#12.私立高校入試!
*
2月に入った。
私立高校の入試はもう目前で、みんな必死に勉強している。
俺はというと、おそらく人生で今が一番勉強しているかもしれない。
かなり必死だった。きっとそれは、光台高校に受かりたいとかそんな理由じゃなくて、もっと、別の理由で。
「久保が休み時間返上して勉強するなんて、信じられないよな」
昼休み。騒がしい教室で、俺と桐島は机をくっつけて勉強していた。
「うるせえ。俺は今、かなり一生懸命なんだ」
「その甲斐あってか、お前の問題集にはだいぶ丸の数が増えたよな」
余裕があるとか言いつつ、桐島は俺の勉強に付き合ってくれている。
私立入試まであと2週間もない。だけど私立はあくまで滑り止めだから、そんなに緊張することはないと思う。
「俺たちのクラスで休み時間返上して勉強してんのは、俺と、久保と、香坂だけか。みんな余裕あるな」
「そういうお前も余裕あんだろ。いいぞ、無理して付き合わなくて」
「無理してなんかねえよ。私立まであと少しだろ。私立って問題難しいから、しっかりやっとこうと思って」
確かにそうだけど、桐島にとっても、私立は完全に滑り止めだ。
まったく、こいつは俺のことがそんなに好きなんだろうか―――そう考えて、俺は思わず笑みを漏らした。
「何笑ってんだよ。気持ち悪いぞ」
「別に」
「大体な、久保、ここまで勉強しなくたって多分受かるぞ?」
桐島はさらさらと丸つけをしながら、俺の問題集をちらっと見た。
「英語も、俺の知らないうちにかなりできるようになってるし」
「冬休み、死に物狂いで頑張ったんだよ」
「偉い偉い」
桐島は俺に微笑みかけて、俺の頭をポンポンと叩いた。
「何すんだよ、やめろって」
「久保みたいな弟がいたら、さぞ楽しいだろうな。梨乃姉さんは幸せ者だ」
「はあ?なんだよいきなり!」
桐島はたまに俺のうちに遊びに来るので、梨乃とも面識がある。
そのとき梨乃は桐島を見て何やらうっとりとしていたが、俺は見て見ぬ振りをしておいた。
桐島は、確かに見かけはちょっとかっこいいかもしれないが、彼女がいるうえ、いろいろと食えない奴だ。
「香坂も、そう思うだろ?」
いきなり桐島が香坂に話を振ったので、俺は心臓が止まりそうになった。
そうだった。この前の席替えで、香坂は俺のななめ後ろになったのだった。
「なにが?」
「久保が弟になったら、きっと楽しいだろうって話」
「お断り。久保みたいのが弟になったら、毎日うるさくてかなわないと思う」
香坂は問題を解く手を止めて、笑いながらそう言った。
「でも桐島くんと久保って、兄弟みたいだと思うよ。もちろん桐島くんがお兄さんだけど」
「そうか?どうだ久保、俺の弟になる気はないか?」
桐島が真剣な顔でそう言うから、俺はげっ、という顔をしてやった。
桐島なんかの弟になったら、毎日からかわれそうだ。そんな日々は絶対に嫌だ。俺には我慢できない。
俺は桐島が自分の兄になった場合を想像して恐ろしくなった。
「なんでそう嫌がるんだよ。俺がお前の兄さんになったら、きっと毎日楽しいぞ」
「全然楽しくねえよ!それどころか恐怖の連続だ」
「あはは……ほんとに久保と桐島くんって、仲いいよね。あんまり仲いいと、風華に報告しちゃうよ?桐島くんが久保と浮気してるって」
香坂が本当に楽しそうに笑い声をあげている。
香坂の笑顔を見るのは久しぶりで、俺は香坂に見とれてしまった……い、いや、見とれてなんかないぞ。ただちょっと、可愛いななんて
思っただけで。
「……久保?なによ、私の顔になんかついてる?」
「いや、別に……」
香坂が不審そうな顔で俺を見る。まさか、見とれてたなんて言えるものか……。
「香坂の笑った顔に、見とれてたんだよな?」
「ち、ち、違うつっの!そんなことねえって!」
桐島め、何を言い出すかと思えば……。
俺は一人でみっともなくうろたえていて、香坂は神妙な面持ちで、どうしていいかわからないというような様子だ。
「ほんとに違うぞ、香坂!俺は決して、見とれてなんか……」
「わかってるわよ、そんなこと。久保が私に見とれるわけないでしょ」
なぜか香坂は怒っている風だ。俺があまりにも全身全霊で否定していたからだろうか。
「馬鹿だな、我が弟よ」
桐島が俺の耳元で囁いた。
「弟じゃねえよ!しかも耳元で囁くな、気持ち悪い!」
「ほんとラブラブだねえー。やっぱり風華に報告しちゃおうっと。桐島くんが久保に気があるみたいだって」
「おい、俺が風華ちゃんにどう思われるかわかんねえだろ。やめろって」
「久保が風華にどう思われようと関係ないでしょ?風華は桐島くんの彼女なんだし」
「あんなに可愛い風華ちゃんに変態だと思われたくないんだよ。香坂はともかくな」
売り言葉に買い言葉、俺の癖だ。また心にもないことを言ってしまった。
香坂より可愛い奴なんていないって、思ってるくせに。
香坂は俺に怒ったような顔を見せて、自分の勉強に戻ってしまった。
「久保、お前は馬鹿か?」
桐島は呆れた顔をしてため息をつく。
「……ああ、馬鹿だな」
香坂は那津さんが好きだから、その想いを邪魔しようなんて思ってない。香坂は俺に少しも興味がないのだから。
だから俺は香坂に好きだと伝えようなんて思わないし、これからも心の中でだけ想っていようなんてかっこいいことを考えてるけど―――。
それが結構辛かったりする。
さっき、笑顔に見とれてたと素直に言えてたらどんなに良かったか。
香坂に可愛いなんて素直に言えたら、どんなにいいか。
会ったことも見たこともない那津さんという人は、そんなことも、さらっと言っちゃう人なんだろう。
だから香坂だって、那津さんに恋人かいるってわかってても、好きでいるんだ、きっと。
「風華に、久保は変態だって言っとくからね」
ふいに香坂が冗談っぽく言う。
そうか、香坂は俺のこと、なんとも思ってないから、平気なんだな。
俺にああいう風に言われたことも、ちっとも気にしてないんだ。
「……好きにしろ」
那津さんにあんなことを言われたら、立ち直れないくらい傷ついてしまうのだろうか。
もっとも、那津さんはあんなことは言わないだろうけど。
あくまで、香坂の『お兄ちゃん』だ。優しくて頭がいい、頼りがいのあるお兄ちゃんだ……。
最近ちょっと気を抜くと、那津さんのことばかり考えている。
俺という奴は、これだから困る。
今は勉強に集中だろ、勉強に。
*
「電車なんてあまり乗らないから、新鮮だよな」
「だな。満員電車じゃなければ、もっと良かったんだけど」
俺と桐島はそんな悠長な会話をしながら、試験会場に向かう。
私立入試、当日。電車の中はさまざまな制服を着た中学生でいっぱいだ。
「俺、次降りるわ」
流れてきたアナウンスを聞き、桐島が言った。
「頑張れよ。ま、お前なら余裕か」
「久保も頑張れよ。滑り止め落ちたら、笑ってやるからな」
「言うじゃねえか」
電車がプラットホームに滑り込んで、やがて止まる。
俺と桐島は少し笑い合って、桐島は電車を降りた。
外は快晴で、なんとなくいい気分だ。
受かりそうな気がしてくる。俺ってすごい単純だな。
とにかく、大雪で電車が遅れたりしなくてよかった。公立入試の日も、晴れるといいのに。
桐島が降りた駅の次の駅で降りた。ホームも、中学生で溢れている。
香坂はまだこの先の駅で降りるはずだ。あいつは滑り止めのくせに、レベルの高いところを受けるみたいだからな。
香坂の笑った顔を思い出して、がんばれよ、なんて心の中で呟いた。
俺に言われなくたって、頑張るか。香坂だもんな。
改札を抜けてから、一応携帯を持ってきていたことを思い出した。
やべ、電源切っとかねえとな……。
俺は鞄から携帯を出す。
「ん?誰だ、こんな時に」
すると新着メールが一通来ている。全然気付かなかったのは、マナーモードに設定していたせいらしい。
「……香坂からだ」
『件名:無題
とりあえず頑張ろうねってことでメールしてみました。なんで久保なのかはわからないけど、一番メールしやすかったせいかも。
滑り止めだけど、油断は禁物!実は私、結構緊張してるの。
久保も頑張ってね。
こんなときにメールしてごめんね。じゃあまた、学校で!』
届いたのは6時38分となっている。全然気付かなかった。
今は8時ちょっと前だから、返信したらまずいだろう。もうじき学校に着いてしまうし、携帯を持ってるのが受験校の先生にバレたら
確実にやばい。
すごく返信したかった。香坂にもがんばれと言いたかった。
入試の日に、俺にメールをくれたのが嬉しい。どんな理由であれ、嬉しい。
校門が見えてきた。なかなか立派な学校だなあなんて、呑気に思った。
公立入試の日には、俺からがんばれと言おう。起きたらすぐに、香坂にメールしよう。
絶対だ。
不思議と緊張しなかった。まわりの人は少なからずとも緊張はしているだろう。
びっくりするくらいすらすらできた。
香坂のおかげかな?なんて思ったけど、自分で努力したおかげだろ、と思い直す。
―――最初の入試は、こんなふうにあっさりと終了した。