなに明るくできるのって、すごいなあ。
 「由依子、昨日買ったお菓子とか、持ってきた?」
 「あ、うん」
 あたしは両手に抱えていた大きな袋を梁江に手渡す。昨日買ったお菓子や飲み物が入っているものだ。
 「悪いな、結構重かったろ」
 「ううん。あいこにも手伝ってもらったから、大丈夫」
 「そっか。これ、お礼」
 梁江はそう言って、あたしになにかをポンと投げて寄越した。なんだろうと思って見ると、500ミリリットルサイズのペットボトルだ。
 「それ、一本しかないから、皆瀬には内緒な」
 あたしにそう耳打ちすると、梁江はみんなに「よし、ほとんど全員揃ったな。とりあえず男子で火ぃ起こすぞー」と大きな声で言い渡した。
 あたしの手の中のまだ冷たいペットボトルは、午後の紅茶のストレート。中学時代からずっと、あたしの一番好きな飲み物だ。
 ―――なんでこんなこと、覚えてんのよ。
 鼓動が速くなる。あたしはペットボトルをぎゅっと握りしめて、男子たちに指示を出している梁江をすこしだけ見てみた。いつもと
変わらない、明るくてクラスの人気者の梁江。
 なんだろ、この気持ち。記憶の片隅に眠っていたような、くすぐったくてドキドキするような―――。
 「由依子ー、みんなでバレーしよーっ」
 あいこの声でハッとする。女子たちはみんなで集まって、輪になってバレーをしているらしい。
 「うん、いま行く!」
 大きな声でそう返す。梁江に貰ったペットボトルは、こっそり自分のリュックの中に忍ばせておいた。
 
 
 
 
 「んじゃ、とりあえず、2年4組が幸先よさげなことを願って、かんぱーい!」
 お昼の12時を過ぎたころ、梁江の音頭でバーベキューが始まった。大きな桜の木の下で、みんなでジュースで乾杯する。
 「幸先よさげって……おまえ、ちゃんとしてんだか適当なんだか、よくわかんねえ言葉使うよなあ」
 「いちいち突っ込むなって」
 「いや、突っ込みたくもなるって。あ、待って待って。みんなまだ飲むなよ」
 梁江と仲のいい千葉くんが、ジュースを飲もうとしたみんなに待ったをかける。そして、「これ全部企画してくれて、場所取りまで
してくれた我が委員長、ヤナにも乾杯!」と叫ぶように言った。
 突然だったのでみんな一瞬ぽかんとしたけれど、すぐに「あーそっか、ヤナがやってくれたんだもんね」「ヤナありがとー」「愛して
るよー」などなど、みんなから次々と梁江を労う言葉が出た。
 「うわ、俺、やばい……泣きそう。嬉しすぎるから、みんなあんまし言わないで、そういうこと」
 当の梁江はそう言いながら手の甲で涙を拭う真似をして、コップに入ったコーラを一気飲みしてしまった。そこでまた歓声が上がる。
 楽しい一日になりそう。クラスのほぼ全員が参加してるし、いま来てない人たちってみんな部活で来れてないだけだから、途中から
参加するだろうし。
 ……梁江って、いつだってクラスの中心なんだよね。まとめ役。人気者。だけど今日だってすごく朝早くから場所取りして、昨日だって
買い出しや下見して。
 クラスの誰にも言わないけれど、こういう役回りの人って、きっとすごく大変なんだと思う。なんでもないような顔してこなしてるけど、
梁江って実は凄い人なのかもしれないな……。
 
 「梁江恐怖症は、もうすっかり完治したみたいね?」
 ふいに、すぐ隣からあいこの声がしてあたしはびっくりしてしまった。
 「な、なんで……」
 「あたしに隠し事なんてできるわけないでしょ。ね、昨日、なにがあったの?由依子と梁江、中学時代に戻ったみたい」
 あいこの言葉にドキッとする。中学時代に戻ったみたい……それって、あたしが最近、ずっと思っていたことだ。
 「……手、繋いだ……だけだもん」
 「うそ。やだ由依子、すっごい進歩」
 そう言ってあいこは、あたしにぎゅっと抱きついた。「ちょっとあいこってば、ジュースで酔ってるよ」。女の子たちの笑い声が
聞こえる。
 「ね、由依子。いまから言うこと、あたし、本気だからね。冗談じゃないんだからね」
 「……な、なによ」
 あたしはジンギスカンを食べながら、やたら真剣な顔をしたあいこをまっすぐ見た。そうしたらあいこも、あたしをまっすぐに見る。
……友達と見つめ合うって、なんだか変な感じ。
 「梁江は、由依子のことが好きよ。絶対。嘘じゃないんだからね」
 あいこの声は周りの誰にも聞こえないくらい小さなものだったけれど、あたしにははっきりと聞こえた。思わずむせてしまって、
オレンジジュースを一気飲みする。
 「中学時代もいまも、やっぱり梁江、由依子のことが好きなのね。見てたらわかるわ」
 「ちょっ……あいこ、なに変なこと……」
 「だから、冗談じゃないってば。あたし、本気で言ってるの」
 あいこがあまりに厳しい口調でそう言うから、あたしは思わず黙ってしまう。昔からあいこの言うことにはなかなか逆らえない
節があるのだ。
 「絶対絶対、梁江は由依子に惚れてるわよ。いい?あたし、言ったからね。いつ告白されてもいいようにしときなさいよ」
 「……そんなこと」
 「あるから言ってるの!もうあれから2年も経ってるし、梁江だって反省したんでしょ?由依子、あんなに梁江のこと好きだった
じゃない。また好きになる可能性、十分あるんじゃないの?」
 あいこの言葉に、あたしはなにも返せなかった。そんなあたしを見てあいこは満足そうに頷いて、「あたしにも、ジンギスカン
ちょうだい!」と男子の輪の中に入っていく。
 「やだあいこ、やっぱり酔っ払ってるよねえ、由依子」
 「う、うん……」
 話しかけられても、生返事しかできなかった。いまのあいこの言葉に、あたしは大きな衝撃を受けていたから。
 もちろん、鵜呑みにするわけじゃないし、そんなことあるわけないって思ってる。思ってるけど―――。
 一緒に買い出しに行ったこと。デートだって言われたこと。手を繋いだこと。女の子扱いしてくれたこと。家までちゃんと送って
くれたこと。そして、あたしの好きな飲み物を覚えていてくれたこと。
 すべてが意味のあることに思えてしまう。そんなことないって頭ではわかっているのに、じゃあなんで梁江はあんなことをしてくれたの?
って、別のあたしの声がどこかから聞こえてくるような感じ。
 
 梁江は相変わらず、男子たちと騒いでいた。すごく楽しそう。いい笑顔だな、なんて思う。
 ―――ヤナ。
 中学時代の呼び方で呼んでみようかな。あたしはふとそんなことを考える。
 あれからもう、2年も経ってる。梁江も十分、反省した……。
 あの頃のあたしと梁江。本当は両想いだったのに、壊れてしまった恋。
 ―――やだ、あたしってば。なに考えてるんだろう。
 喧騒の中、あたしだけが一人ぼっちでいるみたいだった。誰の声も、どんな話題も、あたしの耳を通り過ぎていく。
 ただみんなの中で一人、梁江だけがあたしの視界に飛び込んできた。梁江。ヤナ。あたしの初恋の人。
 ぎゅっと胸が苦しくなる。いつかも感じた痛みだ、とあたしは思う。
 
 
 
 
 「由依子、一緒に帰らねえ?あ、でも、皆瀬と一緒か」
 夕方の5時すぎにやっとお花見がお開きになって、みんなで片付けをして、それから解散した。
 「あ、えっと……」
 「いいよいいよ、由依子なら貸してあげる。あたしは柚夏たちと帰るから」
 いつの間にいたのか、あいこはあたしの背後からひょいっと顔を出してそう言って、「じゃあねー」と柚夏たちと帰ってしまった。
あいこたちの背中が少しずつ小さくなっていく。
 「大丈夫だったんか?」
 「んー、わかんないけど……いっか。もう帰っちゃったみたいだし」
 あいこってば、変な気遣ってるんだな。あたしは昼間のあいことの会話を思い出す。
 「それ、持つよ、あたし」
 あたしはそう言って、残ったお菓子や飲み物が入った袋を梁江から取り上げる。レジャーシートとかその他もろもろを全部持ってきて
くれたから、梁江、ただでさえ荷物多いんだもの。
 「いいって。重いだろ」
 「大丈夫だよ。あたし、結構力あるんだから」
 もう周りには誰もいなくて、少し離れた場所から誰かの声が聞こえてくるだけだった。みんな帰っちゃったから、あたしと梁江が最後、か……。
 「そういや、チャリ、松山んちに置かせてもらうことにしたんだよな。さすがに帰りは電車がいいからさ」
 「そっか。大変だったね、朝早くから」
 「いや、みんな喜んでくれたからよかったよ。俺の野望がまた一つ達成されたわけだしな」
 夕方の風はすこし冷たかったけれど、やっぱり春の匂いがした。春の夕暮れは、時間の流れがとてもゆっくりだ。あたしと梁江は、
どちらからともなくのんびりと歩く。
 「……由依子、歩くの遅くね?」
 「ヤナ、こそ」
 小さな声でそう言い返す。口に出してみると、本当に中学時代に戻ったみたいだ。
 
 それから数歩進んで、ヤナが少し後方で立ち止まっていることに気づく。
 「……なんで止まるの」
 あたしが言うと、ヤナは「……だって、由依子が」と恥ずかしそうに笑った。
 「由依子に、そんなふうに呼ばれる日が来るなんて、俺、思ってなかった……」
 「大げさだって」
 あたしはそう言って、ヤナが立ち止まっている場所まで戻った。ヤナの表情は照れ笑いといった感じで、見ているこっちまで恥ずかしく
なってくる。
 「……許せなんて言わないけど、友達に戻れたって、思っててもいい?」
 ヤナがあたしの目をまっすぐに見つめて言う。またこの視線だ。人を射抜くような、まっすぐすぎるくらいの。
 「……うん」
 あたしが静かにそう頷いた瞬間、強い強い風が吹いた。
 桜の花びらが一面に散って、美しい景色が目の前に現れる。夕暮れに桜の花びらが舞う。春の風が、無数の花びらを攫っていく。
 「―――綺麗」
 あたしは無意識に呟いていた。こんなに綺麗な景色を見たのは初めてかもしれない。
 「ああ、すげえな……」
 ヤナの呆気に取られたような声が聞こえた。あたしたちは数秒間なにも言えないまま、お互いの顔を見つめ合う。
 「……なんで見てんだよ」
 先に口を開いたのはヤナのほうであった。「見てないでしょ」とあたしはとっさに言い返す。
 「そんなアホ面して。髪に花びらくっついてんぞ」
 「え、うそ」
 あたしが自分の髪を触ろうとすると、ヤナに手首を掴まれた。どきん、と胸が跳ねる。
 「……俺が取るから」
 そう言って、ヤナはあたしに一歩近づいた。またどきん、と胸が跳ねる。鼓動が速くなっていく。
 髪を触られているような感覚。ヤナが一枚ずつ丁寧に花びらを取ってくれているのがわかる。
 距離が近い。近すぎて、呼吸する音まで聞こえてるんじゃないかって不安になる。自分の心臓の音がうるさい。なんでこんなにドキドキ
してるんだろう、あたし。
 
 「取れたぞ」
 ヤナの声が頭上から降ってきて、あたしはほっとした。思わず一歩後ろに下がってしまう。
 「う、うん……ありがと」
 ドキドキが止まらない。頬が熱い。ヤナの顔、まっすぐ見れない。
 「なんだよ、変な顔して」
 ほら行くぞ、とヤナが歩き出してしまったので、あたしは慌てて追いかけた。半歩下がって、ゆっくりと歩く。
 ―――背中、広いな。
 やっぱり成長してるんだ。男の子だもん。2年も経てば、背も伸びるし背中も広くなるし、雰囲気だって変わるし。
 あたしの知っているヤナでいて、そうじゃない。あたしの知っているヤナより、ずっとずっと成長してる。
 ―――また好きになる可能性、十分あるんじゃないの?
 あいこの言葉が思い浮かんだ。やだ。あいこがあんなこと言うから、本当にそんな気がしてきちゃったじゃない。
 
 「由依子?早くしないと、快速間に合わないぞ」
 振り向いて笑ったヤナが、眩しく見える。
 好きになる可能性、あるの、かもしれない……。あたしはヤナの後ろを早足で歩きながら、そんなことを考えていた。
 
 
 
 
 
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