#28.好きだよ、を言うために
 
 
 
 
 『あの……』
 電話し始めてから15分。お互いの高校の話なんかしていたのだが、香坂がそう言いにくそうに切り出した。
 「どうかした?」
 『……あの、前に、遊ぶって言ってたよね?』
 「あ、ああ……」
 どきっとした。香坂、まだそんなこと覚えててくれたのか……。
 「どっか、行きたいとこあるか?」
 『どこでもいいよ』
 香坂がすこし笑う。耳元で香坂の笑い声がするからなんだかくすぐったい感じがして、恥ずかしくなる。電話してるだけで、べつに香坂が
目の前にいるわけじゃないのに。
 「そっか」
 好きだなあ、本当に好きだなあ、と思う。こうして話しているだけでバカみたいに幸せになって、今ならなんでもできそうな気分だ。
 ―――告白してやれよ。香坂は素直じゃないから、お前が黙ってたらずっとこのままだぞ。
 桐島の言葉をふいに思い出す。俺が告白して、付き合って下さいって言ったら、香坂は頷いてくれるのだろうか?
 『だけど、久しぶりに会いたいね』
 またどきっとする。わざとやってんのかこいつは、ってくらい、今日の香坂は俺をやけに喜ばせてばかりだ。
 「そうだな」
 次に香坂に会ったときは、もしかしたら、俺は告白ってやつをしてしまうかもしれない。
 こうして電話してくれたり、会いたいとか言ってくれたり。俺の自惚れかもしれないけど、それって、俺のこと嫌いじゃないってことなん
だよな?
 香坂が大好きだ。香坂と一緒にいたい。香坂に会いたい。
 だから俺、香坂に―――。
 
 「香坂」
 『なに?』
 「明日とか、会えないか?」
 自分の想いを伝えたい、ただそれだけの気持ちだった。
 もしかしたらフラれるかもしれないし、3年間も片想いしてるくせに、どうしても告白までは踏み切れなかったけど。だけど、だけど今なら。
 俺は香坂に伝えたい。緊張とかそんなの関係なしに、伝えたいのだ。
 もう、言えないでいられるような気持ちじゃない。今日こうして香坂が電話してきたことで、俺の想いはまた一つ大きくなっていく。
 『明日は……補習があるの。あさってなら補習ないから、あさって……』
 「いい、待ってるから」
 『でも、そんなの悪い……』
 「いいよ。俺、香坂にどうしても話したいことがあるんだ」
 距離を飛び越えて、今すぐ香坂に会いに行きたい。ほんとなら、今すぐ香坂に「好きだ」って伝えたい。
 だけどやっぱり、直接顔を見て言いたいから、今は我慢することにする。
 『うん、わかった。多分、5時半には駅に着けると思う』
 「じゃあ俺、駅で待ってるよ。どこかで話そう」
 ……言ってしまった。言ってしまったぞ、俺。
 もう後戻りはできない。……今さらだけど、ちゃんと言えるのだろうか。
 『うん。じゃあ私、もう寝るね。おやすみなさい』
 「ああ、おやすみ」
 25分32秒。香坂との電話を切ると、急に寂しくなったように感じる。
 
 伝えたい。ただそれだけ。
 そりゃあ、香坂と付き合えたらすごく幸せなんだろうけど、それは二の次だ。
 3年間言わなかった――いや、言えなかったのか――自分の気持ちを伝えたい。俺の香坂への気持ちは、もう抑えられないくらいに膨らんで
いるのだ。
 好きだ、好きだ、好きだ―――。
 心の中で何度も何度も呟いて、香坂の顔を思い出そうとする。
 だけどなぜか思い出すことはできなくて、笑顔がおぼろげに脳裏に蘇っただけだった。
 
 
 
 
 「おはよ」
 次の日に学校に行くと、椎名がとびきりの笑顔で挨拶してきた。
 「お、おはよう……」
 「昨日のことは気にしないで。私も気にしてないから」
 椎名の目がすこしだけ腫れている。もしかしたら、泣いたせいで―――そう思うと、胸の奥がずきんと痛む。
 「わかった」
 俺がはっきりと言うと、椎名は満足そうな顔をして、女子の輪の中に入っていった。
 「おい瑛冶、お前、マジで断ったんか?」
 「……盗み聞きしてんじゃねえよ」
 後ろで今のやりとりを聞いていたらしい梓は、「信じられないものを見た」といった面持ちで、声のトーンを下げてそう言った。
 「やー、ホントもったいねえことすんのな、お前。ある意味すげえわ」
 言葉とは裏腹に、梓はいたく嬉しそうだ。
 
 「よく言うよ」
 俺が苦笑いをして言うと、梓が急に真剣な顔になった。
 「瑛冶がまどかちゃんのことフッてくれて、助かったんだけどな。俺、本当に好きかもしんなくてさ」
 薄々はわかっていた。椎名は中学時代からモテていたらしいけど、梓の態度はただのファンのそれではなかった。俺との会話の中でも
椎名の話題がよく出るし、何よりも、梓は椎名と話しているとき、本当に嬉しそうだったからだ。
 「俺が言えたことじゃないけど、応援する」
 椎名はなんで気付かないんだろうと思う。
 俺なんかよりもずっとずっといいヤツが、お前のことを好きでいてくれてるのに、って。
 「頼むよ。夏休みに花火大会とかさ、二人で見に行っちゃったりして」
 梓が冗談っぽく言い、へへへ、と笑った。
 ―――大切なものって、案外すぐそばにあるモンなんだよな。
 俺にとっての香坂も、椎名にとっての梓も、きっとそうなんだろう。
 
 
 
 
 南沢駅は、小さいけれどきれいな駅だ。
 目の前の電光掲示板を見ると、「普通 17:28 結崎」となっている。結崎というのは南沢の次の駅だ。岸浜方面から来る人たちは、
たいていこの結崎行きの快速列車か普通列車に乗っているはずだった。
 今は17時20分。あと8分で、香坂がここに着く―――そう思うといてもたってもいられないような気持ちになる。
 なにもすることがないので携帯をいじっていると、「17時28分発、結崎行き普通列車が、2番ホームに到着します」というアナウンス
が聞こえた。時計を見る。17時26分。
 アホみたいに心臓がバクバク鳴っている。中学んときは毎日会っていたはずなのに、なんでこんなに緊張してんだよ、俺は……。
 まわりの人から見たら、俺はきっと挙動不審に違いない。あたふたしているうちに、列車は着いてしまったらしかった。
 改札口からどんどん人が出てくる。制服姿の高校生も多い。南沢から岸浜の高校に通っている人は少なくないからだ。
 だけど岸浜南ほどの高校になるとやはり少なく、香坂の姿はすぐに見つかった。向こうもすぐに俺を見つけたらしく、足早にこっちに
向かってきた。
 「もっと前の電車で帰ってこようと思ったんだけどね、補習が長引いちゃって。待った?」
 「いや、さっき来たばっかだから」
 緊張しすぎてうまく喋れない。どうしても素っ気なくなってしまう。
 「どこで話す?」
 「あ、近くに公園あるから、そこで」
 南沢駅の周辺は店がたくさん並んでいて、公園もいくつかある。まだ外はすこし明るいし、どこかに入って話すよりはいいだろう。
 「うん、わかった」
 香坂は笑っていたけど、緊張しているように見えた。話の内容、わかってんのかな?……いや、それはないか。香坂に限って。
 香坂は髪を2つに結っていて、髪伸びたなあ、なんてのんきなことを思った。それから、可愛いな、とも。
 
 「久保、あんまり変わってないよね」
 歩きながら香坂が言った。たまに手がぶつかって、そのたびにどきっとする。
 「1ヶ月ちょっとでそんなに変わるわけねーだろ」
 「そうかなあ。桐島くんとたまに会うけど、すこし雰囲気変わったよ。最近会ってる?」
 「ゴールデンウィーク中に1回遊んだ」
 そう言いながら、隣を歩く香坂を横目で見る。
 俺の背が伸びたのか、気のせいなのか―――香坂は思っていたよりもずっと小さい。それに、見るたびにきれいになっていくような気が
する。
 「前会ったときはさ、こうして話せなかったから」
 「香坂が怒ってたからな」
 俺が言い返すと、香坂がムッとしたような顔で俺を睨みつけた。
 「怒ってないって言ってんでしょ」
 「ほら、またすぐ怒る」
 南沢駅から歩いて徒歩5分。俺たちは、小さな児童公園に入った。
 
 「今日、あったかいよね」
 「そうか?」
 辺りはもう薄暗くなっていた。帰るとき、ちゃんと家まで送ってやんないとな……。
 「こうしてると眠くなってきちゃう。久保、話ってなに?」
 「あー、うん……」
 改めて言うとなると、また先ほどの緊張が迫ってきた。「好き」とという一言を言うためにわざわざ呼び出したくせに、それを言わな
かったら話にならない。
 「……すげえ緊張する」
 「え?」
 「いや、こっちの話」
 「なによそれ」
 香坂がくすくす笑う。あまりに可愛いので、思わず目を背けた。
 あー、ダメだ。俺ってホントにダメだ。ちゃんと言うために、わざわざ呼び出したんだろうが。
 3年越しの片想い。今まで、言いたくても言えなかった―――。
 
 「香坂」
 俺は香坂のほうに向き直る。香坂は笑うのをやめて、俺の顔をじっと見つめた。
 「……すき、なんだ」
 言葉が零れた―――という表現は間違っているかもしれないけど、まさにそんな感じだった。
 「え?」
 「好きなんだ、香坂のことが」
 今度は、はっきり言ったという自信があった。香坂にもしっかり聞こえていたはずだ。その証拠に香坂の表情が変わった。
 びっくりしたその顔の後、笑顔に変わるか、それとも―――。
 
 
 ―――答えを待つ瞬間は、いつでも残酷だ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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