#13.合格、そして本番
*
「桐島、どうだった?」
今さっき担任から渡された合格通知を手に、俺は満面の笑顔で桐島のところに行った。
桐島が受けたところも、今日が合格発表のはずだ。
「受かってたよ。久保は……その顔を見ればわかるから、訊かないでいいか」
「ほんと性格悪いよな、お前って。一応訊いてくれよ。合格したって口に出して言いたい気分なんだよ!」
俺がそう言うと、桐島は意地悪い笑みを浮かべた。
結局、何も訊いてくれないのかよ。まったく。
2月27日が、私立高校の合格発表の日だった。
桐島の受けた私立も含め、多くの私立高校の合格発表は今日じゃないかと思う。
「久保、受かった?」
ななめ後ろから声がして、俺は勢いよく振り向く。
「もちろん」
「おめでとう」
香坂は本当に嬉しそうにそう言ってくれた。
「ありがと。香坂は、もうとっくに受かってんだもんな」
「私のところは23日に発表だったからね」
香坂は難関私立校に受かり、だいぶ自信がついたみたいだ。
滑り止めのくせに難しいところを受けて、しかも受かったのだから、さすが香坂である。
「私立はとりあえず受かったけど、公立まではあと10日もないんだよな」
「うん。あと10日、ラストスパートだね」
香坂の目の下には、うっすらと隈ができている。毎日、まともに寝ないで勉強しているのだろうか。
それくらいしないと岸浜南に合格するのは難しいのかもしれないが、本番に体調を崩したら今までの努力が水の泡じゃないか。
「……久保?どうかした?」
「い、いや……香坂、勉強頑張ってんだろうな、と思って」
その痛々しい隈を、俺は知らないうちにじっと見つめていたらしい。
「そりゃ、頑張ってるわよ。公立を本命にしてる人で、今の時期に頑張ってない人なんていないでしょ」
「まあ、そうだけど……」
香坂の場合、『頑張りすぎてる』状態が何ヶ月も続いてるだろうが。
俺は香坂に、そう言ってやりたかった。心配してるってことを素直に口に出せたら、どんなにいいだろうか。
「いきなり変なこと言わないでよ。久保だってすごく頑張ってるんでしょ?休み時間返上して勉強してるじゃない」
「そんくらいしないと、俺はマジで落ちそうだからな」
本当言うと、滑り止めの私立だってヤバかったくらいだ。なんとか受かって、良かったけど。
「大丈夫、久保は絶対落ちないよ」
香坂はそう言って、笑った―――俺の大好きな、綺麗な笑顔だ。
「……秀才の香坂に言われると、ほんとに受かりそうだ」
そんな笑顔を向けられるとなんだか恥ずかしくなって、慌ててそう言った。
「私こそ落ちそうだもん。最近、心配でよく眠れないんだ」
香坂の笑顔に影が落ちる。なるほど、隈ができてるのは、そのせいでもあったのか。
「お前は受かるって。だからちゃんと寝ろよ」
香坂が受かるかどうかなんて俺にはわからない。だが、ここまで頑張ってる香坂が落ちたりなんかしたら、俺は神を恨んでやる。
俺の言葉で安心できたのか、香坂はまた綺麗な笑顔で微笑んでくれた。
「久保が言うことって、妙に説得力あるんだよね。なんでかな?」
「……知るか、そんなの」
そっけなくそう返したけど、心の中では嬉しくてしょうがない。
じゃあ香坂に『がんばれ』って言ったら、喜んでくれるのだろうか?
本番の朝に香坂にメールするという思いつきを、俺は絶対に実行しようと固く決心した。
「よかったじゃねえか」
香坂と話し終わったあと、桐島が俺のところに来て笑いながら言った。
「何が?」
「香坂に、おめでとうって言ってもらえて。俺が言わなくたって、よかっただろ?」
……こいつ、見てたのか。本当に抜け目のない奴である。
「お前と香坂さ、早く付き合えばいいのにって、つくづく思うよ」
「はあ?」
桐島がちょっと考えてからいきなりぶっ飛んだ話を持ち出したから、俺はでかい声を出してしまった。教室中のみんなが一瞬俺を見る。
少し、恥ずかしい。
「那津兄ちゃんは確かにいい人だけど、香坂と従兄妹なんかじゃなかったらよかったって思う」
「それは俺が一番思ってるぞ、桐島。那津さんって人がいい人だってのはもう十分わかったんだ。だけど、だんだん自信がなくなってく
だけなんだよな。那津さんのことを知っても」
桐島は那津さんのことを小さい頃から知っている。あの図書館での勉強会の後、俺がいくつか那津さんのことを訊くと渋々と答えてくれた。
「多分、久保の方がかっこいいぞ」
桐島は俺の顔をまじまじと見て、なぜか誇らしげに言った。
「……どこが」
「顔が。さすが俺の弟だな」
「その話、もう忘れろよ!」
聞いた話、那津さんの容姿は本当に普通らしい。だからって、俺の方がかっこいいとか、そんなことはないだろうけど。
「那津兄ちゃんに、会ってみたいか?」
桐島が軽い感じで言った――というか、軽い感じで言おうとしているみたいだ。
「会ってみたいのと会いたくないの……五分五分かな」
まだ肝心の顔を見たことがないから、会ってみたいという気持ちがあった。
すごくいい人だって聞いてるし、なにしろ、自分の好きな人の好きな人なのだから。
「そうだろうな。まあ俺の家に遊びに来てれば、そのうち会うこともあるだろ。今まで会わなかったのが不思議なくらいだ」
「家、隣なんだもんな。そういえば」
那津さんはおろか、今まで風華ちゃんに会ったこともなかったな、と思う。
バッタリ会うことって、実はそんなにないことなんだろうか。
那津さんとバッタリ会うこと。
それが意外と近い未来の話であることを、俺はそのとき知る由もなかったのだ。
*
「瑛冶、もしかして入試、明日?」
3月6日の晩。まだ9時くらいだったが、明日の本番に備えてそろそろ寝ようと思っていたときのことだ。
梨乃が驚いたような顔で俺にそう言ってきた。……今さらそんなことを言う梨乃に、俺のほうが驚いたが。
「そうだけど。弟の入試の日くらい知っておけよ。ほんとつくづくバカだな」
俺は自分よりだいぶ小さい梨乃を見下ろして、バカにしたように笑ってやった。
「ば、ばか?!そんなことないわよ!失礼ね、ほんと……」
「だってバカなことに変わりねーだろ。じゃあ俺もう寝るから」
歯を磨き終わって、自分の部屋に戻るつもりだったのだ。
「待って!」
さっさと部屋に戻ろうとした俺の腕を、梨乃ががしっとつかんだ。もっとも、梨乃は力が弱いから、振りほどこうと思えばすぐ振りほどける
のだけど。
「なんだよ、まだなんかあんのかよ」
「もう遅いかもしれないけど……これ、あげる」
そう言って梨乃がパジャマの胸ポケットから出したのは、お守りだった。『学業成就』と書いてある。
「え……」
姉の予想外の行動に、俺は思わず目が点になってしまった。
「あ、えっと、律くんが、そのお守りで大学に合格したから。律くん、すっごく頭いいんだよ!」
「あ……そう……」
「瑛冶、なんだか危なそうだから買ってみたんだけど……迷惑だった?」
そうだ。この姉は、昔から思わぬところで優しくて気が利く。もともと性格はいいし明るいのだが、ちょっと天然というかお馬鹿だ。
それでも俺たちはけっこう仲がいいと思う。2つ年上の姉がいる俺の友達は、口も利かないと言っていたから。
「……もらうよ」
「本当?よかった。そのお守り、ほんとに効くらしいから!」
梨乃はとても嬉しそうに笑って、なぜだが誇らしげにそう言った。
「なんでそんなに誇らしげなんだ?」
「だってそのお守りを律くんにあげたら、ちゃんと合格したんだもの。私やあんたじゃ到底入れないくらいの難関大に……」
「わかったわかった。で、そのリツって誰なんだ?さっきから」
うすうすはわかっていたが、なんとなく訊いてみた。
「律は、私の彼氏よ。頭よくって格好良くて、ほんとに自慢なんだから!」
「よく梨乃と付き合ってんな。お前、騙されてんじゃねーの?」
「何言ってんのよ!律くんはそんな人じゃないわよ。そんなこと言うんだったら、返しなさいよっ、お守り!」
俺が冗談半分で言うと、梨乃は本気で怒ってしまった。一生懸命お守りを俺から取り上げようとしている。
「嘘だって。悪い悪い。ほら、俺もう寝るから。お守りサンキューな」
「ちょ、瑛冶!律くんのこと侮辱したんだから、絶対許さないわよ!……」
梨乃が一人で怒っているのを置いて、さっさと自分の部屋に入ってドアを閉める。
「どんだけ愛してんだよ、彼氏のこと……」
俺は呟いて、プッと噴き出した。梨乃は本当に彼氏が大好きみたいだ。
梨乃の彼氏は幸せ者だ。香坂も、梨乃が彼氏を好きなくらい、那津さんを好きなんだろうか。
……なんてな。なに考えてんだ俺は。今日は本番前日だぞ。こんなこと考えてる暇あったら、寝なきゃならん。
気付いたらもう9時半になろうとしている。
俺は梨乃にもらったお守りを鞄に入れて、筆箱やら参考書やらも詰め込んだ。
本番直前に見直しなんかしたって、気休めにしかならないんだけどな……。
それでも気休めをしなくては、不安で不安でどうしようもない自分がここにいる。
部屋の電気を消す前に、携帯のアラームをセットした。
私立入試の日は6時に起きたはずだった。じゃあ明日は、5時40分に起きよう。
それで起きたらすぐ、香坂にメールを打つ。あいつは早起きも得意らしいから、早めにメールしてもいいだろう。
電気を消してしばらく経ってもなかなか寝付けなくて、目を開けたり閉じたりしていた。
羊を数えてみたのだが、頭の中でだんだん羊の数が増えてきて気持ち悪くなってしまったのでやめる。
……落ち着け、自分。さっさと寝ないと、明日、全力を出し切れないぞ。
自分にそう言い聞かせ、1秒でも早く寝ようと努力する。
―――知らないうちに眠りに落ちて、俺は少しだけ夢を見た。