#12.お花見クラスメイト、泥酔同居人
 
 
 
 
 「はい、というわけで、ゴールデンウィーク中に花見やります!異議ある人は挙手してください!」
 5月に入ってから最初のロングホームルームは、梁江の企画したお花見の話で持ちきりとなった。担任が「今日はなにもないから、自習」
と言ったところで梁江が突然立ち上がって、「みなさんに超楽しい企画の提案をします」と言ったのだ。
 「挙手っておまえ、ほんとに高校生かよ」
 男子たちが梁江を指差してケラケラ笑いながら言った。それに対して梁江が、「いいだろべつに、俺、委員長なんだから!」と必死に
なって言い返している。
 「誰も挙手しないんなら異議なしってことにしますよ!じゃ、日程決めましょう!日程!」
 「ヤナ、怒るなよー」
 「はいそこ、うるさい!」
 梁江が騒いでいる男子を指差して一喝する。そんな梁江を見て、クラス中からはじわじわと笑いの渦が巻き起こった。
 ……梁江って、ほんと、委員長に向いてるよなあ。むしろ、委員長になるために生まれてきたって感じ。なんだかんだ言って人をまとめる
のが上手だし、みんなの人気者だし。
 「じゃあ、ゴールデンウィーク中に予定ある人は、何日がダメか言ってくださーい」
 梁江がそう言ったとたん、「あたし、部活で3日と4日は無理」「俺は2日から5日までずっと部活」「3日と4日は家族と旅行」などなど、
みんなが次々と予定を口にしていく。梁江は真剣な顔でそれを聞き取って、手元の紙に書いていっているらしかった。
 「んー、2日と5日が一番参加者多そうだなあ……五分五分ってとこか……でも2日っていうと明日だから、ちょっと急だよなあ……」
 みんながざわめく中、梁江は一人ぶつぶつ呟きながら手元の紙を見ていた。あたしはどっちにしろ、予定ないんだけどね。部活も入って
ないし、友達と遊ぶ予定も今のところないし。
 「よし、決めた!お花見は5月5日、こどもの日にします!予定あるやつはごめん!今度俺と二人っきりでデートしよう!」
 梁江が大声でそう言うと、「うわ、俺、行けねえや。ってことはヤナとデート?最悪」「あたしも行けない。お花見行けないことより、
梁江とデートのほうが嫌」なんていう反応がちらほら起こっている。梁江はそれを見逃さず「おいおまえら、あとで俺とデートしたかった
って言っても遅いんだからな!」と、これまた大声で言う。
 「おーい梁江、元気がいいのはいいけど、他のクラスは自習中だぞー」
 ずっと小テストの採点をしていた担任が呆れたような声で言うと、またしても爆笑の渦。「あ、すいません」と素直に謝る梁江の姿が
さらに笑いを煽る。
 ……面白い、よなあ。ほんとに。中学のころと、なんにも変わってないや。
 あたしはそんなことを考えながら、大声を張り上げている梁江を微笑ましく思った。
 
 
 
 
 『件名:委員長より
  まず、勝手にアドレス聞き出してごめん。
  委員長より命令!あさって、俺と一緒に花見の買い出しに行こう!』
 
 ゴールデンウィーク初日、5月2日の午後11時過ぎ、あたしの携帯にそんなメールが届いた。知らないアドレスだったのでメールを
開くか迷ったが、件名を見てすぐに開いた。言わずもがな、梁江からのメールである。
 誰からアドレス聞いたんだろう、まあいいけど。それより、なんであたしが梁江と一緒に買い出しに?
 『件名:こんばんは
  メールでは久しぶり。
  別に行ってもいいんだけど……どうしてあたし?』
 とりあえずそれだけ書いてメールを送信した。そして、梁江からの突然のメールに少しだけドキドキしている自分がいることに気づく。
 『件名:無題
  由依子と行きたいから!』
 わずか1分で届いた梁江からの返信には、それだけしか書かれていない。しかしその文面を見て、胸がとくん、と小さな音を立てる。
 ……やだやだ、あたしってば。深い意味なんてないのに。思えば梁江って、こういうこと、平気でさらっと言っちゃうようなやつだった
じゃない。
 『件名:無題
  別にいいよ。駅で待ち合わせ?』
 わざと素っ気なくそう返信する。これくらいで動揺してるってことがバレたら恥ずかしいもん。梁江はぜんぜん、深い意味もなくこういう
メールしてきたんだろうし。考えてみたら、あたしと梁江って家が近いから、一番誘いやすいもんね。
 いつもより少しだけ速い鼓動を静めるようにゆっくり深呼吸していると、突然下からガタン、という大きな音がした。
 「わっ」
 びっくりして、思わず小さく叫んでしまう。そっと部屋から出て、階段を下りていく。お父さんもお母さんももう寝てしまっているから、
いまの音には気づかなかったようだ。
 
 「……巧?」
 玄関のほうから音がしたような気がしたので、あたしはとりあえず玄関に行ってみた。すると、靴も脱がずに倒れこんでいる巧が
いたのである。
 「ちょっと、大丈夫……うわ、お酒くさ……」
 忍び寄るようにして巧に近づくと、アルコールの匂いが鼻をついた。倒れるくらいだから、相当飲んだみたいだ。よく帰ってこれた
なあ、と素直に感心する。
 「巧、起きてよ。こんなとこで寝たら、風邪引くよ」
 「……ん、由依子……?」
 「そうそう、あたし。ほら起きて、早く。せめてリビングで寝てよ」
 「あー……あれ、俺、ちゃんと電車乗れたんだ……」
 本当に酔っ払っているらしく、まともに話が繋がらない。あたしははあ、とため息をつくと、立ち上がって巧の腕をぐいぐい引っ張った。
だが、あたしより一回り以上も大きい巧の身体はびくともしない。
 「……ちょっと、勘弁してよ……」
 あたしは結局、泥酔している巧をリビングまでずるずると引っ張っていく羽目になった。その間、巧はなにか呟いたりしていたが、言葉が
曖昧だったので聞き取ることができなかった。
 
 
 
 
 やっとのことで巧をリビングまで連れて行くと、まず巧をソファーに寝かせて、あたしはフローリングの床にへたり込んだ。
 こんな夜中に、なにやってんだろう、あたし。すごく体力を消耗したみたい。いま、何時だろう。そう思ってリビングの壁時計を見ると、
もう12時になろうとしている。
 ……あ、やだ。携帯、部屋に置いてきちゃった。梁江から返信来てるかもしれないな。
 そう思って立ち上がり、リビングを出ようとした、そのとき。
 「……由依子、水くれ」
 巧の低く呻くような声が背後から聞こえた。ここで吐かれても困るので、あたしは冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターをコップに
注いで、巧に「はい、水。こぼさないでよ」と言って手渡す。
 「あー、飲みすぎた……電車ん中で吐くかと思った」
 水を一気に飲み干すと、巧は少し掠れたような声で言った。「頭痛ェ……」と言って頭を抱えている。本当に飲みすぎたらしい。
 「巧、前も二日酔いで帰ってきたでしょ。なんでそんな、お酒ばっかり飲んでんの」
 「いろいろあんだよ、いろいろと……」
 大学生になると飲み会が多くなるって本当なんだ。たった2つしか年違わないのに、あたしとぜんぜん違う生活してるんだよなあ、
巧って……。ぐったりしている巧を横目に、あたしは今度こそ部屋に携帯を取りに行こうと思う。
 「由依子」
 だが、またしても巧に呼び止められてしまった。あたしはちょっと苛々を滲ませたような声で「なによ」と言った。
 「行くなよ、寂しいだろ」
 巧が小さな声で、本当に寂しそうに言った。意外すぎる言葉に、あたしはびっくりして言葉を失ってしまう。
 「え……」
 ―――いまの、ほんとに、巧の口から出た言葉?酔っ払っているとはいえ、巧がこんなことをあたしに言うなんて。
 巧はもう起き上がっていたので、とりあえずあたしは、巧と少し間隔を空けてソファーに腰を下ろした。
 「……酔っ払うと、人恋しくなる」
 巧はぼそっとそんなことを言った。いつもと少し違った声。お酒、飲んだからかな。あたしは「そう」とだけ返す。
 「俺が寝るまで、ここにいろ……って、なんで由依子にこんなこと言ってんだ」
 巧の言葉に、あたしは不覚にもドキッとしてしまう。ぐったりした巧はいつもとぜんぜん雰囲気が違って、どう接していいのか
よくわからない。
 「う……ん、暇だし、いいけど……」
 梁江からのメール―――そのことが一瞬頭をよぎったけれど、さっきよりは気にならなくなっていた。巧があたしに「寂しい」なんて
言ったからかもしれない。
 
 「……寂しいなんて、滅多に思わねえんだけどな」
 巧はそう言って、自嘲するように笑った。その表情は本当に寂しそうで、見ているこっちまで胸が詰まってしまう。
 「……詩織さんのところには、行かないの」
 ふと、数日前に聞いてしまった電話の内容を思い出す。“抱く”―――そんな関係なら、こんな夜にこそ、詩織さんに会いたいんじゃ
ないの?あたしは口には出さずに巧にそう問いかける。
 「行けねえよ。もう、そんな関係じゃない」
 「もう……って」
 「高校時代、半年くらい付き合ってただけだよ、詩織とは。未だに俺が、勝手に追っかけ回してるだけだ」
 胸の奥が、ずきん、と痛んだ。巧のつらそうな表情に。苦しげな声に。勝手に追っかけ回してるという言葉に。
 「もう一回付き合うとか、詩織にそんな気はたぶんない。だけどあいつ、気ィ持たせるようなことばっか言うから、ついつい、期待して―――」
 巧は一度言葉を切ってから、静かに言った。ここまで来ちまった、と。
 あたしは、いつもよりも饒舌な巧の話を聞きながら、胸が塞がるような思いでいた。そうだったんだ。本当に詩織さんとは付き合って
ないんだ。だけど巧は、こんなにあの人のことが好きなんだ……。
 「……好きなんだ」
 巧は何でもないように、ぽろっとそんな言葉を零した。あたしはぎゅっと誰かに心臓を掴まれたような心地でいた。なにも言わない。
なにも言えない。
 「……好きなんだ、俺。詩織のことが。自分で馬鹿だってわかってんだけど、諦めらんないんだ……」
 知らず知らずのうちに、あたしは泣いていたらしかった。頬を伝う冷たい感触で初めてそのことに気づいて、あたしは慌てて手の甲で
涙を拭う。
 「なんでおまえが泣いてんだよ」
 巧が少し笑いながら、呆れような声で言った。
 「なんだか、無意識に……」
 あたしがそう返すと、「俺の代わりか?」と言って巧が低く笑った。息が苦しい。巧の気持ちがそのままあたしに伝わってきたかのように。
 「ま、由依子も大人になったらわかるだろ」
 巧はわざと茶化すように言って、「俺、やっぱシャワー浴びてから寝るわ」とお風呂場のほうに行ってしまった。リビングに残されたのは、
泣いているあたしと、空になったグラス。
 
 「……返信、来てるかな」
 あたしは一人呟いて、リビングを出て静かに階段を上った。部屋に戻ると、携帯のランプがちかちかと点滅している。
 もうすでに12時半を回っていた。メールはやはり梁江からのもので、受信時刻は11時32分。もう1時間も経っている。返信するのは
明日にしよう、と思った。
 『件名:無題
  新岸浜駅で待ち合わせて岸浜まで行こうぜ!
  公園の下見も兼ねるから、朝10時に待ち合わせにしよう!』
 文面にまで性格が表れてるよ、梁江のやつ。もう高校2年生なのに、表情も性格も中学時代とほとんど変わってなくて、子どもっぽさが
残っている梁江。
 ―――巧とは、正反対だな。
 ふとそんなことを思う。なんで巧と梁江を比べてみたかは自分でもわからなかったけれど。まるで対極の位置にいる、二人の男。
 巧が大人びて見えるのは、あんな恋をしているからだろうか?あんなに苦しい恋をしているから、詩織さん以外になにも見えないから、
あんなにもあたしたちと違うのかな。
 そう思うと、なんだか寂しくて仕方がなかった。2つしか年違わないのに、とまた思う。おんなじ家に住んでいても、遠い人なんだな、巧は。
 下からかすかに物音が聞こえる。ああそうか、巧、シャワー浴びてから寝るんだっけ。
 巧が寝る時間や起きる時間をだいたい知っていても、それ以外のことはなにも知らない。泥酔した巧を介抱してあげることはできても、
それ以上のことはなにもできない。巧はただの居候。巧にとって、あたしはただの同居人。あたしたちはそれだけの関係。
 当たり前のことなのに、こんなにも寂しい。なんでだろう。詩織さんへの想いをぶつけられたから?巧との距離がはっきりとわかって
しまったから?
 胸が苦しい。いま、あたしが巧へ抱いている感情を、どう名付けたらいいのだろうか。
 
 
 
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