#35.ハイテンション・ホリディ―pm4:00、近づいていくふたり姫桜視点―
 
 
 
 
 「電車、何時だっけ」
 1時間くらい経っただろうか。それからぽつりぽつりといろんな話をして、もうだいぶ時間が経ったような気がしていた。
 ふいに久保――じゃなかった、瑛治がそんなことを言って、腕時計に目をやった。
 「えっと、3時15分と4時35分、かな」
 「もう3時過ぎだから、4時35分の電車だな」
 そう言って瑛治はすこし私に笑いかける。なんでもないことなのにドキッとして、私は思わず目を逸らす。
 
 なに着ようかな、どこに行こうかな、なんてずっとワクワクしたりドキドキしたりした3日間。悩みまくった挙句に、おそらく人生で
一番時間をかけておしゃれなんかしてみたのだ。
 二人で出かけることがこんなに緊張することだったなんて。今朝なんて、まるで初めて会うみたいにドキドキした。
 『友達』っていう関係じゃないんだ。もう私たち、『付き合ってる』んだよね―――。
 そう実感するとぐっと胸が詰まって、余計緊張しちゃって、いつも通りの可愛くない態度を取ったりしちゃって。
 なのに瑛治は『可愛い』なんて言うし、どうしていいかわかんなくて変な反応して、自己嫌悪に陥ったり。友達のときとは全然違う感情
に翻弄されっぱなしなのに、なぜかすごく楽しくて嬉しくて。
 幸せだな、なんて噛みしめたら、思わず泣きたくなる。瑛治の隣にいることがこんなに嬉しいことだなんて、私は今まで知らなかった。
 
 「……桜、姫桜」
 「えっ?!」
 突然瑛治の声がして、私はハッと我に返る。
 「ずっと呼んでたんだけど」
 「あ、ごめん……」
 「お前がボーっとするなんて珍しいよな。どうかした?」
 「ううん、なんでもない」
 まさか言えるわけないよね。瑛治のことをいろいろ考えてた、なんて。
 「駅までの道、覚えてる?」
 ふーん、と不思議そうに相槌を打ったあと、瑛治が思いついたように言った。
 「たぶん」
 「じゃあもう少しいてもいいな。3時50分になったら行こう」
 瑛治はホッとしたように言って、パタン、と携帯を閉じる。ストラップが一つもついていない、黒の携帯だ。
 ストラップはつけない主義なのかな。瑛治の携帯を見る機会なんてそんなになかったから、知らなかったな……。
 
 「あー、俺、眠くなってきた」
 瑛治が大きなあくびをして、眠そうに目をこする。その仕草がすごく可愛い。
 「暖かいもんね」
 波の規則的な音が心地よい。陽射しも柔らかくて、そう言われてみればものすごく眠くなる環境である。
 「昼寝でもしようかな」
 「あと1時間もないんだから、寝たら怒るわよ」
 「はいはい。姫桜を怒らせたら怖いからな。じゃあ俺が寝ないように、なんか話振れよ」
 瑛治が冗談っぽく笑って、可笑しそうに笑う。
 「……そう言われると、なに話していいかわかんないんだけど」
 「だよな」
 「わかってるなら言わないでよ」
 「うるせえなあ、いちいち怒るなよ」
 「だって……」
 また怒っちゃった。本当に私って、可愛くないっていうか、素直じゃないっていうか、ダメだなあ……。
 私が落ち込んでると、瑛治が「本気にするなよ」と笑って、私の手に自分の手を重ねた。心臓が跳ねて、また鼓動が速くなる。
 
 「……なんでそんなに驚くかな」
 「……まだ慣れないから」
 「俺だって慣れないけどな、恥ずかしいやら緊張やらをなんとか抑えて……」
 瑛治はそこで言葉を切って、俯いてしまった。私が「瑛治?」と顔を覗き込むと、瑛治は「うわっ」と後ずさりする。
 「失礼なやつ」
 「いや、違う!その、嫌なわけじゃなくて、べつに……」
 「いいわよ別に。言い訳しなくて」
 なによ。ちょっと顔を覗き込んだだけなのに、あんな反応しなくたっていいじゃない。そりゃあ私だって、手を繋いできた瑛治に対して
あんな反応しちゃったけど……。
 「―――ちょっと顔が近かったから、驚いたんだよ!」
 「え?」
 「お前も、もうちょっと、意識しろよな……」
 瑛治ははあ、とため息をついて、私の手をぎゅっと強く握る。
 意識?意識って、顔が近いこと?私が顔を覗き込んだこと?それを意識するの?なんで、私が……。
 ―――あ。
 今度は私が後ずさりをする番だった。瑛治の手をパッと離して、「あ、あの、あの……」とうわ言のように口走る。
 「……あんまり意識しないようにしてたんだけど」
 「私、全然、そんなつもりじゃ……」
 顔を近づけるって、そっか、そういう意味で……。全然気が付かなかった。
 「わかってる。わかってんだけど、あーもう、お前はなんで、こんなことするかな……」
 瑛治は頭を掻いて、困ったように言った。髪、いつもよりくしゃくしゃってなってる気がする。これ、どうやってやってるのかな……。
 「ごめん……」
 「なにも、謝らなくても」
 私と瑛治はお互い俯いて、黙ってしまった。
 ……私、なにやってるんだろう。付き合ってるってことは、つまり、そういうことも、あるってことなんだよね。全然意識してなかったのに、
瑛治がそんなことを言うから、すごく意識してしまう。
 離れたままの手がなんだか寂しく思えたから、私はそっと、瑛治の手に自分の手を重ねる。さっき瑛治がやったみたいに。
 心臓がバクバクして、壊れちゃいそうだ。手を繋ぐだけでこうなんだから、もし、キスなんかしたら、たぶん心臓が壊れちゃう。
 
 「……姫桜」
 「……なに?」
 手繋いだらダメだったかな。なんとなく、瑛治、怒ってる気が……。
 瑛治ははあ、とまた大きなため息をついて、睨むように私を見た。思った以上に真剣な顔だったからびっくりして、私は目を逸らす。
 「―――目、つぶって」
 「え?」
 「いいから」
 有無を言わせないような口調だったから、とりあえずその通りにする。私がぎゅっと目をつぶると、瑛治がふいに、私の肩に手をかけた。
 もしかして、と思ったときは遅かった。瑛治はそのまま私の体を引き寄せて、そのまま―――。
 唇が重なる。本当に一瞬の出来事で、瑛治の唇が私の唇をかすめただけだった。
 なにが起こったのかわからなくて、ドキドキする暇もないくらいだった。
 いま、瑛治、私に、キス……した……?
 
 「……瑛治……」
 「ごめん、いきなり」
 「う、ううん。ちょっとびっくりしたけど」
 今ごろ、心臓がドキドキしている。私は無意識に唇を押さえて、たった今の出来事を何度も何度も思い出していた。
 「その、嫌とかじゃ、なかった?」
 瑛治は不安そうな顔をして、私を見ている。
 「……全然」
 びっくりしたけど、全然嫌なんかじゃなかった。ううん、むしろ―――。
 「それなら良かった。……あー、すげえ緊張した」
 瑛治は嬉しそうに笑って、大きく伸びをした。
 「嫌がられたらどうしようって思ったんだけどさ、その……したくなって」
 「そ、そんな……」
 したくなって、って……。あんまり直接的だから私の方が恥ずかしくなる。顔が熱い。きっと今、すごく顔赤いだろうな。
 「……初めて?」
 「うん」
 「俺も」
 「……お互い、ファーストキス、なんだね」
 キス、って言うのがものすごく恥ずかしい。まさか自分が、好きな人とキスをする日が来るとは、思ってもなかった。
 だけど、恥ずかしさ以上に嬉しさが心の中を満たしていて、また知らない感情が芽生えていく。
 「……嬉しいよ」
 「え?」
 「その、瑛治と、キスしたこと」
 私は俯いて、ぼそぼそと呟くように言った。
 「……可愛いこと言うなよ」
 瑛治は笑って、そっと私を抱きしめた。付き合い始めた日以来だな、なんてふと思う。
 「俺、本当に、姫桜のこと、好きだ」
 耳元で瑛治がそんなことを言うから、恥ずかしくなって思わず「うるさい」なんて言ってしまう。だけど瑛治は「悪い悪い」なんて言って
笑う。
 「……すき」
 私はまた呟くように言って、そっと、瑛治の背中に腕を回した。広い背中だなあって思って、なぜか泣きたくなる。
 「うん」
 嬉しい、と瑛治は言って、私の頬にキスを落とした。だから私もお返しに、瑛治の頬にキスをする。
 「なんか、夢みたいだ」
 瑛治が本当に嬉しそうに言ったから、「でも現実だよ」と答えた。夢じゃなくて、現に私と瑛治は付き合って、こうしてデートをして、
キスして、抱き合ってるじゃない。
 
 これからもこの人と一緒にいたい、と思ったのは初めてじゃなかったけれど、特に今日は強くそう思った。
 私のことをこんなに幸せにしてくれる人を手放したくない。ううん、絶対に、手放さない。
 私が瑛治を抱きしめる腕に力を込めると、瑛治もぎゅうっと私を抱きしめてくれた。
 温かくて嬉しくて、まだ慣れない感触なのになぜか安心する。不思議だな。どうしてこんなに、泣きたくなるくらい、幸せなんだろう―――。
 
 私と瑛治はもう一度キスをして、笑い合って、また抱きしめ合った。
 好きだって何回言っても足りない。こんなの初めてだよ。
 ねえ、瑛治。これからも、私のそばにいて―――。
 
 すこし西に傾いた日が、瑛治の髪を照らす。
 この世界に二人しかいなくなったような気持ちで、私はもう少しだけ、この人の腕の中にいることにした。
 
 
 
 
 
   
 
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