#01.11月下旬の教室にて。
*
いつか、好きと云える日が来たらいいなんて、
そんなこと、俺は思っちゃいない。
「香坂ー!おい、香坂!」
俺は教室中に響き渡るような大声で、香坂を呼ぶ。
「うるさいわね!そんな大声出さなくたって、聞こえてるわよ!」
すると香坂は、俺に負けないくらいの大声で返事をした。
そのやりとりを教室にいる奴が全員見ているわけだ。当然、からかわれる。
「おい、久保」
「なんだよ」
「お前ら、結婚式はいつだ?」
……と、こんな感じだ。
まあ、このやりとりを毎日のように交わしているのだ。からかわれても、しょうがない。
「で、今日はなによ」
からかわれることも気にせずに、香坂は怒ったように俺に訊く。
「英語のノート貸して」
「バカじゃないの。貸すわけないでしょ」
俺が言い終わるのも聞かずに、香坂がビシッと言った。
「そんなこと言わずに、貸してくれよ。な?」
「毎日貸してるでしょ。一昨日は数学のノート。昨日は英語のワーク」
「だって、毎日毎日宿題ばっかでさ、やってる暇ねーんだよ」
「受験生のくせに甘いのよ。アンタ、高校落ちるわよ」
「そんなこと言うなよー。天下の香坂姫桜さまが」
「私は、ちゃんと毎日やってるから勉強できるの」
「うわ、コイツ、自分で勉強できるとか言っちゃってるし」
俺が肩をすくめてみせると、香坂がキッと俺を睨む。
「そんなこと言うなら、もう絶対何も貸さない」
「……ちっ、可愛くねーやつ」
「なんか言った?」
香坂の冷ややかな目線が飛んでくると、何も言えなくなってしまう。
「いや、なんでもない」
だから俺は、とりあえず英語のノートは後で頼むことにした。
「またやってんのか、夫婦漫才」
桐島雨響は、ちゃんと自分で英語のワークをやっている。
赤ペンでさらさらと丸をつけていきながら、俺に冷ややかな視線を送ってくる。
「見てたんか」
頭の良い奴だ。丸の数が尋常じゃない。
桐島のワークをちらっと見てそんなことを思いながら、俺も冷ややかに返す。
「見てたんかって、ありゃクラスの全員が見てるよ。お前ら、目立つもん」
「……別段、何もしてないんだけど」
「何もしてなくたって、あんだけ仲良かったら、目立つっつの」
桐島は冷笑を浮かべながら言う。
本当に、根性の悪い奴だ。
俺が何で香坂にあんな風にふるまっているのか、知っているくせに。
「桐島って、ほんと、性格悪いな」
「お前ほどじゃないよ。……よし、ワークは終了」
「頭いいよなー。どこ受けんだ?」
「岸浜北高」
「あれ、岸浜南じゃねーの?まあ岸浜北もいいんだろうけど」
「それほど成績いいわけじゃないしな。まあ、俺の彼女は岸浜南目指してるよ」
「……お前ら、どんなカップルなんだよ」
岸浜南高は、俺の住むこの地域ではトップ校だ。国公立への進学率がものすごいとか。
桐島が受けると言っている岸浜北高は、まあ、進学校ではあるが、岸浜南ほどではない。
どっちにしろ、俺には関係ないけどな。
「香坂姫桜は岸浜南だぞ」
桐島が微笑を浮かべながら、急に切り出してきた。
「……知ってる」
「久保も、目指せば?」
「バカ言え。地球がひっくり返っても無理だよ」
「だな。久保が入れるんだったら、誰でも入れる」
「うるせえよ」
笑いながら否定するが、心の底では少しだけ傷ついている。
桐島は俺のそういうところを知っているから、これ以上のことは何も言わない。
勉強もできるけど、やっぱり、精神的に大人な奴なのだ。
―――香坂が、好きだ。
一番最初に、そう思ったのはいつだっただろう。
思い出せないということは、相当前だったのか。
香坂姫桜と俺が初めて出会ったのは、ありきたりではあるが、入学式だった。
席が隣になったのがきっかけで話すようになって、去年のクラス替えでも、今年のクラス替えでも、見事に同じクラスになった。
確かに仲がいいのは自覚しているし、香坂だって俺のことは嫌いではないと思う。
この関係が“恋愛”じゃないっていうのは、痛いほどわかっている。
香坂と俺は、高校になったらもう会わなくなるのかもしれない。
香坂はトップ校を受験して、俺はごく普通の高校を受験する。
それは、俺がどう頑張っても変えられないことなのだ。
だからと言って、卒業する前になんとかしようとは思っていない。
あいつが俺を友達としてしか見ていないことくらいわかっている。
「告白とか、しねーの?」
桐島が唐突に訊いてきたから、俺ははっと我に返る。
「何言ってんだよ、いきなり」
「だってお前ら、高校違うだろ。好きなんだろ、香坂のこと」
「……まあ」
「そうやって認めるあたりが久保らしいな」
「……俺、お前と話してると、同級生と話してる感じがしないんだけど」
「そうか?」
桐島が笑う。こいつ、なかなか格好いいよな、と少しだけ思った。
桐島は幼なじみと付き合っているらしい。
あまり自分の話をしてくれないからよく知らないけど、桐島はその幼なじみをすごく愛しているのだと思う。
「……」
友達と話している香坂を横目で見て、視線を戻す。
愛しているとか、好きだとか、そういうことを考えなくても。
あいつを見たら無意識に可愛いと思ってしまう。
やっぱり、恋なんだろうな。
―――なんて、柄にもなく思ってみる。
11月下旬。
本人には、言えないままだけど。
俺の恋はやっぱり、止まりそうにもなかった。