#18.幸せな結末を
 
 
 
 
 言ってしまったら、もう後には退けない。
 
 「なんで、わかっちゃったかなあ」
 香坂は笑って言った。小さな声で、呟くように。
 「……そんなに、わかりやすい?」
 「いや……」
 俺がなんで那津さんの存在を知ったかなんていうのは、香坂には話せるわけがない。
 桐島や風華ちゃんに那津さんのことを訊いたっていうのがバレたら、俺が香坂を好きだということがわかってしまう。それは絶対に
駄目だ。
 香坂をこれ以上、混乱させたくない。
 
 「お兄ちゃんのことは、ずっとずっと前から好きだったんだ」
 俺が何も答えないうちに、香坂はゆっくりと話し始めた。
 「最初は恋愛感情じゃなかったんだろうけど、そのうち――中学に入ってからかな。お兄ちゃんのこと、急に意識し始めちゃって。
 小学校の頃とかってまだ恋とか全然わかんなかったから、ただ漠然と『お兄ちゃんは優しいから好き』って思ってただけで」
 ずっと前に、桐島から風華ちゃんのことを初めて聞いたとき。あいつ、すっごい嬉しそうな顔して風華ちゃんのことを話してた。
 香坂は今、そのときの桐島みたいな顔をして那津さんのことを話している。
 ……俺は?香坂のことを好きな俺は、どうすればいいんだろうか。
 香坂が好きな人のことを嬉しそうに話している隣で、俺はどうしたらいい?
 気持ちは伝えないって決めてる。だけど好きだって気持ちは、どうしようもないじゃないか……。
 「バカだよね。全然見込みないんだよ。ほんと、お兄ちゃんって私のこと、妹って感じで見てるし」
 俺は香坂のこと、女の子として見てる。
 那津さんよりも、誰よりも、香坂のことが好きだ。
 そう言えたらどんなにいいだろう。
 
 自分で『好きなのは那津さんなんだろ?』とか言っておいて、こんなに動揺している。
 情けない。自分で言ったことで、自分でショック受けて。
 香坂が那津さんを好きなのはずっと前からわかっていたことだ。だけど、香坂の口から直接聞くと、やっぱり辛い。
 「……那津さん、彼女はいるのか?」
 ああほら、俺はまた馬鹿なことを口走った。
 香坂は、那津さんに彼女がいることを知っている。それは俺もわかってる。
 だけど敢えてこうやって意地悪な質問をして、香坂が困るところを見たい。
 俺の気持ちに全然気付かない香坂。俺だってお前のこと、ずっと前から好きだった―――。
 
 「―――いるよ」
 傷ついたような顔をして、香坂は答えた。
 こういう顔を見ると、何やってるんだろうと後悔する。
 「私は見たことないんだけどね。風華が言ってた。あ、風華は私がお兄ちゃんのこと好きだって知らないから。なんか、可愛くて
いい人だって……」
 語尾が消えていく。それもそのはずで、香坂の瞳からは涙が零れていた。
 辛くてたまんないんなら、もうやめてしまえよ。
 そう言いたいけど、俺にはそんなこと言えない。だって俺は、香坂と全く同じ立場なのだ。
 俺は香坂に、香坂は那津さんに。
 結果なんて見えてるくせに見えない振りをして、辛いくせに辛くない振りをして。
 そんな自分を愚かだと思いながら、それでも、好きなままで。
 
 「……久保の前で、泣いてばっかだね。ごめんね」
 「いいよ、別に」
 俺が泣かせたようなもんだしな。香坂を泣かせたかったわけではないが、那津さんのことを切り出したのは俺だ。
 「辛くないって、言い聞かせてたんだ。今まで。別にお兄ちゃんの特別になれなくていいから、ずっと好きでいようって思ってた」
 「……そんなのって」
 辛すぎるだろ、と言おうとして詰まった。俺と全く同じことを考えてるのか、香坂は……。
 「でもやっぱり辛いね。どうにもなんないんだもん。私がお兄ちゃんのことを好きなままでも」
 「どうにも、なんない……」
 香坂の言葉をそのまま呟いた。どうにもなんない……叶わない恋ならば。
 「好きになってくれない相手をずっと好きでも、辛いだけだもんね……」
 「ああ」
 生返事をして、香坂の言葉をもう一度頭の中で繰り返した。好きになってくれない相手をずっと好きでも、辛いだけ……。
 好きになってくれない相手をずっと好き――それは香坂であり、俺だ。
 辛いのにあきらめられない。嫌いになってしまえばいいのに、ずっと好きだ。
 
 「……もう、やめたい」
 香坂がぽつりと言った。
 ふいに投げられた言葉に、俺は「は?」と間抜けな返事をする。
 「もうやめちゃいたい。こんなの、辛いもん。お兄ちゃんに笑ってもらっても、最近、嬉しいより辛いことの方が多いの……」
 そして、香坂はせきを切ったように泣き出した。と言っても大声で泣いてるわけではないけど。
 いきなり本格的に泣かれた俺は困ってしまって、どうしていいかわからない。
 香坂の小さな肩は震えていた。まるで全身で泣いているみたいで、痛々しい。
 「香坂……」
 俺はまったく無意識に香坂に触れようとして、慌てて手を引っ込めた。
 ―――抱きしめてやりたい、なんて思ってしまう。
 「どうしたら、いいのかな。お兄ちゃんのことを嫌いになるには」
 香坂が急に顔を上げたので、抱きしめるとかそんなことを考えていた俺はびっくりしてしまった。
 涙に濡れた目で、俺をじっと見る。
 
 「……嫌いになるって、お前」
 「だから……お前って言わないでってば……」
 涙声でそんなことを言うから、俺は少し笑ってしまう。
 「嫌いにならなくて、いいと思う」
 俺は香坂を嫌いになることなんてできない。たとえ辛くても、叶わない恋だとしても。
 「だって嫌いになんなきゃ、辛いもん……」
 「やめればいいだろ。嫌いにならなくたって、好きじゃなくなることはできる」
 「でも……」
 香坂はもう、那津さんを好きなままではいられない。このままじゃ辛すぎる。
 だけど、嫌いになれないと言うのなら。
 「……告白、しろよ」
 告白して、きっぱり振られた方がいいだろう。
 ―――俺は、そんなことする勇気ないけどな。
 こうやって香坂に本音をぶつけてもらえる、このポジションにいられるのならそれでいい。
 それに、香坂が那津さんに告白して振られたなら、俺のことも少しは見てくれるかもしれない。……そんな打算がないわけでもないのだ。
 
 「告白……?」
 「あきらめ、つくだろ。きっぱり……振られたらさ」
 香坂の目は真っ赤だ。涙でぐちゃぐちゃになっている香坂の顔――それでも可愛いなんて思ってしまう俺は、変なのだろうか?
 「……そっか。告白して振られたら、あきらめられるよね」
 香坂は、上着のポケットからティッシュを出して、鼻をかんだ。ようやく泣きやんできたみたいだ。
 「それも、いいかも」
 俺の提案は、思ったより気に入ってもらえたようだった。香坂はやけに晴れ晴れとした顔をして、俺に笑ったのだ。
 吹いてきた風に、香坂の髪がなびく。肩を少し越したくらいの長さの、綺麗な髪。
 俺はドキッとして、思わず香坂から目を逸らした。
 
 「久保、どうしたの?」
 「……なんでもない」
 香坂は、那津さんに告白をするだろう。
 きっぱりと振られて、少し落ち込んで、立ち直る。そして香坂は、次の恋をする……。
 俺は香坂への気持ちを、いつまで抑えていられるだろうか?
 抱きしめたいって思ったり、可愛いって思ったり。こんな気持ちを、いつまで抑えていられるのだろうか。
 
 
 「ありがとう。久保がいてくれて、よかった」
 香坂はそう言って笑った。
 「私、告白してみるね。どうせだから、高校入る前にすっきりさせちゃおうかな」
 結果が目に見えてるだけあって、なかなかに潔いなあと思った。
 「ねえ、久保」
 「ん?」
 「私が告白するときには、ここにいてね」
 香坂は、俺たちが座っているベンチを軽く叩いた。
 「……なんで」
 「安心するから。告白するのについて来いって言ってるわけじゃないんだから、いいでしょ?」
 ふふっと笑って、香坂は言った。
 「……あのなあ。なんで俺なんだよ」
 「なぐさめて。私がお兄ちゃんに振られたら。こうやって―――」
 トン、と香坂が俺の肩に頭を乗せた。
 「何も言わなくていいから、肩貸して。私が泣き止むまで」
 
 ドクン、ドクン、と心臓が活発に動いている。心臓の音、香坂に聞こえてないだろうか?
 
 気付け。俺の気持ちに気付け。早く。頼むから。俺がこれ以上、香坂のことを好きになる前に。
 香坂は俺のことが好きじゃないから平気なんだ。だけど俺は平気じゃない。こんなことされたら、俺はおかしくなりそうだ。
 必死で好きだという気持ちを隠して、触れたいけど我慢して、『友達』っていう場所に居座ってるけれど。
 本当は好きだと言いたくてたまらない。こんなことをされたら、尚更―――。
 
 香坂の恋に、幸せな結末を。
 そして早く、俺を見てくれ。友達じゃなくて、男として。
 
 香坂の髪の匂いがして、またドキドキする。
 ドキドキしているのは俺だけで、香坂はこんなの何とも思っていないんだろう。
 ……好きだ。
 またそんなことを、思った。
 
 
 
 
 
 
 
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