#02.8月5日(2)
 
 
*―――Side 風華
 
 
 「え?旅行?」
 「いや……まあ、正確に言うと、旅行では……ないん、だけど」
 8月5日水曜日。響ちゃんとは5日ぶりに会った。お互い高校での夏期講習が忙しくて、隣の家に住んでいるのにも関わらず、ずっと
会えてなかったのだ。
 だから今日は、久しぶりに響ちゃんに会えると思うと嬉しくて嬉しくて、早起きしてクッキー焼いて、シャワー浴びて、新しい下着つけて、
気に入りのワンピースを着て……。自分でもちょっとびっくりしてしまうくらいの気合いの入れよう。こういうときに私って本当に響ちゃん
のことが好きなんだな、って実感する。
 いまはまだお昼を過ぎたばかりで、日当たりのいい響ちゃんの部屋はすごく暑い。扇風機をフル回転しても、生ぬるい風しか吹いてこない。
 「……なんで?」
 「や、俺も断ったんだけど。なんか名目上は勉強合宿らしい。まあ、あの連中からしてそれはほんと、口実だと思うんだけどな」
 お気に入りのワンピースを、思わずぎゅっと握りしめてしまう。だめ、しわになっちゃう。そう思うけど、嫌な胸騒ぎを抑えるためには
こうするしかない。
 「どこ、行くの」
 「近場だって。岸浜郊外の温泉でも泊まるかって話だけど。俺は興味ないから、知らない」
 ……興味ないなら、どうして、行くなんて言ったの。そう言っちゃいそうになるのをぐっと飲み込んで、私は俯く。
 「いつ?」
 「今週の土日」
 また、胸がどくん、と嫌な音を立てる。今週の土曜日って、岸浜で大きな夏祭りがある日だよね。ていうか私、そのこと、いつだか
響ちゃんに話したよね?
 「……誰と?」
 「クラスの仲いい奴らと、あと女子何人か。全部で5、6人じゃねーかな」
 やっぱり女の子もいるんだ。もうどうしていいかわからないくらい、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。暑いのもあってか、なんだか
目の前がふわふわしているような気さえしてくる。
 「おばさん、行っていいって言ってたの?」
 「ま、高校生のくせにーとは言われたけどな。来年はどのみち受験で遊んでる暇もないだろうし、って大目に見てくれた」
 私は?私、来年になったらまた寂しい思いをするのに、今年も、私とは遊べないってこと?
 今年の3月にやっと高校受験が終わって、遊べるって思ったらこれ?来年は私が暇でも響ちゃんが大学受験の勉強で大変だろうし、
再来年は私が大学受験の勉強……。
 やだ、気が遠くなってきた。
 「そ、か……」
 今年こそは、すぐ泣いちゃうのを直そうって思ってた。だけど、やだ……目の前が霞んできて、また泣いちゃいそう。
 私、なんて言えばいいの?笑顔で「楽しんできて」って言う気分にもなれないし、「行かないで」なんて絶対に言えない。だって、
響ちゃんのしたいことを私が制限するなんて、そんなこと、絶対にできないもん。
 「……お祭り、だよね。今週の土曜日って」
 「え?……あ、岸浜の……」
 響ちゃん、驚いた顔してる。忘れてたんだろうな、きっと。
 「いいよ、私も、ちょうど行けなくなったから」
 震えそうになる声で、精一杯の嘘をつく。行こうって約束なんかしてなかったもん。だから、べつに、いいもん。
 「……でも」
 「べつにいいの。ほんとに、私のことは、気にしないでね」
 私はそう言うと立ち上がって、響ちゃんの部屋を出て行こうとする。
 「風華」
 「旅行、楽しんできてね。おばさんによろしく」
 ……なんかもう、いいや。
 響ちゃんと付き合ってきて、もう2年経つ。その中でこんな気持ちになったのは、初めてのことかもしれなかった。
 違う高校。年も違う。いつも追いかけてるのは私。いつまで経っても子ども扱いで、ほんとのこと言うと、初体験も、まだ。
 やっぱり私、最初から、相手になんかされてなかったのかもしれないな―――。
 「おい、風華」
 後ろから響ちゃんが呼ぶのも無視して、私は逃げるみたいに響ちゃんの部屋を出た。
 いつもみたいにおばさんに「お邪魔しました」って声をかけて、外に出る。あまりにも暑いから一瞬くらっとしたけれど、自分の家の中に
入るとほっと一息つく。
 今年の春から大学生になったお兄ちゃんは今日まで学校があるからいないし、両親も仕事に出ている。私一人かあって思うと、自然と涙が
出てきて、大声で泣いてしまいそうになる。
 
 私だけ好きなの。きっと、昔もいまも、これからも。
 いつも私が追いかけてばかりで、だけど響ちゃんは優しいから、私と付き合っていてくれるんだよね。きっと別れようなんて、響ちゃんの
口からは絶対に出てこないと思う。
 なんだか、つらいな。寂しくて、悲しくて、なんにも考えたくない。夏休み、響ちゃんとたくさん遊べるって浮かれてたのがバカみたい。
 
 もう、だめなのかな。
 響ちゃんのためにも、私から別れようって言ってあげたほうが、いいのかな……。
 
 
*―――Side 姫桜
 
 
 「あー、あの二人、無事仲直りしてくれてよかった、マジで」
 「まどかちゃんと梓くんがケンカするなんて、珍しいよね。まどかちゃん、すごく暗いんだもん。びっくりしちゃった」
 もう午後5時を回ったところであった。あのあと、プールでたくさん遊んで、4人ともくたくたになって、岸浜駅で解散。まどかちゃんと
梓くんはすっかり仲直りしてみたいで、なに食べて帰ろうか、なんて話をしていた。
 「つーか、椎名に怒られてるときのあの梓のうろたえよう、ヤバいよな。やっぱり俺、梓は尻に敷かれてるんじゃないかって思うんだけど」
 「確かに」
 「まー、しょうがねえよな。梓は椎名にぞっこんだから」
 「うんうん」
 あの二人は本当に可愛いカップルだって思う。なんていうか、二人を見てると“大好き”が伝わってくるんだよね。たまにこうして4人で
遊ぶけど、そのたびに本当に仲良しで、羨ましくなるくらいだもの。
 
 「……で、あのさ。俺実は、姫桜に話したいことあんだけど」
 瑛治はなぜか声のトーンを落として、私の手をぎゅっと握り直した。夏の夕暮れの住宅街。たまに犬の散歩をしている人がいたりして、
すごくのどかな雰囲気なのに……なに?瑛治のこの、真剣な表情は。
 「瑛治、あの……」
 「今週の土日、空いてる?」
 「え?」
 唐突にそう切り出されて、私の口から出たのはそんな間抜けな返事。
 「うちの父さんと母さん、今年で結婚20周年らしいんだけど」
 「は、はあ……。それは、おめでとうだね」
 いったい瑛治はなにが言いたいんだろう。私は瑛治の真意がさっぱりわからないので、どんな相槌を打っていいかもわからない。
 「で、土日に一泊二日で旅行に行くらしいんだ。もちろん、俺と梨乃は置いてくらしい」
 「そ、そうなの……」
 まあ、結婚記念日の旅行だもんね。夫婦水入らずってやつ?……それで、それがどうかしたのかな。
 「梨乃は、もちろん、律さんのところに行くだろ」
 「うん、まあ……そうなんだろうね?」
 梨乃さんのことはあまりよく知らないけれど、彼氏さんと半同棲の状態みたい。瑛治がいつも「あのバカ姉、また帰ってこねえ。帰って
こなくていいけど、早く金返せ」なんて言ってるくらいだもん。
 「……うち、来ませんか」
 「へ?……あ、いいけど」
 瑛治の家にはけっこう高い頻度でお邪魔してるから、こんなに改まらなくてもいいと思うんだけど。
 「そうじゃなくて……その、泊まりに来ないかって意味」
 「え?……はあ」
 うん、と頷きかけて気付く。瑛治、いまなんて言ったの?
 「……泊ま、り?」
 「いや、その……まあ、誰もいないんで、よかったら」
 お泊まり?私が、瑛治の家に?
 え、いや、嬉しいけど。すごく嬉しいけど。それ、いいの?怒られないの?……まあ実際泊まりに行くとしても、両親には絶対に言えない
けど。でも、でも……。
 「瑛治、待って……私、びっくりしすぎて……」
 あまりに真剣な顔をしている瑛治から思わず目を逸らす。そのとき、ふいに、ポケットに入れていた私の携帯が震えだした。
 「あ……れ、電話かも。ちょっと待っ……え、桐島くん?」
 携帯のディスプレイに浮かび上がったのは“桐島雨響”の文字。もちろん、瑛治の親友でもあり、私の従姉妹である風華の彼氏でもある、
あの桐島くんだ。
 「え、桐島?なんで」
 「わかんない。とりあえず出るね」
 私が「もしもし」と電話に出るなり、「香坂か?」と桐島くんの声が飛び込んでくる。いつも冷静な桐島くんだけど、なんだかいまは
急いでるみたいだ。
 「うん、そうだけど……」
 『風華から、なにか連絡来てないか?』
 「え?風華から?ううん、来てない……けど」
 『香坂、いま家か?』
 「ううん、外。瑛治と一緒だけど……」
 あまりに切迫している桐島くんの声に、いったいなにがあったのかと気になってしまう。「なにかあったのか?」と横で瑛治が訊いてくる
ので、私は口パクで「わかんない」と返した。
 『……もしかしたら、香坂んとこに行くかもしれないから、もし風華から連絡とか来たら教えてほしい』
 「うん、いいけど……なにかあったの?」
 『ちょっとな。あいつ、携帯の電源切ってるみたいで』
 「風華が?」
 『ああ。じゃあ、連絡あったらよろしくな。邪魔して悪かった』
 桐島くんはそう早口で言うと、一方的に電話を切ってしまった。なにがあったのかはわからないけれど、相当焦っているみたいだ。
 
 「桐島、なんだって?」
 隣で瑛治が、心配そうな表情で私にそう尋ねてくる。
 「わかんないけど……なんか、風華からなにか連絡来てないかって。ケンカとか……したのかなあ」
 たったあれだけの会話では、桐島くんと風華の間に何かがあったのかさえわからない。わかるのは、桐島くんが風華と連絡がつかないから、
あんなに焦っているのだろうということだけ。
 「ケンカ?あの二人が?珍しいな」
 「わかんないけどね。でも桐島くん、すっごい焦ってた。ちょっと風華に電話してみてもいい?」
 「ああ、別に」
 私は再び携帯を取り出して、アドレス帳で“神崎風華”を呼び出す。風華、そういえば最近会ってないな。元気にしてるんだろうか……。
 プルルルル、という呼び出し音が数回続いた後、流れてきたのは『電波の届かないところにおられるか、電源が入っていないためかかり
ません』という音声ガイダンス。風華が携帯の電源を切っているというのは本当らしい。
 「風華ちゃん、出ない?」
 「うん、なんか電源切ってるみたい……」
 「桐島となんかあったのかもな。心配だから、俺、これから桐島んち行ってみっかな」
 瑛治の口調がすごく深刻そうで、桐島くんが瑛治にとってどれだけ大切な友達かがわかる。本人は認めたがらないけれど、やっぱり桐島
くんは瑛治にとって親友と呼べる存在なんだろうな。
 「そっか。私は……とりあえず帰って、風華に何回か電話とメールしてみる。突然家に行って驚かせるのも悪いし」
 「じゃあ俺も、一回桐島に電話してから行くかな」
 「あ、じゃあ今日はここまでで大丈夫だよ。ここから折り返したら、桐島くんの家、すぐでしょ?」
 いまは5時過ぎだから、まだあと2時間は明るいだろう。ここからは私の家まではあと5分程度で着くし、何よりも今は、桐島くんと
風華のことが心配だ。
 「じゃ、お言葉に甘えて。……さっきの話、次会うときまでに考えといて」
 瑛治はそう言うと、携帯を耳に当てたまま私に手を振って、いつも渡る交差点を折り返して行ってしまった。私は瑛治に向けて手を振って、
また風華に電話を掛けなおした。でもやっぱり、さっきの音声ガイダンスが流れるばかりだ。
 ……もう。風華、いったいどうしちゃったのかな。心配だよなあ。私も瑛治に付いていけばよかったかなあ。
 そんなことを考えながら歩いていると、正面から、見覚えのある女の子が歩いてきた。小さな背。華奢な身体。耳の下で結んだ長い髪。
一見すると小学生かとも思ってしまうような、可愛らしい容姿の女の子。
 「……風華?!」
 「姫……桜、ちゃん」
 そこにいたのは、なんと張本人の風華だった。私は慌てて風華に駆け寄って、「なにかあったの?」と訊いてみる。
 「姫桜ちゃん……」
 「桐島くんから電話きたんだよ。風華から連絡来てないかって。風華、携帯の電源切ってるし……。もう、心配したんだから」
 小さい頃からそうしているように、私は風華の綺麗な髪を梳くように撫でた。こうしてると、まるで本当に自分の妹みたいだ。
 「響ちゃんから……電話、きたの?」
 「うん……すっごい焦ってて、心配してたよ」
 私が言うと、風華はなぜか涙目になって、私の手をぎゅっと握る。かたかた震えているのは、泣いているせいだろうか。
 「ちょっと風華……大丈夫?」
 「姫桜ちゃん……私、響ちゃんと……別れる、かも……しれない……」
 風華はしゃくりあげながら、私にぎゅっと抱きついてきた。私は風華の言葉に驚いて、なにも言うことができない。
 だって……え、別れる?桐島くんと風華が?
 
 
 
 
 
 
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