#21.入学初日
 
 
 
 
 「変わらねえなあ……」
 鏡の中の自分を見て、俺はぽつりと呟いた。
 4月10日。今日は高校の入学式だ。
 俺が今日から通う光台高校の制服は、中学のときと変わらず学ランである。
 「瑛冶!入学式遅れるわよ!」
 下から母さんが叫ぶ。
 やべ、ほんとだ。俺は鞄を引っつかんで、勢いよく階段を駆け下りた。
 入学式は午後1時からだけど、12時5分のバスで行かなければ間に合わないのだ。
 バスは基本的に1時間に2本しか出ていない。だから、12時5分のバスに乗り遅れたら、12時45分のバスに乗っていかなければ
いけなくなる。
 いくら俺でも、入学式から遅刻はしたくないぞ……。
 
 「行ってきます!」
 俺はバス停までダッシュする。といっても、すぐそこだけど。
 南沢中学校前のバス停から乗るので、わずか徒歩5分。全力疾走で2分。
 バス停に着いて腕時計を見ると、まだ12時ちょっきりだった。ホッと胸を撫で下ろし、目の前の南沢中学校を見る。
 1ヶ月前まではここの生徒だったのに、なんか懐かしいなあ……。
 まだ入学式も終えてないのだから、高校生という実感は湧かない。かと言って中学生でもないし。
 変な感じがする。ていうか、入試のときくらい緊張してるんだけど。
 ……ダメだダメだ。落ち着け自分。
 バス停には、同じく光台高校の制服を着た人が何人かいた。その中に知った顔を見つけ、声を掛ける。
 「お、久保じゃん。なんだよお前、光台だっけ」
 同じクラスだった男子だ。俺とも桐島とも、そこそこ仲が良かった。
 「まあ」
 「桐島は?あいつ結局どこ受けたんだよ」
 「岸浜北」
 「げ、やっぱ頭いいなー。あいつ」
 そんな会話をしていると、緊張が少しだけほぐれてきた。そういや、岸浜北も入学式今日だったな……。
 俺は、2分ほど遅れてやってきたバスにそいつと一緒に乗り込んで、また他愛もない話をすることにした。
 
 
 クラスが貼り出されている掲示板は、硬い表情をした新入生で混み合っていた。
 「1年4組、か……」
 俺はぽつりと呟いて、階段を上る。1年生は4階だ。
 教室に入ると、女子が10人くらいと、男子が5、6人来ていた。女子はなにやら喋っているけど、男子は誰も喋っていない。
 俺の席は不運にも一番前だった。
 はあ、とため息をつきながら席に着くと、いきなり「ため息つくと幸せ逃げるよ」なんて言われた。
 ―――誰?今喋ったの、誰?
 俺がきょろきょろ辺りを見回していると、「こっちだよ、こっち」という声が隣からする。
 「いきなり悪いな。なんか面白そうなヤツが来たなーと思って」
 そう言ったのは、俺のすぐ隣の席の男子だった。
 髪がツンツン立っていて、小柄で、なんだか活発そうなやつだ。
 「……面白そうって、何」
 「なんかよく喋りそうなヤツって意味。だって、誰も喋んねーんだもん。みんなしてじっと黙っててさ」
 「あ……そう」
 そりゃあそうだろう。みんなほとんど初対面なんだから、いきなりベラベラ喋り始めるやつなんていないに決まっている。
 「それにお前、なんか俺と似たような感じがしたから」
 ……似てねーよ!どこがだよ。少しも似てねえよ!
 そう思ったけど、全く知らないやつにいきなり面白そうだの俺と似てるだの言われて、緊張がどっかに吹っ飛んでしまったらしい。
 気付けば俺は、プッと吹き出してしまっていた。
 
 「あ、笑ってる。やっぱ面白い?俺、面白い?」
 「面白い面白い」
 俺がそう言って笑ってると、そいつは気を良くしたらしかった。満足そうに「面白いだろ、俺」と笑う。
 「俺、高槻梓っていうんだ。タカツキってなんか呼びづらいから、梓でいいぞ。つーか、梓って呼べ」
 そいつがなぜか偉そうにそう言うと、「またやってるよあいつ」という爆笑が巻き起こった。爆笑しているのは、俺と高槻が喋っている
間に来た男子らしい。
 「お前は?」
 「あー……」
 なんかこいつ、回転が速すぎてついていけないぞ。えっと、何訊かれたんだっけ……ああ、名前か。
 「久保。久保瑛冶」
 「よし、瑛冶な。まあ今日から同じクラスだ。よろしくな、瑛冶」
 ……さっそく、名前を呼び捨てかよ。
 「こちらこそ、高槻……」
 「梓って呼べ!」
 俺が名字で呼ぶと、すぐにお叱りの声が飛んできた。
 ―――入学早々、変なやつに会っちまったなあ。
 そうは思ったけど、性格は悪くなさそうだし、明るいし、面白そうだな。
 
 高槻梓。出会いは強烈だったが、こいつとはクラスで一番仲良くなることになる。
 そして、この俺と梓の会話をじっと見ていた女子がいたことには、俺はまったく気付いていなかった。
 
 
 
 「えー、今日から、このクラスでやっていくわけですが……」
 入学式の後、担任が教室に来て話を始めた。
 担任は何やらベテランらしく、けっこう年がいったおじさんだった。だけど笑顔が優しくて、悪い先生ではなさそうだ。
 ……でも、眠い。
 先生にバレないようにあくびをする。寝たいけど、まだ初日だし、一番前の席だし。当分この席だろうから、授業中も寝れねえなあ……。
 「まあ、頑張っていきましょう。さっさと帰って、明日の学力テストの勉強でもして下さい」
 ―――え?
 どうせ長いんだろうなあ、眠いなあと思っていると、いきなり担任がそう言って締めくくった。
 「はい、じゃあ解散していいですよ。君たちも疲れたでしょう」
 見ていると安心するような笑顔でそう言って、担任は教室を出て行った。
 
 担任が出て行ったあと、教室は急にざわざわと騒がしくなった。
 女子同士は何やらアドレス交換をしているらしい。男子は、さっさと帰ってるやつもいれば、喋ってるやつもいる。
 「話が長くない先生っていいなあ。な、瑛冶」
 「はあ……」
 もうずっと前から友達だったかのような口ぶりで、高槻……もとい、梓が話しかけてきた。
 「俺の中学ん時の担任さあ、話すっげえ長いの。もうウンザリでさあ。あ、そういや瑛冶って中学どこ?」
 本当に頭の回転が速いやつである。話の内容が目まぐるしく変わるので、ついていくのがやっとだ。
 「南沢中だけど」
 「近くていいねえ。俺、岸浜第一中なの。岸浜南の近く」
 「岸浜、南……」
 岸浜南と聞いた瞬間、俺の脳裏にはあいつの顔が浮かぶ。
 香坂、今ごろどうしてるかな。入学式やって、帰って、テスト勉強でもしてんのかな……。
 「近いとこ行きたかったんだけどさ、岸浜南なんて俺の頭じゃ地球がひっくり返っても無理だし。ほんとすげえよなあ。エリート集団
だからな」
 「だなあ……」
 エリート集団か……。
 中学んときとは、違うんだよな。俺と香坂は、ぜんぜん違う場所で、これからやっていくんだもんな。
 もともと距離があったのに、今度は距離じゃなくて、壁ができたような気がした。俺と香坂の間に隔てられた、高い高い壁……。
 
 「でも、光台来てよかったぜ。しかも同じクラスだしなー。俺、すっげえ嬉しくて」
 梓はそう言って、まだアドレス交換をしたりおしゃべりしたりしている女子たちを指差した。
 「……誰と?」
 「あれだよあれ。いるだろ、髪茶色くて、色白くて、すっげえ可愛い子」
 ……どれだ?
 俺は目を凝らして、女子たちを見る。確かに髪が茶色い女子が一人いた。
 「あの髪、生まれつきなんだって。色素が薄くてさー、んで、声もすっげえ可愛くてさー、ふわふわしててー、女の子らしくてー……」
 梓は何やら一人で語っている。
 「椎名まどかちゃんっていって、中学んときもすっげえ人気あったんだ」
 まあ、確かに、可愛いかも……。
 なんだか、男子が描く『こんな女の子と付き合いたい』像の第一位にランクインしそうな感じだ。
 客観的に見て可愛いとは思うが、俺はあんまし好みじゃねえなあ……。なんてったって俺、好みがこういうタイプとは正反対だから。
 「瑛冶も、可愛いと思うだろ?」
 いきなり振られたので、「いや……」と思わず出てしまった。
 「え?!まどかちゃんのこと可愛いと思わねえの?!」
 「や、可愛いとは思うけど……別に、好みじゃない」
 「初めて会ったなあ、まどかちゃんのこと好みじゃないとか言ったヤツ」
 梓が不思議そうな顔をして俺を見る。そんなにいいか?と思ったけど、これ以上言ったら本気で怒られそうなのでやめておいた。
 
 「高槻くん」
 まるで鈴のような、高くて可愛らしい声がした。
 その噂の椎名が、急に俺と梓に近づいてきたのである。
 「ま、ま、ま、まどかちゃ……」
 机に座っていた梓がそう言ってぴょん、と机から降りる。その瞬間、俺は絶句してしまった。
 「……梓、お前……小さ……」
 「うるせえ!それ以上言うなっ!」
 立ち上がった梓の身長は、160センチもないように思えた。俺は一応175センチくらいあるはずなので、だいぶ見下ろすことになる。
 「梓、小さいな……」
 ここまで小さい男子というのもなかなか珍しいので、俺はしげしげと見てしまう。
 「うるせえっつの!あんま連発すんな!気にしてんだから!」
 「いいじゃない。高槻くん、小さくてかわいいと思うよ?」
 椎名がそう言ってコロコロと笑うと、梓は「え、そう?マジで?」とニヤけている。現金なやつである。
 「高校でも同じクラスなんだね。よろしくお願いします」
 椎名が律儀に梓に頭を下げた。梓も「あ、こちらこそ」と頭を下げる。
 
 近くで見ると、人形みたいだなあ……。
 ふわふわした茶色い髪は綿菓子みたいだし、肌は透き通るように白いし……って、俺はなに見てんだ。あんまじろじろ見たら怪しいだろうが!
 「えっと……」
 椎名の目が俺に向いたので、思わずドキッとした。……うん、確かに可愛いぞ。
 さっきは好みじゃないとかなんとか言ったけど、こりゃあ、こういう感じの子が好みのやつは一発だ。一瞬で、バッチリ落ちるぞ。好み
じゃない俺でさえ、ドキッとしたくらいなんだから。
 「あ、久保。久保です」
 「久保くん。私、椎名まどかです。よろしくね」
 そう言って椎名は、にっこりと笑ってみせた。
 この笑顔で、今まで何人落ちたんだろうなあ―――なんてことを考えずにいられないような、完璧な笑顔だ。
 
 「あ、もう帰らなきゃ」
 椎名が教室の時計を見て、小さく呟いた。
 「また明日ね」
 「うん。気をつけてね」
 梓がニヤニヤしながら椎名に手を振る。こいつ、ホント分かりやすいやつだな。面白いくらい。
 「そうだ、久保くん」
 「はい?」
 「明日、アドレス教えて?」
 そう言って椎名は、ピンクの携帯を鞄から出して、またにっこりと笑った。
 「いいけど……」
 「ありがと。じゃあね」
 椎名はそう言って、そそくさと教室から出て行く。
 
 
 「なんだよお前、まどかちゃんと知り合いだったんじゃねーの?」
 椎名が帰ったあと、梓が不機嫌そうに口を尖らせながら言った。
 「違うって。まったくの初対面」
 俺が帰る支度をしながら言うと、「だってまどかちゃんって、自分から男子にアドなんて訊かないんだぜ?」とまた不機嫌そうに言った。
 「え?」
 「まどかちゃんって黙ってても男寄ってくるからさ、絶対アド訊くのって男子のほうなんだよな。俺だって、こっちから訊いたし」
 「たまたまじゃねえの?」
 「でも、まどかちゃんが男子にアド訊いたのなんて、初めて見たんだよ。今まで彼氏いたこともないし」
 「そりゃ意外だ」
 てっきり、男をとっかえひっかえしてるのかと思ってた。あの顔なら、毎日彼氏を変えても困らない気がするんだけど……。
 「モテすぎて困ってんだよ、きっと。モテねえのも辛いけど、モテすぎんのも辛いんだろうなー」
 梓が『モテねえのも辛いけど』の部分に実感を込めて言ったので、俺は思わず吹き出してしまった。
 
 
 ちょっと優越感を感じつつも、大した気にも留めていなかった。
 椎名が可愛いのは認めるし、すごくモテるのにも頷けるけど、べつに、俺にはそんなことどうでも良かったから。
 だけど、この椎名まどかが、俺に関わってくるのは―――。
 ほんの少しだけ、未来の話である。
 
 
 
 
 
 
 
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