#17.戸惑いの交差点 姫桜視点
*
ああもう、気になってしょうがないっ たら。
今日から4月。高校の入学式まではちょうど10日だ。
入学式の翌日には、学力テストのようなものが実施される。だから当然、勉強しなくてはならない。あと10日しかないんだもん。
それに、高校の説明会で渡された課題も終わらせなきゃいけない。まだ半分も終わってないんだから。
……それなのに。
……私だって、いろいろあるのに。
他に考えたりするべきことはたくさんあるはずなのに、考えてるのは久保のことばかり。
というか、あの日の久保の態度が気になって。
気になって気になって、しょうがない―――。
あれから2日経ったけど、久保瑛冶のことが私の頭の中から消える気配はない。
なんでだろう。あのときはただ虫の居所が悪かったってだけで、全然深い意味なんてなかったかもしれないのに。
もしかしたら、私に会いたくなかったとか。
……会いたくなかった?
自分で考えついたことに自分で落ち込む。
なんで久保が、私に会いたくないのよ。理由がないじゃない、理由が。
しかも私、なんで落ち込んだりしてるの!
もう、ぐちゃぐちゃだ……。
久保とケンカ友達になってから、もうずいぶん経つ。
あいつには何でも言えるし、あいつだって私に何でも言ってくる。お互いムカついたりムカつかれたり、そんな感じで今までやってきた。
本気でケンカしそうになったこともあるし、久保のことを嫌いになったこともある。
でも久保は妙なところで優しくて、本当に嫌いになんてなれない。
いい奴。その言葉がぴったり当てはまるような人だ。
去年のクリスマスの日に、ケーキを食べてくれたのも久保だった。
お兄ちゃんがあの日、家にいるはずないってわかってたけど……本当にあげられたらいいのになって思ったら、無意識に2つ買ってたんだ。
物心ついたときから傍にいたお兄ちゃんは、中学に入って、やがて高校に入って、彼女ができた。
私も一度だけ見たことがある。風華くらい小さくて、優しそうで、笑顔がとっても可愛い人。穏やかな性格のお兄ちゃんとは、まさに
お似合いのカップル。
付き合ってるって知った当初はショックだったけど、今は自然にそれを受け入れてる。彼女になんかなれなくっていいから、好きでいたい。
お兄ちゃんのことを、ずっと近くで見ていたい。それが私の望みだった。
それなのに最近、お兄ちゃんへの気持ちが薄れてきてるような気がする。
これからも変わらないはずだったお兄ちゃんへの気持ちは、しだいに迷いに変わっていた。
思えば、岸浜南を志望したのもお兄ちゃんがそこに通ってたから。お兄ちゃんと同じ高校に行きたいってだけで、今まで勉強を頑張ってた。
だけど、私が岸浜南に入ったところで、お兄ちゃんは私のことを見てくれる?私のことを好きになってくれる?
そんなことは絶対にない。今までずっと近くにいたのに、私のことを好きになってくれなかったんだもの。今さら同じ高校に行ったって、
そんな可能性はゼロだ。
お兄ちゃんの、あの安心する笑顔が脳裏に浮かんだ。
―――近くにいたのに。
いろいろ考えると疲れてしまって、どさっ、とベッドに倒れこむ。
だけど、ここ2日考えてるのは、お兄ちゃんのことじゃなくて久保のことで。
入試のときに応援メールくれたのも、お兄ちゃんじゃなくて久保で。
……今、どっちを失いたくない?って訊かれたら。
私きっと、久保って答える。
連絡、してみようか。
それで、もし私が気に触ることしてたとしたら、謝る?……いやいや、私はなんにもしてない。多分。
起き上がって、机の上にあった携帯を取った。
ドキドキしながら久保のアドレスを呼び出して、メールを作成しようとする。
だけど、なんて言えばいいんだろう。あいつのメールってそっけないから、メールで話すともっとこじれちゃいそう。
どっかに呼び出そうか。今日はもう遅いから、明日とか、あさってとか。
……来てくれるかな。
考えるに考えた結果、やっぱりどこかに呼び出すことにした。
だってこのままじゃ、気になって気になってどうしようもないもの。
『件名:無題
明日かあさって、ちょっと話したいことがあります。用事なかったらでいいよ』
それだけ書いて送信した。
返信が来るかもわからないだけに、送る前より送った後の方がドキドキする。
じっと携帯を見つめてると、3分後くらいに久保から返信が来た。
意外と早い。なぜか緊張しちゃって、メールを開くのにさらに2分くらいかかった。
『件名:無題
了解。じゃあ明日の昼からでも』
相変わらずそっけないメール。でも主旨だけははずさないで、ちゃんと返信してくるんだよね。いつも。
『件名:無題
ありがと。久保の家の近くの公園でいい?』
そう送ると、すぐに返信が返ってきた。香坂の家の近くの公園でいいから、そこまで行く、という内容だった。
私から呼び出したくせにいいのかなあ、とは思ったけど、きっと久保なりの思いやりなんだろう。私はその思いやりをありがたく受け取る
ことにした。
*
4月2日の午後1時すぎ、私は家から徒歩5分の小さな公園にいた。
久保はまだ来てないみたいだ。ペンキが剥げかけているベンチに座り、本でも読んでようかと思う。
―――そのとき、ガシャン!という自転車が倒れる音がした。
慌てて音がした方を見ると、久保がうずくまっている。転んだらしい。
私は笑いながら、泣きそうな顔をした久保に手を貸してあげた。よっぽど痛いらしい。
「バカじゃないの?」
「うるせえなあ!自分で起き上がれるっつの」
久保は差し出した私の手を払いのけて、「いてて……」と言いながら起き上がった。
なによ、素直じゃないんだから。本当は痛いくせに。
「どこかケガしたんじゃないの?」
私がそう言うと、「別に平気だって」と言って、さっき私が座ってたベンチに座った。
一歩踏み出すたびに顔をしかめてるのを見る限り、結構痛いんだろうな。
「無理しなくていいって」
私も久保の隣に座って、久保の膝をポン、と軽く叩いてやる。
「いってえ!!何すんだよ!」
「だって平気って言うから」
「平気なわけねーだろうが!あんなに派手に転んだんだぞ!」
久保が少し涙目になっているから、おかしくてしょうがない。
「ほんと香坂は、暴力的だよ」
涙目のまま久保はそう言って、私に怒ったような顔をしてみせた。
久保、今日は普通だ。態度がいつもと同じだから、少しホッとする。
あのときはなんだったんだろう。この様子だと、特になにもなさそうだけど……。
「で、話ってなんだよ。俺はひなたぼっこしに来たわけじゃねーぞ」
「うん……」
久保は不思議そうな顔で、私の表情を探っている。
あの日の態度は、わざと?それとも、無意識?
訊きたいけどなかなか口に出せない。こんなこと、きっと久保はどうでもいいに決まってる。もしかしたら、忘れてるかもしれない。
私が躊躇していると、久保が思い出したように「ああ」と言った。
「そういや俺、わかった」
いきなり久保がそんなことを言ったので、「はあ?」と訊き返す。頭の中ぐちゃぐちゃなのに、さらにわけわかんないこと言わないでよ。
「お前の、好きな奴」
……え?
あまりに突飛だったから、言葉を失ってしまった。
なに?なんなの、いきなり。
なんで突然、私の好きな人の話になるのよ。
反論しかけて、ハッと思い出した。
何ヶ月か前、久保に私の好きな人のことについて訊かれたことがある。
だから久保は、私の好きな人が岸浜南の2年生だということは知ってる。久保の知り合いでもないだろうから別にいいかって思って、
隠さなかったんだ。
「―――那津さん、だろ?」
黙ってると、久保は静かに言った。
からかったりするような口調じゃなくて、すごく真面目な口調で。
なんで知ってるんだろうとか、どうしてわかっちゃったんだろうとか。
いろいろ久保に訊きたいことはあったけど―――。
私はこくん、と頷いた。
今まで、隠し通してきた気持ちだけど。
久保になら、言っても大丈夫なような気がした。