#11.男二人プラス風華の勉強会
 
 
 
 
 「おい、久保。ここ違う」
 「え、どこ」
 「問2の最初。公式からして間違ってるぞ」
 鋭い桐島の指摘。確認してみると、確かに間違っている。
 「久保先輩、これ、2年生の範囲ですよ!」
 桐島の隣で勉強していた風華ちゃんが、相変わらず高い声で言う。
 「……マジで?」
 「しかもこれ、基本の公式です。久保先輩、もしかして、結構ヤバいんじゃないですか?」
 「……」
 桐島の呆れたような視線と風華ちゃんの心配しているような視線に晒されて、俺はただ呆然とするばかりだ。
 自分がここまでヤバいなんて、思ってなかったんだよ―――。
 
 年明け、1月5日。
 俺と桐島と風華ちゃんは、図書館に勉強しに来ていた。
 なんで風華ちゃんがいるのかって?……バカな俺のことを考えた心優しい桐島が、秀才の風華ちゃんを呼んでくれたんだよ。わざわざ。
 『風華は、1、2年の範囲は俺より教えられるから』と桐島は言っていたが、確かにそうかもしれない。俺はさっきから、何回風華ちゃんに
教えてもらってるだろう。
 冬休み初日はちょっとばかし失敗したが、あの日以降は自分なりにこつこつ勉強していたつもりだった。
 大晦日だって正月三が日だって――そりゃあ少しはダラダラしたり寝坊したりしたけど――、ちゃんと勉強してたんだ。
 なのに、どうして。
 こんなにできてないんだろう……。
 
 「あのな久保、お前、3年の範囲はほぼ完璧だぞ」
 落ち込んでる俺に、桐島がそう言ってくれた。
 「応用もまあまあ出来てるし……まあ、2次関数と証明、それに英語が少し微妙だな」
 「……俺、英語できねえもん」
 「まあ、それはしょうがない。できないもんはできないからな。ただ、1、2年の範囲がちょっとヤバい」
 桐島は喋りながら問題を解いていく。こいつ、さっきから俺に教えながら問題解いてるんだぞ。なんでこんなに器用なんだ。
 「1年はまだいいとして、2年の範囲だよな。そうは言っても、理科と社会はちゃんとできてるぞ。心配するな」
 「……数学と英語だろ?要は」
 一番できなくてはいけない2教科ができていない。最悪だ。
 「数学は、お前の場合、証明と2次関数ができてないだろ?証明は風華に教えてもらえ。俺は2次関数と英語教えてやるから」
 「でも桐島だって、勉強……」
 「俺は余裕あるから大丈夫だ」
 桐島が涼しい顔でそう言ったのを見て、少し悔しくなった。
 そうだよな。こいつだったら、岸浜北よりも上の高校、受けられたはずだ……。
 
 「久保先輩、私、証明は大好きなんで大丈夫です!ちゃんと教えられますからっ」
 風華ちゃんが愛らしい笑顔で言った。愛らしい笑顔で言うことじゃないけどな、勉強のことなんて。
 「……ついでに、久保のことも大好きだよな」
 桐島が涼しい顔のままそう言ったのを、俺は聞き逃さなかった。またヤキモチ妬いてるぞ、こいつ。
 「なによ響ちゃん!それ、どういう意味?!」
 「なんでもねーよ。ほら、うるせえぞ。お前の声って高い上デカいからな。他の人に迷惑だ」
 「おいおい、何もそんな言い方しなくたって……」
 さすがに見かねて、俺が仲裁に入った。いくらなんでも、言いすぎだろ。
 「いいんです先輩、響ちゃん、いつもこうですから」
 でも風華ちゃんはそう言っただけで、自分の参考書をバッグから出した。
 「証明ができれば、きっと大丈夫です。ちゃんと受かって下さいね」
 そう言って開いたページには、マーカーで線が引いてあって、赤ペンでなにやら書き込みがされている。
 ……秀才の風華ちゃんも、やっぱ勉強してんだなあ。
 ごく当たり前のことだが、素直に感心してしまう。
 
 「じゃ、始めましょうか」
 「あ、うん……。さっきから悪いな。俺、後でジュースでも奢ってやるよ」
 「わ、ホントですか?嬉しい!先輩は、響ちゃんみたいにケチじゃないんですね」
 「……お前なんか、一生久保に数学教えてろ」
 風華ちゃんが言ったとたん、桐島が呟く。
 なんだよ風華ちゃん、やっぱり気にしてるんじゃないか。しかも桐島、俺と風華ちゃんの会話、耳の穴かっぽじって聞いてんじゃねーか。
 俺はなんだか可笑しくなって笑いそうになったが、ここで笑ったらまずそうなのでとりあえず我慢した。
 
 
 
 
 「……あ、ここ間違ってます。でも他はできてますね」
 風華ちゃんが丸つけをする手を止めて、問題番号を指さす。
 約30分ほど風華ちゃんが証明の講義をしてくれて、とりあえず問題に取り組んでみようと言ったのだ。
 「先輩、だいぶできるようになってますよ。私が言ったことを忘れなかったら、きっと大丈夫です」
 「風華ちゃん、教え方上手いんだな。びっくりした」
 「いえいえ、それほどでも」
 謙遜しているが、冗談抜きにして、風華ちゃんは教えるのが上手だ。
 年下の子に勉強を教えてもらうなんて変な感じがしたが、教えてもらってよかった。家に帰って復習をすれば、証明はきっと完璧だ!
 
 「ねえちょっと響ちゃん、シャカシャカうるさいんだけど。音量下げてくれない?」
 「お前の声の方がうるせえよ。今問題解いてるから、黙ってろ」
 桐島は音楽を聴きながら勉強することにしたみたいで、さっきから少々音漏れがする。
 それにしても桐島って、面白いよなあ。風華ちゃんが俺に勉強を教えるのを薦めたのは自分のくせに、それに対して妬いたりして。
 「風華ちゃん、いいから、桐島に構ってやれって。また妬いてんだよ」
 俺が風華ちゃんにそう耳打ちすると、桐島がギロッと俺を睨む。ああ、怖い。
 「そうですか?なんだろ響ちゃん、私が久保先輩のこと喋ってると、機嫌悪いんですよね」
 「俺のこと、桐島に話しちゃダメだよ。こいつ、風華ちゃんのこと大好きだから、あんまり他の男の話したら怒っちゃうよ」
 「うーん……わかりました。じゃ、さっきの響ちゃんの暴言は、許してあげます。……あ、久保先輩」
 風華ちゃんが桐島に話しかけようとして、くるっと俺の方を向いた。
 「なに?」
 「今日、姫桜ちゃん来れなくて、ごめんなさい」
 「は?」
 あまりにも突然、香坂の名前が出てきたので、大声を出してしまった。桐島が小さく「うるせえって!」と言う。
 
 「香坂?……いや、なんで」
 「実は、姫桜ちゃんにも声かけたんですよ。でも姫桜ちゃん、余裕ないから行けない、ごめんねって……」
 風華ちゃんは残念そうに言った。きっと、香坂にも一緒に来て欲しかったのだろう。
 「そっか……。まああいつの場合、岸浜南受けるからな。しょうがないしょうがない」
 俺は笑って言ったが、実を言うとちょっとがっかりしていた。
 余裕のない香坂に勉強教えてもらおうなんて思ってないけど、会いたかったな、なんて。
 「でも久保先輩、姫桜ちゃんのこと好きなんですよね?」
 「え?!」
 俺はさっきよりもデカい声で叫んでしまった。俺、もうこの図書館から出て行った方がいいかも。
 なんで風華ちゃん、俺が香坂を好きだって知ってるんだ……?
 一瞬、桐島か?と思ったが、桐島はそんなに口の軽い奴ではない。だから俺も信用して話すことができるのだ。
 「あ、違います。響ちゃんが言ったんじゃなくて、私の勘です」
 風華ちゃんが俺の心を読み取ったように、慌てて言った。
 「か、勘……?」
 「久保先輩と姫桜ちゃん仲いいし、姫桜ちゃんに話しかけられたら、なんだか先輩、すごく嬉しそうだったから」
 「確かに」
 桐島がまた呟いた。
 「お前、言いたいことはもっと大きな声で言えよな!」
 「久保みたいに大きすぎると、こういう所では迷惑だぜ」
 ……かわいくねえ。いや、かわいい桐島なんかいてたまるか。むしろ気持ち悪いぞ、それって。
 
 「私って結構勘いいんですよ。お兄ちゃんに似て。お兄ちゃんも昔から勘良くてね、それで……」
 「風華!」
 桐島はさっきの俺よりも大きい声で怒鳴るように言って、すぐに『悪い』と言って問題集に視線を落とした。
 静まり返った俺たちの机のまわりには、桐島の聴いている音楽がかすかに音漏れしている。
 「響ちゃん?どしたの、いきなり。私はただお兄ちゃんのこと喋っただけ……」
 「駄目だ」
 「いいよ風華ちゃん、もっとお兄ちゃんのこと聞かせて」
 「久保……」
 そうだ。香坂の好きな人は従兄妹のお兄ちゃん、イコール、風華ちゃんのお兄ちゃんなんじゃないか。
 せっかくだから、知ってみたい。ライバルなんてものじゃないけど――だって香坂は俺に全然興味ないと思うし――、少なくても俺は
敵視してるからな。
 俺のことを思って、止めてくれた桐島には悪いけど。
 俺は桐島に目で『悪いな』と合図する。桐島はわかったみたいで、また問題集を解き始めた。
 
 「お兄ちゃんは、すごい温厚な人で……優しいです。響ちゃんもすごい懐いてるんだよ。だって幼なじみだし」
 「へー。この桐島が懐いてんのか。そりゃ、すごいなあ」
 桐島、本当は香坂の好きな人のこと、すっごく知っていたんじゃないか。
 俺の気持ちを考えて、今まで黙ってたのだ。……見かけによらず、友達思いな奴だ、まったく。
 「で、那津っていうんです。女の子みたいな名前でしょ?」
 「ナツ……ねぇ。どういう字書くの?」
 やっぱり俺は聞き間違いをしたわけじゃなかったのか。
 「えっと……」
 風華ちゃんは女子特有の丸っこい字で、問題集の端に『那津』と小さく書いた。
 「ふーん……。那津さんは、香坂とは仲良し?」
 「はい。仲良しですよ。……あ、もしかして、お兄ちゃんと姫桜ちゃんの仲を疑ってるんですか?」
 風華ちゃんがあっさり首を縦に振ったので、少しショックを受けた。
 それにしても、風華ちゃんはつくづく勘がいい子らしい。全部お見通しってわけか……。
 「そんなわけじゃないけど」
 「ないですよ、それは。だってお兄ちゃん、彼女いるもん」
 ……え……?
 「彼女、いるの?」
 「はい。私くらい小さくて、とっても可愛い人なんですよ。姫桜ちゃんも可愛いけど、タイプは違うかなあ……。どう思う?響ちゃん」
 「知るか、そんなん」
 桐島はそっけなく返す。それはそうだ。今この状況を、誰よりも理解しているのは桐島だろうから。
 「冷たいなあ。那津兄ちゃん、那津兄ちゃん、ってお兄ちゃんにすごく懐いてるくせに、お兄ちゃんみたいな温厚さのカケラもない
んだから!」
 「久保、気にすんな。風華はブラコンなだけだ」
 「あ、ああ……」
 桐島の今の言葉はすごく短いけど、俺には本当の意味がわかる。
 『風華が言ってるほどすごい人じゃないから、あんまり気落ちするな』ってことだろ?
 大丈夫だ。俺、気落ちなんかしてねえよ。
 
 「そっか。ありがとう」
 「いいえ、どういたしまして」
 何も知らない風華ちゃんは、無邪気に笑っただけだった。
 全部を知ってる桐島は、顔を上げてちょっと風華ちゃんを見たあと、また問題を解き始めた。
 そして俺は、自分の頭の中で『那津』のイメージを描きながら、『那津』に負けたくないなんてバカなことを思っていたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
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