#40.夏風、夕方、棒アイス
 
 
 
 
 「あー、暑ィ」
 梓がパタパタと下敷きで扇いでいる。向かいに座っている俺には、涼しい風がまったく来ない。
 「お前、さっきからそれしか言ってねえじゃん」
 「暑いんだからしょうがないだろ?あー、暑い暑い暑い……」
 「うるせえ!」
 俺は梓を一喝し、自分も下敷きで扇ぐことにした。
 ああ、確かに今日は暑い。まだ7月に入ったばっかだってのに―――。
 
 
 7月2日、午後4時。俺と梓は教室に残って、ダラダラとくだらない話をしていた。梓の部活が休みの日は、毎回こんなふうに付き
合わされる。俺のほうは大した用事もないので、べつにいいんだけど。
 「なー、瑛治」
 「んだよ」
 「アイス買ってきて」
 梓がぐったりとして、死にそうな声で言った。
 「なんで俺が」
 「お前の分も奢るから……だから、頼む」
 「そんなに暑いなら、駅前のマックでも行こうぜ。涼しいだろ」
 「……い、いやだ」
 本当に死にそうだ。俺、こんな梓、初めて見た。いくらテスト前でもここまでぐったりしてなかったぞ。
 「なんで」
 「……約束、したから。待ってるって。部活、終わるまで……」
 「はあ?……あ、椎名か」
 「6時までなんだよ、部活。そのあと、一緒にご飯食べるって、言ったから……」
 椎名はテニス部に所属している。ああそうか、だからこんなにぐったりしてまで学校に残っているわけだ。
 「本当に好きだよなあ、椎名のこと」
 「あたりまえだろ!」
 机の上でぐったりしていた梓ががばっと起き上がって、真剣な顔で言った。いつもはふざけてるくせに、こういうところもあるんだ
よなあ、梓って。
 「わかったわかった。じゃあお前はぐったりしてろ。俺がアイスおごってやっから」
 「マジ、で……?」
 「マジマジ。じゃ、行ってくるから」
 俺はぐったりした梓を残して、学校の近くのコンビニに向かうことにした。
 
 「あー、暑い……」
 真っ青な空が頭上に広がっている。夕方になってだいぶ涼しくなったといえ、この暑さだ。ワイシャツが汗で肌に張り付いて気持ち悪い。
 徒歩3分のコンビニなのに、着くまでが地獄のようだった。しかしコンビニに入ると冷房がききすぎるくらいきいていて、汗がすっと
引いていくのがわかった。
 ガリガリ君を二本持って、レジに向かう。ああこれ、さっさと学校に戻らないとすぐに溶けるよな……。
 コンビニから出ると、再び地獄に戻った。クソ暑いってこういうことを言うんだ。俺はコンビニの袋をぶら下げて、夏の焼けつくような
暑い空の下を走っていく。
 
 「ほら梓、アイス」
 俺は教室に入るなり、ぐったりしている梓にアイスを投げる。梓は見事にキャッチして、急いで袋を開けてアイスを食べ始めた。
 「あー、生き返るー……。悪いな、瑛治」
 「ああ」
 俺も袋を開けてガリガリ君を一口齧った。あー、確かに生き返る。
 「暑いなー……」
 「だな」
 「いま何度あんだろ」
 「さあ?」
 「まどかちゃん、外キツいだろうなー」
 「ああ」
 ガリガリ君片手に、梓は窓の外をボーッと見つめていた。全開にした窓からは、蒸し暑い風しか入ってこない。
 「なあ瑛治」
 「なんだよ」
 「俺、告白すっかな」
 梓は食べ終えたアイスの棒をくわえながら、袋をグシャグシャと丸めていた。
 「まだ、してねえの?」
 「まあ」
 俺、もうすでに付き合ってるのかと思ってたぞ。部活のあととか、いつも一緒に帰ってるみたいだし。仲いいし。学校でもよく話してるし。
 
 「いまいち踏ん切り、つかねーんだよなあ」
 いきなり梓は窓のそばまで歩いていって、窓から身を乗り出した。椎名のことでも見ようとしているのかもしれない。
 「こっからテニス部って、見えんの?」
 「いんや、見えない。がっかり」
 梓はそう言って豪快に笑い、それから俺に手招きをした。「なんだよ」と言うと「いいからいいから」と笑う。しょうがないので、俺も
窓のそばに行くことにする。
 「瑛治、身長なんぼだっけ?」
 「175センチくらい」
 「でけえなあ」
 ぼんやりとグランド見つめる梓は、一瞬別人のように思えた。グランドでは野球部が頑張っている。カキーンという乾いた音が、何度も
響いていた。
 「俺、がんばろーかなあ」
 まったく脈絡のない会話だが、梓はけっこう本気らしかった。梓の茶色い髪が、夏の風になびく。
 「梓、髪染めてんだっけ」
 「あー、うん」
 茶色い髪に、両耳に2個ずつのピアス。見かけはおちゃらけてるが、中身はいいやつだ。
 「まあ、がんばれや」
 俺はのんびりと言って、窓から身を乗り出してみた。確かにテニス部は見えない。
 
 
 「なー瑛治、花火大会行かねえ?」
 すこしの間のあと、梓が唐突にそんなことを言い出した。
 「花火大会?」
 「俺と、お前と、まどかちゃんと、えーと、なんつったっけ。お前の彼女」
 「姫桜?」
 「そうそう、姫桜ちゃん」
 「4人で?」
 「うん」
 なに言ってんだこいつは、と思ったが、梓はやっぱり本気らしかった。
 「再来週の土曜日。集合は南沢駅前」
 「おいおい、勝手に決めるなよ」
 「俺とまどかちゃん、もう約束してんだ。だけど二人きりじゃ怖いから、お前らも」
 「……あのなあ」
 怖いから、って……。まあ、わからなくもないけど。わからなくもないけど、なんで俺と姫桜が?
 「告白すっから。その日に」
 「……でも、なんで俺たちが……」
 「瑛治、お前はそんなに冷たかったのか……」
 梓が明らかに落胆したように言う。思った以上にがっかりしているので、俺は焦ってしまう。
 「や、べつに、行かないわけじゃないけど。だけどほら、岸浜南、忙しいし」
 「ダメだったらしょうがねえけどさ。姫桜ちゃんに訊いといてくれよ、な」
 ……こういう強引なとこ、ちょっと椎名と似てるかも。
 しょうがないので俺はしぶしぶ頷いた。まあ、南沢の花火大会ならどうせ俺たちも行くだろうし、夜にでも姫桜に電話してみよう。
  
 いつの間にかだいぶ涼しくなった風に吹かれながら、俺と梓はくだらないことを延々と話していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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