#06.“響ちゃん”の嫉妬
 
 
 
 
 冬休みまで、あと1週間となった。
 寒い日が続いていて、朝起きるのも億劫だし、学校に来るまでに凍え死んでしまいそうだ。
 だけどやっぱり長い休みというのは何歳になっても嬉しいものだ。受験生の冬休みなのだから気を抜くことはできないけれど、みんなは
結構浮かれていた。
 俺もそれなりに浮かれている。
 
 「おい久保、さっさと英語のワークの解答返せ」
 ……浮かれてない奴が、いた。
 俺が振り向くと桐島が怖い顔で俺を睨んでいる。
 「ワークの解答くらいでカリカリすんな。あと3ページ残ってんだよ」
 「3ページ?!お前、授業中に終わらすって言ってただろうが」
 ぎくっ。
 背中に冷や汗が流れた。
 朝、桐島に英語のワークの解答冊子を借りたのだが――授業中に終わらせて放課後には絶対に返すという約束で――、今日はすごく眠い日だ
った。今日一日を寝て過ごしたような気がしている。
 そして今は、放課後だ。
 
 「今日はさ、俺にとって最悪のコンディションの日だったんだ。だから俺、授業中はもう死にそうで―――風邪でも引いたのかもしれないな。
だって、授業を聞いていたらいつしか自然に目を瞑ってしまっていて……」
 「つまり、寝てたんだろ」
 遠まわしに話し始めた俺に対して、桐島はスパッと言った。
 「言い訳はいいから、早く返せ。俺、この後、わかんないとこ先生に訊いてくるんだから」
 「さすが、桐島だ」
 「いいから返せ。この馬鹿」
 俺が返すのを渋っているからか、桐島は少し怒っている。
 ……ったく、ケチだなあ。
 でも桐島を怒らせるといいことはないような気がする。ここは、大人しく返しておくか。
 「わかったわかった。ほら」
 俺はもうすでに自分の鞄にしまっていたワークの解答を桐島に渡す。
 
 少しは浮かれろよな、まったく。
 風華ちゃんとの楽しい冬休み……ではないのか。忘れかけてたけど、俺たちは受験生だもんな。
 桐島って、何があっても、浮かれたりしないのだろうか。いつでもあんなに冷静なのか?
 俺は職員室に向かう桐島の背中を見て、少しそう思った。
 
 
 
 玄関に向かうにつれて寒さが増してくる。暖房のありがたみを心から感じる瞬間だ。
 桐島と違って職員室になんか用のない俺は、寒い寒いと独り言を言いながら玄関に向かう。
 
 ……あれ?
 2年の下駄箱のところに、風華ちゃんらしき人物。
 一人でいる。誰かを待っているみたいだ。
 「風華ちゃん?」
 俺は話しかけてみることにした。多分桐島を待っているのだろう。
 「あ、えーと……」
 風華ちゃんは相変わらず小さくて、童顔で、愛嬌がある。やっぱり可愛い。
 「久保。桐島の友達の久保瑛冶だよ」
 「そうそう!久保先輩!」
 風華ちゃんは思い出したように言った。
 ……せ、先輩?
 今まで部活の後輩以外で、先輩なんて呼ばれたことはない。
 だって、女の子の後輩なんていないから、すごく変な感じだ。しかも友達の彼女に先輩なんて言われると、なんだかなあ……。
 俺の微妙な心境にも気付かない風華ちゃんは、なんだかニコニコと可愛らしい笑みを浮かべている。
 
 「私、久保先輩と友達になりたいって、響ちゃんに頼んだんですけど、響ちゃんから聞きました?」
 「え」
 そんなこと、聞いてないぞ。
 「知らないけど……」
 「え!響ちゃん、何も言ってないんですか?」
 「多分……。俺は聞いてないよ」
 「なによ響ちゃんってば!“うん、わかった”なんて言ってたくせに!」
 風華ちゃんが怒っているけど、全然怖くない。むしろ怒った方が可愛いのではないかと思うくらい、怒っている声が可愛い。
 
 「うーん……まあ、あいつも勉強忙しいみたいだからな。忘れてたんじゃないの?」
 「そんなことないです!だって私、何回も言ったもの」
 「何回も、ねえ……」
 何回も桐島に頼んだのか。
 じゃあなんで、桐島は忘れて……。
 「しかも響ちゃん、最近機嫌悪いんですよ。どうしちゃったんだか」
 最近、機嫌が悪い……ってことは、受験勉強疲れってわけでもないのか。
 どちらかというと今の時期は、気を抜いている時期にあたると思う。テストばかりだった2学期も、あと1週間で終わるのだから。
 「久保先輩に当たったりしてません?響ちゃんって、大人なんだか子供なんだかわからないところあるから」
 風華ちゃんは一人でプンプン怒っている。
 ……まさか、あいつ。
 「ぷっ……」
 思わず吹き出してしまった。
 そうだ、確かに。
 俺の考えていることが当たっているなら、あいつは大人なんだか子供なんだかわからない。
 
 「……ってあれ?先輩、なんで笑ってるんですか?」
 「おっかしー……あいつ、ほんとウケる」
 「なにがですか?まあ確かに響ちゃんは、おかしいところあるけど―――」
 風華ちゃんは神妙な顔をしている。当たり前だけど。
 「違う違う。桐島は、風華ちゃんと俺に友達になってほしくなかったんだよ」
 俺は笑いすぎて出てきた涙を拭いながら言った。
 「え?」
 「桐島は、やきもちをやいたんだね。俺に」
 「え、ええ?!響ちゃんが?!」
 「うん。響ちゃんが」
 「うそー……私に?」
 風華ちゃんは、驚きつつも嬉しそうだ。
 まあ、あいつが嫉妬深いだなんて、誰も思わないだろうからな。
 
 「風華、待たせてごめん……ってあれ?久保、なんでお前がここに」
 そのとき、ベストタイミングで桐島がやってきた。
 「あ、桐島……ぶっ」
 「なんだよ、どうして俺を見て笑うんだ?」
 そこにいるのはいつもの冷静な桐島だ。やっぱり、嫉妬深いようには見えない。
 「今、風華ちゃんと、お前の話をしてたからだよ」
 「響ちゃん、久保先輩に言ってくれなかったみたいだね」
 俺と風華ちゃんは、笑いを堪えながら言う。
 「は?なんの話……ああ、いや、まあ、勉強で、忘れてて」
 桐島はしどろもどろだ。それがまた可笑しい。
 結局こいつも、恋する普通の15歳か。
 俺はきっとこれから、桐島を大人びてるなんて思わないだろう。
 
 
 「そういや、職員室に香坂がいた」
 桐島が話題を変える。
 「香坂?」
 「ああ、あいつもわからないところ訊きに来てたみたいだぜ」
 「ふーん。香坂でも、わかんないとこなんてあるんだな」
 香坂、本当に頑張ってんだなー……。
 頑張っている理由を知っている俺としては、複雑だが。
 
 「香坂?」
 風華ちゃんが、急に話に入ってきた。
 「香坂って、3年の香坂?」
 「3年だけど、それがどうしたんだ?」
 桐島がよくわからないといった風に聞き返す。
 「下の名前は?」
 それでも風華ちゃんは質問をやめない。まさか、香坂と知り合いか?
 「下の名前、えーと……」
 「姫桜」
 俺がすかさず言った。というか、勝手に口から出た。
 
 「姫桜ちゃんじゃない!響ちゃん、知ってるの?」
 
 
 ……はい?
 
 俺と桐島は、顔を見合わせる。
 風華ちゃん、本当に香坂と知り合いなのか?
 
 「いや、知ってるっつーか、同じクラス……」
 状況が掴めないので、迷いながら桐島が言った。
 「へえー。響ちゃん、姫桜ちゃんと同じクラスなんだあ」
 「つーかお前は、香坂とどういう関係で?」
 桐島が早口で訊く。
 
 「関係?従姉妹だよ、従姉妹。私と姫桜ちゃん、従姉妹なの」
 
 
 ……はい?
 俺と桐島は、もう一度顔を見合わせた。
 
 風華ちゃんと香坂が、従姉妹?
 
 
 
 
 
 
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