#05.愛しいひとの視線、その先は
 
 
 
 
 「なんで久保が、知ってるの……?」
 香坂の顔から血の気が引いたような気がした。
 こんな反応をするってことは、やはり本当のことなのだ。
 香坂に、好きな人がいるっていうのは。
 
 俺はショックで、目の前が暗くなるような錯覚に襲われる。なんかくらくらする気もする。
 しっかりしろ、俺。
 香坂に訊くって決めたのは、俺自身じゃないか。訊いてしまったんだから、もう後には退けない。
 
 
 「久保……」
 「い、いや……まあ、そんな話を小耳に挟んだものだから、ちょっと」
 八神の名前は出さないでおこう。あとで二人の仲が悪くなったりでもしたら、俺はどうしたらいいのかわからない。
 感謝しろよな、八神め。
 「小耳って……そんなこと知ってるのって、うちのクラスじゃ理菜くらいしか―――」
 「いや、まあ、ほら!少し気になったから訊いてみただけだって!しかし本当だとは思わなかったな」
 不自然なのは自分でも十分にわかっているが、なんとかごまかす。
 鏡を見なくたって、自分が引きつった顔で笑っていることくらいはわかる。
 「本当って、そんな」
 香坂はハッとしたように俺を見た。
 「だって本当なんだろ。その反応を見る限り」
 しかしその事実を突きつけられてもなお、本当だと信じたくない俺がいる。
 「……確かに、そうだけど」
 香坂は俯いて言った。
 ああ、ほら、やっぱり。
 本当なんじゃないか。
 
 訊かなければよかった、と思った。
 気になって気になってどうしようもなかったから、真実を確かめたくて香坂に訊いた。それは俺の勝手だ。香坂は悪くない。
 だけどこうして真実を知ってしまったら、違う意味で気になって気になってどうしようもなくなる。
 
 ずっと友達だった。
 だからこれからも友達で、高校行ってもたまにメールのやりとりをして、近況報告しあったりして。きっと俺と香坂の関係なんて、
そんな程度なのだろう。
 だけど正直言って、俺はそんなのは嫌だ。
 香坂が好きだ。
 こうして香坂に好きな人がいるってわかっても、好きなものは好きだ。
 だって今、現にこんな立場に置かれているのに―――香坂のことを可愛いだなんて思っているじゃないか。
 
 
 
 「……帰ろっか」
 急に、香坂が思い出したように言った。
 まるで、家に帰るということを忘れていたみたいだ。いや、俺もそうだが。
 俺と香坂が出会って以来、二人の間にこんなにも気まずい空気が流れているのは初めてかもしれない。
 それは当たり前か。だって俺たち、恋愛話なんかしたことはなかったからな。
 香坂がその話を避けていたわけではないだろう。
 きっと俺が、無意識のうちに避けていたのだ。いつかこんな日が―――香坂に好きな人がいるとわかる日が来るのを恐れて。
 
 「そうだな」
 「久保、よかったら、一緒に帰る?」
 香坂が軽く言ったその一言に、俺は目玉が飛び出そうになるくらい驚いた。
 今、なんつった?
 「え、え……?」
 「やだなあ。何そんなに驚いてんのよ。一緒に帰ったこと、今までもあったでしょ」
 いや、そりゃあ、今までだってそういうことがあったかもしれないけど。
 それって結構前の話じゃないか?1年の頃とか。
 しかも今はこんな状態だ。
 「俺はいいけど……香坂は、大丈夫なわけ?俺と一緒にいるとこ、好きな奴に見られたら……困るんじゃねーの?」
 この言葉を口に出すのは抵抗があった。
 やっぱりまだ俺は、香坂に好きな人がいるということを認めたくないらしい。
 「……大丈夫だよ。その人、高校生だから」
 そう言って香坂が微笑んだ。 
 「岸浜南の2年?」
 ふと口から出た言葉に、俺自身が驚いた。
 ……何言ってんだ、俺。これ以上詮索して何になるっていうんだよ。
 「なに、そんなことまで知ってるの?やっぱ理菜か」
 俺の予想に反して、香坂はケラケラと笑う。
 「だから、八神じゃねーって……」
 「もーいいよ。そのこと知ってるの、理菜だけだから」
 香坂は八神に怒っているわけではなさそうだった。
 
 
 「ほら、とりあえず帰ろ。勉強、勉強!」
 「またお前はそれかよ。ほんと、そればっかしだな……」
 「だから、私のことお前とか言わない!ホントに腹立つんだから!」
 「はいはい」
 いつものような会話を交わしながら、俺たちは玄関に向かう。
 
 「あ、雪降ってるね」
 外は冷凍庫の中みたいに冷えていて、ふわふわと真っ白い雪が舞っていた。
 寒いけど、冬は嫌いじゃない。
 「私、やっぱり冬って好きだなあ」
 香坂はマフラーを巻き直しながら言った。
 「今、俺も同じこと考えてた」
 「うそ。すごいねえ。私と久保って、やっぱし気が合うのかも」
 香坂は笑ってそう言う。
 その言葉が、俺にとってはどんなに嬉しいものか。
 お前、わかってねーだろ?
 俺がいつからお前を好きだったとか、どれくらいお前を好きだとか。
 そんなこと、香坂には絶対にわからない。
 
 「久保って、家近くていいよね。学校の裏じゃん」
 「だな。香坂は、光台6丁目だっけ?すっげえ遠いよな」
 「ほんとだよ。歩いて30分近くかかるんだから」
 南沢4丁目にあるこの南沢中学校から香坂の住む光台6丁目までは、かなりの距離があるはずだった。
 「そういえば久保、高校どこ受けんの?」
 「光台」
 「あ、光台にしたんだ。いいなあ、バス通かあ。夏は自転車でも通えそうだし」
 「香坂は岸浜南だから、電車で2駅だっけ?」
 「うん。多分それくらいかな」
 俺は光台1丁目にある光台高校を受験予定だ。受かれば、夏は自転車、冬はバスで通うことになる。
 
 「高校、受かるかなー……」
 白い息を吐きながら、香坂がぽつりと言った。
 もう交差点のところまで来てしまった。俺の家は学校の裏にあるから、ここで曲がらなければならない。
 「受かるよ、香坂なら」
 複雑な気持ちではあったが、自然に出た言葉でもある。
 いくら好きな奴のためとはいえ―――あんなに頑張っている香坂に、落ちたりしてほしくない。
 「でも、やっぱり岸浜南はやめとけばよかったかな。ハードル高いかも」
 「何言ってんだよ。岸浜南入るために、必死に勉強してんだろ」
 車が何台も通り過ぎて行く。
 信号が青になっても、香坂は渡ろうとしない。
 「……ありがと。久保にそう言われると、なんか頑張れる気がする」
 香坂が微笑んだ。頬が赤い。本当に、寒そうだ。
 「じゃあ、行こうかな。寒いし」
 「そうだな……気をつけて。遠いんだから」
 「やだなあ、久保に心配されたら、なんか気持ち悪いよ」
 香坂はいつものように笑って、横断歩道を渡っていった。
 
 
 俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
 香坂にとって俺とは、どんな存在なのだろうか。
 好きな奴が岸浜南にいるから、必死に勉強を頑張る香坂。
 そしてそんな香坂を応援する俺。
 好きなのに。
 すっごく、好きなのに。
 だけど俺は意気地なしで、香坂に好きということはできない。
 ましてや、香坂に好きな人がいると知った、今では。
 
 愛しい人の視線、その先では。
 俺ではない誰かが、香坂に向かって笑っているのだろう。
 
 
 
 
 
 
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